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英語教育「改革」という、義務教育の「改悪」に反対!

安倍政権は、中学の英語の授業を英語で行うなど、義務教育における英語教育の“改革”という名の“改悪”を進めようとしている。
朝日新聞サイトの該当記事

中学の英語授業、英語で 18年度から、教員能力も検証
2013年12月13日14時30分

 文部科学省は13日、中学の英語の授業は原則、英語で行うことなどを盛り込んだ「英語教育改革実施計画」を発表した。より実践的な英語指導への転換がねらい。学習指導要領の改訂などを経て、2018年度から段階的実施を目指す。

 高校の英語の授業は現在英語での指導が原則だが、計画では中学でも原則英語による指導とし、達成目標を現在の「英検3級程度」から「準2級程度」に引き上げる。高校では英語による発表や討論などを重視し、「準1級程度」を目指す。小学5年生から週1コマ教えられている「外国語活動」を小3からに早め、小5からは正式教科として週3コマ程度に増やすことなどを盛り込んだ。

 指導者確保のために、指導に優れた教員をリーダーとして加配▽英語力にたけた外部人材が小学校で指導できる特別免許を創設▽英検などで英語教員の能力を定期的に検証——などの対策を検討するという。

 政府の教育再生実行会議が5月に「英語教育の早期化」を提言し、文科省内で具体策を検討していた。

 下村博文文科相は同日の記者会見で「グローバル社会で活躍できる人材育成(のための英語教育)へ変わる必要がある」としたうえで、他教科も含む授業時数全体を「増やさないといけない」とも述べた。有識者会議や中央教育審議会で、制度の詳細を検討する。



 記事中にある「英語教育改革実施計画」(頭に「グローバル化に対応した」という言葉がつく)のPDFは、文科省サイトからダウンロードできる。
文部科学省サイトの該当ページ

 これがその1ページ目。文字が小さくて見えにくいが、ご容赦のほどを。

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 オリジナルデータはPower Pointだと思うが、相手に分かりやすい資料という観点から言うと、1ページにこれだけ文字を突っ込んではいけない。こんな資料でプレゼンテーションすることは、民間企業なら上司が許さない。
 
 文科省の人間がまとめたのだろうが、英語より前に、彼らの日本語によるコミュニケーション技術を“改革”すべきだろう。

 冒頭の部分には次のように書かれている。

 初等中等教育段階からグローバル化に対応した教育環境づくりを進めるため、小学校における英語教育の拡充強化、中・高等学校における英語教育の高度化など、小・中・高等学校を通じた英語教育全体の抜本的充実を図る。
2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、新たな英語教育が本格展開できるように、本計画に基づき体制整備等を含め2014年度から逐次改革を推進する。



 “グローバル化”に対応するための英語教育の強化を、なぜ“2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピックを見据え”て行う必要があるのだろうか。

 七年後に、ボランティアで英語のガイドができる国民を増やしたいということもあるようだが、オリンピックには、いろんな国の人が来日するのである。フランス語やドイツ語、中国語やハングルではなく、なぜ「英語」のみなのか・・・・・・。
 たしかに英語によって海外の方とのコミュニケーション機会は増えるだろう。しかし、問題は英語という道具で「何を」語るかである。

 この計画書の最終7ページには、こんなことが書かれている。

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 「日本人としてアイデンティティに関する教育の充実」だって!?

 落語愛好家としては興味深いことが、「伝統文化・歴史教育」という項目だが、このようになっている。

②伝統文化・歴史教育
○伝統文化に関する学習内容を充実:
そろばん、和装、和楽器、美術文化等の充実、武道の必修化
【H26年度概算要求】我が国の伝統や文化に関する取組を活用した
指導方法に関する調査研究

○歴史学習の充実:
・小学校−我が国の文化遺産の学習を新設
・中学校−授業時数増、130時間(25時間増)
・中・高等学校−近現代史の重視



 残念ながら「落語」という文字がないなぁ^^

 ぜひH26年度予算で、歌舞伎や寄席という伝統芸能を対象にした指導方法の調査研究をお願いしたいものだ。

 このページの一番下の枠にはこんなことが書いてある。

◎日本人のアイデンティティの育成に関する検討の実施
○趣旨:グローバル化が進む中、国際社会に生きる日本人としての自覚を育むため、日本人としてのアイデンティティを育成するための教育の在り方について検討し、その成果を次期学習指導要領改訂に反映させる。
○検討項目(イメージ):我が国の歴史、伝統文化、国語に関する学習の一層の充実のための方策



 “アイデンティティ”を育成、とあるが、いったいどんな“アイデンティティ”なのだろうか・・・・・・。

 日本人はどこから来たのか、を学ぶ教育をしっかりやるなら、アメリカよりアジアの隣人のことに思いが向かうだろうが、そんな授業をやるはずもないだろう。

“identity”という英語には、「同一性」「正体」「独自性」などの意味が含まれるが、ここで政府や官僚が言う“アイデンティティ”には、現在の日本と日本人を無批判に肯定しようとする甘えや、国粋的な匂いがプンプンする。傲岸不遜とも言える独りよがりの“アイデンティティ”の押し売りをしようとしているような気がするのだ。

 “グローバル”な人材の基本要件は、お互いの“違い”を認めることである。しかし、かつての“ゆとり教育”への過度な反省などから、いわゆる“個性”を肯定的に捉える教育論議が少なくなった。

 “日本人のアイデンティティ”を明治の偉人に求めるのなら、道徳教育において、四書五経を教材にする発想があってしかるべきだが、そうはならないのだろう。

 もし、東京オリンピック・パラリンピックをターゲットに政府が“グローバル”な視点で行うべきことは、義務教育における英語の授業を増やすことよりも、他の国の方がオリンピックに来ても片言でも日本人と会話ができるように「日本語教育」の強化を支援したり、「日本文化・伝統」について発信する機会を増やすことではないだろうか。桂かい枝、三遊亭竜楽、三遊亭兼好などの海外での落語会を国が支援することで、どれだけ日本の伝統文化が伝わるかと思うが、そんなことに税金は使わないのだろうなぁ。

 この問題については「教育再生実行会議」のことを含め、以前に書いた。2013年4月23日のブログ

 政府や官僚の語る“グローバル”とは、ほぼ“グローバル資本主義”のことであり、その“グローバル資本主義”と学校教育とは“食い合わせが悪い”と内田樹が書いていることも紹介した。

 4月のブログから再度引用したいことがある。

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宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書)
 宇沢弘文著『社会的共通資本』(岩波新書、2000年初版)の「第4章 学校教育を考える」から。
 

教育とは何か 
 教育とは、一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い、幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけるものである。そのとき、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーにもとづいて子どもを教育するようなことがあってはならない。教育の目的はあくまでも、一人一人の子どもが立派な一人の社会的人間として成長して、個人的に幸福な、そして実り多い人生をおくることができるように成長することをたすけるものだからである。


 今、政府がやろうとしていることは、著者が「あってはならない」と指摘する中の、“国家的”“経済的”イデオロギーにもとづいて教育しようとする試みと言ってよいだろう。

 同じ章の「大学の自由」の部分からも少し引用する。

 今、世界の大学人が共通してもっている問題意識は、政府からの圧力に対して、大学の自由(Academic Freedom)をいかに守るかということである。これは、国立大学はもちろんのこと、私立大学も、国からの財政的援助に対する依存度がきわめて大きくなってきたことに起因する。
 もともと、大学は、重要な社会的共通資本として、一国の文化的水準の高さをあらわす象徴的な意味をもち、その国の将来の方向を大きく規定するものである。このとき、国(Nation)の統治的な機構としての政府(State)からの力に対して、大学の自由をどのようにして守るかということが重要な課題となる。


 政府は、許認可の権利や補助金という札びらを目の前にヒラヒラさせて、大学の自由をも踏みにじろうとしている。

 英語の授業も、そしてアイデンティティを育成するための授業も増えることで、義務教育はいったいどうなってしまうのだろう。本当は、もっと学ぶべき内容の機会をどんどん迫害していくのではなかろうか。

 例えば、3.11を経験した日本には、私は小学校から「放射能教育」が必要だと思う。現在では静岡の一部の地域しか行われていないが、非常に重要な教育だと思う。何が危険で、どこまでなら安全なのかを知ることで、風評被害も減少するだろう。オリンピックで来日した海外の旅行者にも、そういった知識を踏まえて会話することが重要ではないか。3.11を経ても、やみくもに「安全」を語ることのほうが、日本人のアイデンティティについて疑問を投げかけることにはならないか。

 2020年には、フクシマがどんな状況なのか、東京への影響はどうなのか、といった旅行者からの質問に対し、データを元に的確に説明できる日本人こそ必要なのではないか。

 あっ、しかしそういった事実に基づくと、オリンピック自体が開催できないかもしれないなぁ。

 いまだに放射能汚染水を垂れ流していることに抜本的な対策が打たれていない。そういった国の“アイデンティティ”って、いったい何なのだろうか。
Commented by 佐平次 at 2013-12-15 16:31 x
教育というものは本来教えるのではなく、その人間に備わっている力を引きだすものです。
旧教育基本法を制定した時の文部大臣である田中耕太郎が「国家も真理及び道義に奉仕すべきものなることを明瞭にすること。国家が正邪善悪の尺度を規定し、国家に有用なるもの即ち正且つ善なりとの思想を排撃すること」と書いているのも今は昔です。

Commented by フォーミディブル at 2013-12-15 17:22 x
こんにちは、

アイデンティティというものは、個人の問題であって、
これが構築されていないといちばん困るのは、
自分自身が病気になってしまうことです。

教育で育成できるものではないと思います。

それについて、ブログ記事を書いているところで、
幸兵衛さんの記事の画像をお借りしますので、ヨロシクです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2013-12-15 17:48 x
先日、日本の製造業の今後についてある方とお話した際、二十代、三十代には優秀な人材がいるのに、彼らを生かす環境づくりができていない、という話で意気投合しました。
優秀な人材であればあるほど、早い時期に日本を離れる傾向は強まるばかりです。
学校も企業も、個々の力を引き出すことが重要なのに、まったく逆の方向に進めようとしているのが、今日の日本の教育行政と言っていいでしょうね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2013-12-15 17:54 x
どうぞお使いください。
たしかに、アイデンティティという言葉は、あくまで“個人”に関するものですよね。
それを“育成”しようとする発想自体が、非常に危険だと思います。

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by kogotokoubei | 2013-12-13 19:50 | 責任者出て来い! | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛