噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

「戦場の漫才師たち~わらわし隊の戦争~」を見て。

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写真はNHKのホームページにある、“夏の「戦争と平和」関連番組”の同番組紹介ページからの借用。
NHKのHP内 “夏の「戦争と平和」関連番組”
この時期に戦争にまつわる番組が多くなるのは、それはそれで悪くないとは思うが、毎年似たような番組ばかりで閉口することもある。
しかし、8月11日のNHK(総合)のこの番組は、寄席・演芸の“お笑い”の切り口から、あの愚かな、そして二度と繰り返してはいけない戦争をテーマにした好企画だった。
この番組を見ながら、「わらわし隊」を含め、戦中・戦後のことを落語を中心に芸能分野から振り返った名著、小島貞二さんの『こんな落語家(はなしか)がいた-戦中・戦後の演芸視-』(うなぎ書房)を思い出した。
小島貞二 『こんな落語家(はなしか)がいた-戦中・戦後の演芸視-』
この本は2003年8月発行だが、6月に84歳で亡くなった小島さんの遺著となった。まさに「語り残したい」という思いの溢れた本である。番組と関連する部分を引用したい。

 戦時中、日本軍は“皇軍”と呼ばれた。
外地にいるその皇軍のため内地から駆り出された「演芸慰問団」の数は大変なものだった。芸能人と呼ばれる人で行かなかった人はいないといわれたほどに、みんな出かけている。
 因みに昭和十三年四月から十六年八月にかけて外地に行った慰問団の資料がある。
 陸軍恤兵部派遣が満州に21団、166人、970日。北支に38団、435人、1594日。中支に43団、382人、2182日。南支に20団、197人、1160日。計122団、1180人、のべ5906日。
 このほか各府県派遣が満州に45団、405人、2525日。北支に72団、647人、3026日、中支に66団、609人、2831日。南支に54団、422人、2010日。計237団、2083人、のべ10392日。
 おどろくべき数字といえる。


 あの戦争が日中戦争からの一連のものであり、慰問団もそういった時期に合わせて行動していることがわかる。しかし、「おどろくべき数字」という表現を超える、なんともすごい数の慰問があったものだ。
 さて、この本から“わらわし隊”のことも少し引用。

 昭和十三年に朝日新聞と吉本がタイアップして「わらわし隊」という慰問団を結成した。当時、陸軍の飛行隊は「陸の荒鷲隊」、海軍は「海の荒鷲隊」と呼ばれ、時代の花形であった。それを「笑鷲隊」とモジったネーミングで洒落ていた。命名は吉本の長沖一(漫才作家)と伝わる。


 NHKの番組では、この慰問団のこと、そして慰問団「わらわし隊」のスーパースターであったミス・ワカナのことを、生き残られた数少ない当時の兵士の方々への取材で振り返るとともに、芸能人からは、今年で83歳になる喜味こいしさん、そして共に今年90歳になる森光子さん、玉川スミさんが当時の回想を貴重な映像として残してくれた。
 喜味こいしさんは当時を振り返り、有無を言わせず慰問団に順番に派遣されていく先輩達の顔を見ると、「これが最後か・・・・・・」という万感の思いだった、と語る。
 玉川スミさんが、いまだに艶やかな舞台を勤めた後で、たぶん滅多に口にされないはずの、残酷な戦争という名の殺人シーンを回顧された言葉は、胸に重く突き刺さる。
 そして、ミス・ワカナに可愛がってもらい、舞台『おもろい女』でワカナを演じた森光子さん。正直な感想として、この番組を見ながら、「森さんの遺言か・・・・・・」という思いが募った。彼女が語る戦争体験とワカナへの思慕、結果として伝わる強烈な反戦の主張。演技ではない、人間“森光子”として語り残したいことを振り絞っている、という印象を強く受けた。

 ミス・ワカナは、番組でも紹介されていたが「ヒロポン中毒」で若くして世を去っている。再び、小島貞二さんの本から引用。

 「ヒロポン」というのも、戦中戦後の芸能界をゆさぶった。
 上方漫才の生き字引だった吉田留三郎さん(演芸評論家)にきいたところによると、初見は昭和十六、十七年ごろ。所は松島の八千代座。初代のミス・ワカナ(玉松一郎とコンビ)が、強行軍の巡業を終えて、グロッキーの状態で楽屋入りしたものの、とても高座はつとまりそうもない。支配人は医者よ薬よと大あわて。
 と、そこへ現れたのが陸軍の軍医大尉。ちょうど休暇の帰省中で、支配人の顔見知りだったらしい。一発ブスっと射ったところ、ワカナは生気はつらつ、体の疲れも頭のモヤモヤも吹っ飛んで、元気に高座をつとめた。
「この薬は眠気さましにもきくが、一刻を争う戦争に対し、一時的にエネルギーを集中出来る」という軍医の説明をきき、「兵隊の薬」は大したもんだと、吉田さんは驚いたという。どうやらこれが芸能界における「ヒロポン事始め」らしい。
 結局、ワカナは戦後間もなくの昭和二十一年十月十四日、三十六歳の若さで亡くなったがはっきりとヒロポン中毒であった。天才といえる稀有の才能の持ち主だっただけに惜しまれた。


 ワカナも、数多くの悲惨な現場を見たことだろう。たしかにヒロポンは、当時超売れっ子の彼女が激増する仕事をこなすための「魔法の薬」だったかもしれない。しかし、中毒になった場合の危険性を、ワカナがまったく知らなかったとは思えない。邪推であるが、私には、ワカナはヒロポンを服用することによる自殺であったのではないだろうか、と思うのだ。なぜなら、彼女が戦地で笑わせてきた兵士の多くが、ワカナの漫才で最後に腹を抱えて笑ったことを思い出として、死の戦場に戻って行ったのである。

 小島貞二さんも森光子さんや玉川スミさんとほぼ同年齢だったが、小島さん自身は終戦(敗戦)を南方の島で迎えている。思い出とともに、芸能に携わった一人としての反戦への思いをこの本に残したかったに違いない。

 森光子さん、玉川スミさん、そして喜味こいしさんには、まだまだあの戦争のことを語り残していただきたい。「敗戦」を「終戦」に言い換える誤魔化しに加え、時の流れは確実に「この前の戦争」を風化させていくのだから。
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by kogotokoubei | 2010-08-11 20:15 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

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