噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

「グローバル」を口癖にする、まったく国際性のない政治家たち。

安倍や橋下は、「国際的」「グローバル」などと言うキーワードを頻繁に使い、英語教育の強化などを訴えるが、真に「グローバル」な人間は、「地球」的な視野で、国際法の観点や常識をわきまえてからモノを考え発言するものだ。
 もちろん、けっして個人的な見解を無防備にさらけ出して、海外との無用な緊張関係をつくるようなヘマはしないように努めるのが、「グローバル」な政治家である。

 いわゆる「河野談話」について、まず外務省のサイトから引用する。
外務省サイトの該当ページ

慰安婦関係調査結果発表に関する
河野内閣官房長官談話


平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般その結果がまとまったので発表することとした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。


 「村山談話」と同様、日本という国の見解として、ある意味、“グローバル”に許容されているメッセージだと思う。

 しかし、“強制的な状況の下での痛ましいもの”という表現について、河野談話否定派は、いくつかの調査を根拠に「強制的ではなかった」と反論する。しかし、「慰安婦問題」は、“強制的”か否かを論議する別の次元で“グローバル”で判断されていることが、彼らにはまったく分かっていない。
 もちろん、この度の橋下発言や、それを擁護する老害石原の発言は、論外である。安倍も最初の安倍内閣時代に、失言で日本への信頼を著しく貶めたことがある。

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東郷和彦著『歴史認識を問い直す-靖国、慰安婦、領土問題』(角川ワンテーマ21)

東郷和彦著『歴史認識を問い直す-靖国、慰安婦、領土問題』(角川ワンテーマ21、2013年4月10日初版発行)から引用したい。

時は2007年のことである。

 3月16日の質問主意書に対する回答が決められる前の3月1日、ぶらさがり懇談で安倍首相は、「当初、定義されていた強制性を裏づけるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではなかったかと思う」という発言をした。なきさけぶ人を強制して連れてくる狭義の「強制連行」はなかったという趣旨の発言だった。
 ところが、この発言が「安倍総理は、慰安婦に対する(いっさいの)強制性を否定し、河野談話の修正を企図している」というAP電と翌3月2日の『ニューヨーク・タイムズ』の記事で報ぜられて以降、事態が一変した。
 私はこの時、アメリカ西海岸カリフォルニア州立大学サンタ・バーバラ校で教鞭をとり、5月には、同大学の長谷川毅教授と「日本の歴史問題」についての国際シンポジウムを準備中であった。
 安倍総理を慰安婦問題の「否定者」(denier)として糾弾する米国マスコミの論調は想像を絶してすさまじいものがあった。日本語の活字にするとどうしても表現できない、肌で感ずる不気味な「日本否定論」が突如として噴出した。



 安倍は、この時の失態を覚えているのだろうか。果たして橋下は・・・・・・。

 著者は、この年の五月に開催されたシンポジウムの後で参加したアメリカ人から、明確な指摘を受ける。

会合の後に議論に参加したアメリカ人から言われたことは、世界がこの問題を見る目がどこにあるのかを知るうえで、晴天の霹靂だった。
①日本人の中で、「強制連行」があったか、なかったかについて繰り広げられている議論は、この問題の本質にとって、まったく無意味である。世界の大勢は、だれも関心を持っていない。
②性、ジェンダー、女性の権利の問題について、アメリカ人はかつてとはまったく違った考えになっている。慰安婦の話を聞いた時彼らが考えるのは、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という一点のみである。そしてゾッとする。これがこの問題の本質である。
③ましてや、慰安婦が「甘言をもって」つまり騙されてきたという事例があっただけで、完全アウトである。「強制連行」と「甘言で騙されて」気がついた時には逃げられないのと、どこがちがうのか。
④これは非歴史的(ahistorical)な議論である。現在の価値観で過去を振りかえって議論しているのだ。もしもそういう制度を「昔は仕方がなかった」と言って肯定しようものなら、女性の権利の「否定者」(denier)」となり、同盟の担い手として受け入れることなど問題外の国ということになる。
⑤解りやすい例でいえば、「建国のころアメリカは奴隷制を受け入れていたのだから、歴史的には奴隷制は当然の制度」という議論が、今のアメリカではまったく受け入れられないことは、日本人にも理解できるのではないか。「慰安婦制度は歴史的にやむをえなかった」という議論は、全くそれと同じに聞こえる。
⑥あなたは、河野談話を基礎に、謙虚な姿勢から発言していた。だから皆「レイプ・センターではない」というあなたの言わんとすることを我慢して聞いていた。この順序が逆だったら、何人もの人が席を立ったと思う。


 このシンポジウムに参加したアメリカ人の思いは、相当程度に日本以外の「慰安婦問題」について共通するものではなかろうか。

 日本人として、「慰安婦問題」について、「グローバル」視点で考えるために重要な言葉を太字で再度並べてみる。

 「強制連行」があったか、なかったかについて繰り広げられている議論は、
 この問題の本質にとって、まったく無意味


 慰安婦の話を聞いた時彼ら(アメリカ人)が考えるのは、
 「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という一点


 「強制連行」と「甘言で騙されて」気がついた時には逃げられないのと、
 どこがちがうのか


 「昔は仕方がなかった」と言って肯定しようものなら、
 女性の権利の「否定者(denier)」となり、
 同盟の担い手として受け入れることなど問題外の国


 「建国のころアメリカは奴隷制を受け入れていたのだから、歴史的には
 奴隷制は当然の制度」という議論が、今のアメリカではまったく受け入れられない

 「慰安婦制度は歴史的にやむをえなかった」という議論は、全くそれと同じに聞こえる

 安倍や橋下、そして石原には、「もし自分の娘が慰安婦にされていたら」という想像力は働かないのだろうか。

 かつて必然性があったから、という理屈は、紹介した奴隷制度と同様、まったく発言の正当性もなければ、国際政治の場での受容性を持たない。

 本書には2002年7月1日に発足した、オランダのハーグ国際刑事裁判所に法的基盤を与える1998年7月1日付の『ローマ規程』第七条が紹介されている。

「人道に対する罪」(g)項は、「強姦、性的な奴隷、強制売春、強いられた妊娠状態の継続、強制断種その他あらゆる形態の性的暴力であってこれらと同等の重大性を有するもの」を「人道に対する罪」の一部として明確に定義している。日本は、この裁判所に2007年7月1日に加入。


 これが、いわば“グローバル”な見解である。

「慰安婦問題」についてどのような理屈をこねようが正当化する政治家は、まったく「グローバル」ではない、ということである。河野談話を否定することの外交上の影響を、政治家は十分に認識すべきだ。また、国際法を含め、官僚は政治家に“国際的常識”を伝授すべきである。

 高市早苗や橋下、そして老害石原、加えて今のままなら安倍も含め、戦争で被害を受けた相手の国民の心情を慮ることができず、その発言の外交上の影響も考えずに、結果として国の信頼を損なう発言をする政治家には、黙ってもらいたいものだが、「沈黙は金」という日本的な知恵も、必ずしも「グローバル」な正当性を持たない。

 今こそ、官僚が政治家のブレーンとして口の軽い彼らを諌め、またサポートしなければならないのではなかろうか。しばらくは安倍自民政権は続くだろう。彼らに国際感覚を備えた“大人”としての振る舞いと言動をさせなければ、日本はそれこそ“グローバル”な常識の通用しない好戦的な国として、ますます信頼されない国に堕すのみである。
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by kogotokoubei | 2013-05-15 20:42 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

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