噺の話

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志ん朝が稽古した福團治のネタ—「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」より。

毎週火曜夜に放送されているBS11の「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」を見た。

 ゲストは桂福團治の二回目。一回目は見逃していた。
 
 BS11のサイトで次のように紹介している。
BS11サイトの同番組のページ

【2月11日放送】
「桂福團治一人会 その2」
ゲスト:桂福團治

2週続けて桂福團治師匠がご出演!
春團治師匠の一番弟子であり、関西演芸協会会長を務める上方の重鎮・福團治師匠!
「落語の師匠は春團治。人生の師匠は藤本義一。」という福團治師匠。
作家・藤本義一先生と深い交流があり、あの伝説の番組11PMにレギュラーで出演。
藤本先生の直木賞受賞作「鬼の詩」が映画化され、福團治師匠が映画初出演で主演。
壮絶な演技で話題になり、喬太郎師匠も映画「鬼の詩」の大ファンなのだとか。
東京の落語家と多く交流があり、先代の正蔵師匠・談志師匠との想い出もをたっぷり。
落語は志ん朝師匠とのエピソードがある「くっしゃみ講釈」をお届けします。


 藤本義一作『鬼の詩』を以前紹介した。
2013年5月13日のブログ

 福團治が映画で演じた馬喬は、実在の米喬がモデル。女房の露役は、なんと片桐夕子である。映画『鬼の詩』

 昨日紹介した露の五郎兵衛の『上方落語夜話』には、次のような文章がある。

昭和43年、正月の各新聞はたいてい前年またはその年のホープと目される人が取り上げられるものですが、この年は上方落語の充実ぶりを、いろいろな形で取り上げ、小春、小米、朝太郎、春蝶、仁鶴ら若手のはりきりぶりが話題にのぼってきました。

 
 この“小春”が福團治である。ちなみに、“小米”が枝雀。

 『古今東西落語家事典』(平成元年初版発行)から引用。

【桂福團治】 かつら ふくだんじ
  黒川亮 昭和15年10月26日 
 昭和35年5月三代目春團治に入門し一春。同年小春、48年10月四代目福團治を襲名。
 ペケペン落語や『小学生』をはじめとする新作落語で売りだす。現在では、上方では珍しい『蜆売り』『鼠穴』などの人情噺の演じ手として評価を高めつつある。ポリープで声が出なくなった経験から、手話に関心を持ち、手話落語に取り組んでいる。


 番組のプロフィールが正しければ、小春襲名は入門後三年目昭和38年らしい。

 三代目の総領弟子。年齢では志ん朝の二つ下、枝雀の一つ下になる。

 番組前半の喬太郎との会話、かつての落語界の東西交流に関する思い出話が印象的だった。

 上方からは松鶴、米朝、春團治の大御所に福團治などの若手が加わって、末広亭や東宝名人会に十日間出演。東京からは文楽、正蔵、円生などに小ゑん時代の談志、朝太時代の志ん朝も加わって道頓堀角座での東西会。
 角座での交流会では、かしまし娘や宮川左近ショー、横山ホットブラザーズなどが会場をドッカンドッカン大笑いさせた後で談志が登場し、客席に向って「帰んな、帰んな」と言ってから残った客に向って『小猿七之助』を演じたというのは、なるほど家元らしい。
 喬太郎が、この逸話を聞いて“ぶるっ”と身震いがしたと言っていた。「私も『帰んな』って言ってみたいけど、皆、帰るかもしれないなぁ」。

 志ん朝が福團治の家を訪ねて『くっしゃみ講釈』の稽古をしてもらったという逸話も初めて知った。
 福團治の家のミシミシ言う床、ギシギシする戸に、「これ、いいねぇ。噺家の家はこうでなきゃあ」と言って帰っていったが、その後、福團治が新聞で志ん朝が五億円の家を建てたことを知り、「これ、いいねぇ」、というオチで、喬太郎も私も笑った。
 福團治の演じたテープを持って帰ったらしいが、志ん朝がこのネタを高座にかけることはなかった。福團治も、「勉強になるのでぜひ聴きたかった」ようだ。たしかに残念だが、志ん朝には講談が登場したり講釈から落語になったネタ、ほとんどないなぁ。このへんも、談志とは好対照である。

 志ん朝も評価した、福團治の『くっしゃみ講釈』。後藤一山の「難波戦記」が渋くて良かった。

 高座の後の対話では藤本義一の思い出。喬太郎は『鬼の詩』が大好きらしい。さすがに見てるねぇ、この人は。

 福團治は、ある程度の年齢になってからは「肩書きを取っていかなあかん」という藤本義一の言葉を紹介する。手話落語についても、藤本義一が強く支持してくれたらしい。

 今後、福團治は、お伽衆の曾呂利新左衛門の残された咄を掘り起こし“曾呂利ばなし”を試みているとのこと。「温故知新」の言葉で、対談を締めくくった。

 本で読むのとは別な楽しさがある、福團治の昭和落語夜話、という趣きで結構だった。


 福團治が振り返った、昭和三十年代から四十年代にかけての東西交流の活発さを思うと、現在でも、もっと交流があっても良いような気がする。個々人の噺家同士では活発ではあるが、協会同士で定席で十日間通し、なんて交流会はない。
 上方落語協会の会長さんは、いまだに続く自分の襲名披露でお忙しくて、東西交流に向けて努力しようなんて思っていないのかなぁ。
 ぜひ末広亭や繁昌亭で東西交流会を組んでもらいたいと思う。まだまだ聴きたい上方落語は多いし、関西の人にも一部の人気者の他に、いろんな噺家が東京にいることを知ってもらえると思うのだ。
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by kogotokoubei | 2014-02-12 01:41 | テレビの落語 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛