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NHK木曜時代劇「吉原裏同心」は、なかなか結構!

最近、木曜夜が楽しくなってきた。

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 それはNHKの「吉原裏同心」があるからである。佐伯泰英の原作を元に、なかなかしっかりした脚本と達者な俳優陣で楽しませてくれる。

 NHKの番組のサイトから、原作者と脚本家のコメントを引用。NHK「吉原裏同心」のサイト


原作を超えて … 原作 佐伯泰英

このドラマの原作の『吉原裏同心・流離』は、十一年前の2003年春に出版された。当初、短編の構想で、神守幹次郎が人妻の汀女を連れて豊後岡藩城下を逃げるくだりと、妻( め) 仇討( がたきうち) を許された亭主と一統に追捕される逃避行の描写で成り立っていた。ただ今ではシリーズとして『髪結』が二十巻、そして六月には最新作『遺文』が出るまでに成長した。

この長い物語がNHK 木曜時代劇として放映される。未だ原作者は試写を見ていないが、冒頭は、幹次郎が年上の幼馴染の汀女の手を引いて雪原を逃げる場景から始まるという。

スタッフは時代劇に熟知した面々、安心している。また出演者は、神守幹次郎が小出恵介、汀女役が浅草っ子の貫地谷しほり、薄墨大夫が宝塚出身の野々すみ花さんと新鮮な組み合わせと聞く。

幕府公認の吉原はただの男女の出会いの場所というだけではない。江戸時代のファッション、化粧、音楽と流行の発信基地の役割を持っていた。閉鎖された吉原ながら世間への多岐にわたる影響力は大きかったのだ。そんな「吉原」をただ今の若い俳優陣がどのように解釈して演じてくれるか、大いに楽しみにしている。


脚本家のことば … 尾崎将也

時代劇をメインライターとして全話執筆するのは初めての経験です。これまで時代劇を書いて来られた脚本家の方が書くものと全く同じではやる意味がないし、かといって時代劇の伝統を壊してもいけない。そう思いながら執筆に入りました。

テレビドラマで初めて本格的にメインの舞台として描かれる「吉原」は、時代劇の伝統を踏まえつつ新しい世界を作るのにちょうどよい題材ではないか。そこに自分が書く意味を見いだした気がしました。その中で個性豊かなキャラクターたちを思う存分活躍させることが出来るのではないかと思ったのです。

従来からの時代劇のファンの方には、「時代劇はこうでなくっちゃ」と思ってもらえて、時代劇をあまり見たことのない人にも「時代劇って意外と面白いね」と思ってもらえるような、そんな作品になればと思っています。



 原作が佐伯泰英、舞台は吉原、脚本家の熱意、こりゃあ見なけりゃと思った。三回見て、がっかりすることがなかったので、ブログに書くことにした次第。

 神守幹次郎役の小出恵介、汀女役の貫地谷しほりの二人も結構なのだが、これまでに出演した遊女役の女優さんも人選を含め良いと思う。
 第二回に遊女・梅園で登場した奥菜恵、昨夜第三回に遊女・きく役で登場した富田靖子ともに好演だった。来週は高橋由美子が遊女役で出演とのこと。これまた楽しみ。

 そして、昨夜は、このドラマが林隆三さんの最後の作品であることを確認することもできた。
 NHKの番組のページには、次のようにある。

柴田相庵…林隆三

吉原大門の近くで診療所を営む医師。吉原内へ往診に出向くこともあり、吉原の人々からの信頼も厚い。
※この番組にご出演の林隆三さんが死去されました。番組でのご出演部分の撮影は終了しておりましたので、ご本人の最後のドラマ出演作品として放送をさせていただきます。ご冥福をお祈りいたします。



 登場した時は、実は林隆三さんとは一目で分からなかった・・・・・・。
 今後も登場するのかどうかは、分からない。

 さて、この作品で重要な役割を持つのが、吉原の「四郎兵衛会所」である。

 七代目の四郎兵衛を演じるのは、近藤正臣。これまた、渋い。この人が、主人公の二人、幹次郎と汀女にとって重要な支援者となる。そして、四郎兵衛さんに抜かりはない。幹次郎を手足、汀女を耳と口として、実際には二人一組で裏同心として使うところなど、心憎い。この人、ふけ役になってから、どんどん株を上げているように思うなぁ。

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北村鮭彦著『お江戸吉原ものしり帖』(新潮文庫)

 以前にも紹介した北村鮭彦著『お江戸吉原ものしり帖』から、まず吉原の番所について引用。

 大門を入ると、直ぐ左側に俗に“面番所”と呼ばれた番所があり、右側には“会所”がある。番所には町方、つまり町奉行所の役人である与力とその配下の同心が自分に所属する岡っ引きを従えて常時詰めている。江戸の市中では町番屋に与力・同心が常時詰めるということはないが、吉原は江戸市中ではない。江戸と吉原との間には勘定奉行支配地の百姓地がある。つまり吉原は支配関係からいえば江戸の飛地で、大門内の番所は町奉行所の出張所ということになる。廓内の秩序を保つのがその役割である。此処に詰める役人は、町奉行に直属した隠密廻りの与力で、配下の同心二名を従えている。廓内の騒動、天災時の大門の開閉などのことを司る。妓楼や引地茶屋などには叩けばほこりの出る連中が多かったから、その威勢は極めて大きかった。三度の食事は豪華な会席料理で、その費用はすべて吉原でまかなわれ、紋日や勤番交替の時などはかなりの金子が町から渡される習慣だった。


 このドラマで、与力や同心が偉そうにしているのは、このような背景があるから。町奉行直属なので、昨夜第三回目のように南町奉行(演じたのはダンカン)まで登場する。
 しかし、同心を演じる石井愃一の写真がNHKの番組ページにないのは、少し疑問。彼等番所の同心がいるから幹次郎が“裏同心”なのであるし、役割から考え、ほぼ毎回出演すると思うので、ぜひ写真を掲載し欲しいと思う。損な役回りだが、なかなか好演していると思うよ。

 次に会所について。

 番所の向い側に(大門を入って直ぐの右側)には会所がある。これは江戸市中の町番屋と同じで、名主、地主などが自分の代りに番頭などを交替で出しておく。十二人が昼夜三交替四人一組になっていた。俗に“四郎兵衛番所”という。吉原惣名主を務めた京町の妓楼三浦屋四郎左衛門の番頭で四郎兵衛という者が常詰めとなり、後には三浦屋から来る番頭は四郎兵衛と名宣(の)るのが例(ためし)になったため、という。この三浦屋は宝暦年中(1751~64)には吉原から名を消しているので、天保年間には吉原に存在しない遊女屋だが、一般には長く“四郎兵衛番所”と呼ばれていた。
 江戸町年寄から通達を受取り、町内に伝える役、町内の行事の相談、道路関係の修理など、江戸市中の町番屋を同様の仕事をするが、他に遊女の脱廓を見張る、という大仕事があった。遊女は妓楼にとっては大切な商品で、売上げとよくするためにはかなりの金を使っている。それに逃げられでもしたら大ごとである。
 大門の出入りは男を別にして、女には大変不自由だった。廓外に住もう女だって何か用があえば大門を入ることもある。廓内には遊女屋でない家もあって、当然のことながら女性も住んでいる。そういう女は廓外に用事のあることだってしばしばある。そういう時は四郎兵衛番所で証明書を貰う。通行証である。これを“女切手”といった。外の女性が廓へ入る時は入門の時にこれをもらい、用事がすんで門を出る時に会所に返す。廓内の女は出門の時に貰って帰宅する時にこれを返す。たとえ四郎兵衛番所に顔見知りの者がいても、気軽に、
「あ、豆腐屋のお春ちゃんかい。今日はどこまで?日本橋へ櫛を買いに?行っといで行っといで」
 などという訳にはいかない。大きな判を押した“切手”つまり通行証が必要なのだ。

 切手を見せて田楽を喰ひに行き

 これは廓内諸商人の女房、娘たちの一行だろうか。昼間たまの休みをもらえた花魁や遣手の一行かも知れない。四郎兵衛番所でもらって真崎稲荷までの外出である。これなどのどかで良いが、

 四郎兵衛に女之介とつかまり

 となると穏やかではない。四郎兵衛番所に詰めている連中の、最も得意とするところで、花魁がいかに男装してごまかそうと思っても、中々この関門は通れない。男か女かを見抜くことくらい、お茶の子なのだ。


 注で、女之介とは男装した女性のことと説明があるが、なるほど。

 このドラマの第一回に、女之介が登場したなぁ。最後は悲惨だったけど・・・・・・。

 三浦屋は、宝暦年間(1751~64)に吉原から名を消していると書かれている。このドラマは、原作通りならば、天明6(1786)年に神守幹次郎が四郎兵衛会所の裏同心になっているから、時代としては三浦屋はないのだが、薄墨大夫は三浦屋だなぁ。

 宝暦年間は吉原の遊び方が大きく変わった、いわば大衆化した時期で、大夫という呼び名もなくなり、花魁という名が普及した転換期だったのだが、この物語においては、宝暦前と後の吉原が混ざって描かれているように思う。時代考証的には問題かもしれないが、大夫のいる吉原の方が間違いなく“絵”にはなるので、これ以上この件に小言は言わない^^

 ちなみに、天明年間は長らく飢饉(天明の大飢饉)があり、その後寛政に改元される。飢饉の結果、家族のために吉原に身を売るしかなかった娘も多かっただろうから、原作者はこの時代に設定したのかと思う。

 本書から、天保期の遊女の呼び方をご紹介し、今回はお開きとしたい。

 天保期(1830~44)では、第一級の遊女は“呼出”と呼ばれた。この位の遊女は引手茶屋から呼出をかける。次頁の『吉原細見』では最高が一両一分となっているが、多くの場合、揚代は一晩泊って一両一分であった。茶屋や芸者、幇間、台の物などの費用を併せると二十両はかかった、という。“呼出”は“仲の町張り”ともいう。夕方になると自楼を出て自分付きの一族郎党をしたがえ、八文字を踏んで道中をし、仲の町の馴染の茶屋まで出てくる。一定時間そこにいてまた引き上げるのだが、この間に見染める客があるかも知れない。いわば一種に顔見世である。
 (中 略)
 同じ仲の町張りをする“昼三”は昼夜共で三分、暮六つに来てその夜のうちに帰る片仕舞と称する遊びなら一分二朱の揚代で済む。
 昼三の次には“見世昼三”という遊女がいた。これは仲の町張りをしない。ひたすら自楼にこもって、馴染客なり、初会の客なりの来るのを待つ。

 昼三の右や左は一分なり

 姉女郎につき従う妹女郎は新造と呼ばれ、揚代は一分だった。

 かみしめて見れば三分は三分なり


 なかなか味のある川柳のようにも思うのだが、私はあっちのほうは奥手なもんで・・・・・・。

 「三分で新造がつきんした」の科白、落語愛好家の方ならよくご存知。


 私は、週末はケーブルテレビ「時代劇専門チャンネル」で鬼平を見る時間が長い。やはり、良いのだよ、あれは。
 
 しかし、この『吉原裏同心』も、なかなか結構。ドラマを楽しみながら、江戸時代、そして何より吉原の勉強にもなる。

 昨今、テレビがつまらなくなった、とお嘆きの落語愛好家の方にも、ぜひお薦めしたい時代劇!
Commented by 佐平次 at 2014-07-13 10:40 x
テレビはそれ自体がつまらない番組が多いのもさることながらじれったいのです。
早く先に進め、とか、そこは分かってるんだから、あれ、もう次回かとか、民放だとCF。
30分も場合によっては1時間もじっと見続ける忍耐力がないんですよ。
この番組はニュースを消し忘れたかでちらっとみたら羅生門河岸のシーン、ひょっとして幸兵衛さんが見てるかなあと思いましたよ。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-07-13 18:33 x
この枠の前の番組大阪が舞台の「銀二貫」も悪くはなかったですが、今回は江戸、それも吉原です。
CMもないので、ぜひご覧のほどを。

次回は落語会なので、録画しなけりゃ。

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by kogotokoubei | 2014-07-11 20:20 | 歴史ドラマや時代劇 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛