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新国立競技場問題、槇文彦の主張—日本建築家協会機関誌の掲載記事より。

新国立競技場の問題について、反対派の中でもっとも強い影響力を持っているのが、建築界のノーベル賞ともいわれるプリツカー賞を受賞している世界的建築家、槇文彦(85歳)だろう。
*このブログの従来通り、敬称は略します。

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 公益社団法人日本建築家協会の機関誌「JIA Magazine」の昨年8月号に、槇文彦は「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」という記事を寄稿している。同協会のサイトからPDFをダウンロードできる。一部を引用したい。
日本建築家協会サイトの該当ページ

 発表された新国立競技場案のパースが一葉、日本のメディアに公表された時、私の第一印象はその美醜、好悪を超えてスケールの巨大さであった。私自身がすぐ隣接する所で体育館を設計したその経験から直感的に抱いた巨大さであったが(図2)、このパースはよくこの2つの体育施設のスケールの差を示している。



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 *同誌に掲載されている写真。左が東京体育館。右が新国立競技場を東京体育館と対比させたもの。

 次に私がこの案に対して持った関心は、その接地性、言うなれば与えられた場所の中で、目線のレベルでその対象建築が様々な距離、角度からどう見えてくるかであった。もしもこの案の正確な立面、平面を与えられれば、コンピューターグラフィックによって即座に数十箇所からその見え方を検証することができたのだが、残念ながら私はそのインフォメーションを持っていないので、当分こうしたイメージをもとに検証を進めていかなければならない。そして、おそらく新国立競技場案の場合、我々の時と異なって、現存の施設の規模を遥かに超える「超超法規」が適用されたのではないかと思われる。

 

 この「超超法規」の一つの事実として、ザハ案選定後、競技場を管理する「日本スポーツ振興センター」(JSC)側から要請を受けた東京都都市整備局が、昨年6月に、一帯の高さ規制を75メートルに「緩和」した。
 
 槇文彦が、“残念ながら私はそのインフォメーションを持っていない”のは、競技場を管理する「日本スポーツ振興センター」(JSC)が情報を公開しないからである。

 日刊ゲンダイの今年1月24日の記事から引用する。日刊ゲンダイの該当記事

 日刊ゲンダイ本紙は建設予定費の積算根拠について、所管の文科省に情報公開法に基づき、開示請求を行った。すると、文科省の出してきた「見積書」は真っ黒け。A4判26ページの資料の中身といえば、工事内容や設計仕様、用いる資材の名称と数量、単価にいたるまで、すべてが墨塗りで隠されていた。

 文科省は「工事発注時の予定価格が類推される恐れがある」(スポーツ・青少年企画課)と説明したが、これでは建設予定費が当初より膨らんだ理由が、さっぱり分からない。積算根拠を何ひとつ明かさず、べラボーな税金を勝手に使うなんて許されない。


 血税が使われるにも関わらず、都合の悪いことを隠すのはどの役所も同じである。

 槇文彦の記事に戻る。

 私がハーヴァード大学に学んだ時、デザイン学部学部長は当時、都市デザインの権威ホセ・ルイ・セルトであった。次の彼の言葉が一生忘れられない。彼は、「都市で道を歩く人間にとって最も大事なのは、建物群の高さ15m位までの部分と人間のアソシエーションである」と言った。つまり人間と建物の視覚的関係には様々な距離が介在する。しかし建物に近づくに従って彼の触覚も含めた五感的体験はこの原則に支配されていく。それが人々の建築に対する好意を持つかの判断のベースにもなる。道行く人々にも様々な生態がある。そこを訪れるもの、散歩するもの、ジョギングをするもの……。今回のこの提案では東京体育館と現国立競技場の間の外苑西通りに沿った南北に延びる都市公園はほとんど消失し、2つの体育施設を結ぶ道路の上部には広場のスケールに近いプラットフォームが提案されている。
 計画の段階で建築の接地性、周縁の環境との関係を単に俯瞰するだけでなく、先に述べた目線からもチェックし、理解するに最も有効な手段は対象プロジェクトの縮尺模型である。我々は普通それをスタディモデルという。1990年に現東京国際フォーラムの国際コンペに、私は丹下健三、I. M. Pei氏等と共に審査の一員として参加した。Pei氏以外の二人の海外からの審査員に対しても周縁の状況をよりよく理解してもらうために、有楽町、東京駅、皇居のお堀端、JRを越えた銀座方面までを含めた敷地模型を用意し、参加者の提出したモデルを一つずつ落とし込み、様々な角度から数百の応募案を検討していった。もちろん目線からのチェックも当然なされた。その時、モデルが図面よりも何よりも一つひとつの案を絞り込んでいくのに効果的であったことを今でも鮮明に覚えている。主催者東京都の当時の知事は鈴木俊一氏であった。
 今回新国立競技場のコンペに参加する設計者には、模型提出は求められず、4枚のパースのうち外観パースは鳥瞰図一葉だけが求められた。一方このコンペにも二人の外国人建築家が審査員に含まれていた。
 また、今回の新国立競技場のような巨大な施設には充分なゆとりのある敷地が与えられていることが望ましい。何故か。それはイベント終了時における多数の人間をいかにさばくかという機能上のゆとりへの要請だけでなく、こうした施設が一般市民に必ずしも愛されるものでない、あるいは好ましくない時に生じる問題が常に存在するからである。


 模型の提出も求められず、外観パースは鳥瞰図一葉のみの提出・・・・・・これでは完成時点の周囲との関係などを推し量ることができないだろう。多額の税金の使い道を決めるにあたって、今回は先行の前段階からあまりにも杜撰であったと言わざるを得ないのではないか。

 紹介した中の文章を強調し再確認。

 “新国立競技場のような巨大な施設には充分なゆとりのある敷地が与えられていることが望ましい。何故か。それはイベント終了時における多数の人間をいかにさばくかという機能上のゆとりへの要請だけでなく、こうした施設が一般市民に必ずしも愛されるものでない、あるいは好ましくない時に生じる問題が常に存在するからである”

 すでに、“愛される”ものでも、“好ましい”ものでもないことが明白ではなかろうか。
 
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 記事中の画像を拝借。左がイチョウ並木と絵画館。右が新国立競技場案と絵画館の想像図。

 人によっては、右の光景にSF的な未来を感じて好ましいと思う方もいるかもしれないが、私にはグロテスクにしか見えない。絵画館を邪魔するだけの景色である。

 そして、空間的な問題のみならず、歴史という時間的な側面も重要だ。
 この特別寄稿記事は次のように締めくくられている。(太字は管理人)

 最後に、私は今まで述べたどのシナリオになろうと、少なくとも絵画館前の広場を大正15年に完成した当時のデザインに戻すことを強く提案したい。先に触れた西側の建物を除去し、もしも駐車場が必要とあれば地下駐車場を設ければよい。大正12年(1923年)の関東大震災では7万人余の尊い人命が失われた。その頃造営に着手していたこの絵画館と前庭の計画は、その3年後に完成する。私は冒頭「歴史的遺産として貴重」という言葉を引用したが、更にここの歴史を振り返る時、それは大震災で亡くなった人々に対する鎮魂のみちにも見えてくる。
 それが平成の都民が未来の都民に対して、また大正の市民に対するささやかな贈り物なのではないだろうか


 私は、こういう主張を明確に打ち出すことのできる日本人が少なくなったと思うので、この文章を読んで、なんとも言えない熱い思いがした。
 今回の競技場問題は、明治神宮、外苑、絵画館、イチョウ並木・・・・・・その全体の歴史や地理的な意義を考慮して、検討されるべきだろう。

 “建設という名の破壊”の象徴、新国立競技場などは必要はない。現在の国立競技場を修理、補強することで、歴史の遺産として残し、神宮外苑の緑も残すことが大切である。それが、“もったいない”の日本人の精神を示すことにもなると思う。
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by kogotokoubei | 2014-05-27 00:46 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛