噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

“幻の噺家”柳家小のぶの逸話—江國滋『落語美学』より。

先月池袋演芸場の下席で、“幻の噺家”と言われる柳家小のぶの高座に出会えたことを書いた。
2013年6月29日のブログ
 寄席に出ない“幻の噺家”ということで、小のぶの独演会における逸話を読んだのは堀井憲一郎の『青い空、白い雲、しゅーっという落語』だ。
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堀井憲一郎_青い空、白い雲、しゅーっという落語

「芝浦の公民館の独演会は客四人」から、さわりの部分を引用

 柳家小のぶという噺家がいる。
 幻の噺家だ。
 自分でそう宣伝している。「独演会でした聞けない幻の落語家・柳家小のぶ」というチラシを見たことがある。たしかに独演会でしか聞けないらしい。でもその独演会もほとんど幻なのだ。
 大宮での幻の独演会に行ったことがある。独演会情報は『東京かわら版』という専門誌にしか出していないらしい。予約しておいたほうがいいかとおもって、電話してみた。本人が出た。



 ここから先は、ぜひこの本でご確認のほどを。大宮での独演会の客数は“つばなれ”したのだが、芝浦は章のタイトルの通り・・・・・・。

 
 実は、他にも何かで小のぶのことを読んだような気がしていて、なかなか思い出せなかった。

 しかし、何気なく江國滋三部作の一冊『落語美学』のページをめくっていて、発見した。
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江國滋著『落語美学』(ちくま文庫)

 この本の「芸の人びと」の中に、「正蔵の定期券」などと一緒に並んでいたのが「小のぶの計略」である。

 毎月第一土曜日に東宝演芸場で開かれる「落語勉強会」は、若手の落語家にとって何よりも修業の場である。
 円生、小さんなどといった大幹部が交代で客席にまわってメモを片手に熱心に聴いてくれるのだから、やりにくいといえばやりにくいだろうが、有難いといえばこんな有難いことはなかろう。いつぞや円生と並んで聴いていたら、メモをとる手を休めて、
「こうやって全部聴くとぐったり疲れます。重労働なんですよ」
 といって首をすくめた。それはそうだろう。文豪が文学青年の持込み原稿にたんねんに目を通すようなもので、愛情がなければ出来る仕事ではない。
 その日のお客さんたちによる人気投票があって、一位に選ばれると東京放送に出演させてもらえる仕組みなのだ。
 (中 略)
 その勉強会で小のぶが『干物箱』を演じて一位に選ばれた。
 柳家小のぶ。小さん門下の二ツ目だが、養老院の慰問をしたり、大衆温泉で百面相をしたり、キャバレーで司会をしたりしながら、汁粉屋の二階やお寺の本堂を借りて『小のぶ勉強会』を開く意欲も持っている。だが、演じる噺にもう一つ迫力がたりないのは、もしかすると胃弱のせいかもしれない。
 小のぶにはじめて会った時、ぼくは痔の手術をうけた直後で、病院のベッドで呻吟している最中だった。いま薬をのもうという丁度そこへ小のぶが飯島友治氏のお使いでやってきて、水をふくんだぼくの口もとをみるなり、いきなり、
「あ、あたしも薬をのむ時間だ。すみません、あたしにも水を一杯下さい。胃が悪いもんですから・・・・・・」
 といって胸のポケットから薬の包みをとり出し、器用な手つきで紙をパタパタいわせて白い散薬を服用してから、やおら、
「小のぶでございます。はじめまして」
 といった。おたがいに薬をのみ合って「はじめまして」というのがひどくおかしかった。
 それ以来時おりやってきては「胃が悪いと安い酒やヘンな料理はてきめんにいけません。お宅で出されるものなら大丈夫です」などと勝手なことをいっていくようになったが、何度目かの時に、
「今度の勉強会に『干物箱』をだしますからぜひ聴きにきて下さい。忙しかったらあたしのだけでもいいですから」
 と意気ごんで帰っていった。そして、その意気ごみどおり勉強会で一位になった。その日、ぼくは所用があって聴きに行けなかったが、いい出来ばえだったらしい。


 江國滋が昭和9年生まれ、小のぶが昭和12年生まれで三歳違いだ。小のぶの二ツ目時代が長いので時期の特定は難しいが、この本の初版発行が昭和40(1965)年なので、察するに昭和30年代後半、二人が二十歳代のことだろう。

 落語勉強会の一位の約束である東京放送(TBS)の出演は、一席の後に、なんと文楽との対談が組まれて、小のぶは江國に、念入りに「どんなことがあっても必ず聴いてくれ」と依頼する。しかし、放送当日は仕事があったため奥さんがテープに録音しておき後から聴いた。その感想。

 聴いてみるとどういうわけかあまり出来がよくない。ひどい失敗というわけでもないが、しかし「どんなことがあっても必ず聴いていただきます」というほどのことはない。噺が終ると、なるほど文楽が出てきて懇切丁寧な批評をはじめた。
・・・・・・ああ、どうもごくろうさん。いまね、聴いてました。よく似てるね。よく覚えたよ。よく覚えたけれどもね、ただね、注意するところはね、(中略)
 いかにも情のこもった文楽の言葉は、そのまま一つの芸談になっていて快かったが、その間小のぶはただ「はァ」「あ、そうスか」「はい」と消え入るようにつぶやくだけ。もちろんそれは当り前のことで、大長老を前にして二ツ目がペラペラ喋ったりしたら鼻もちならないことはわかりきtっているが、それにしても「対談するんです、対談ですよ」というニュアンスとはあまりにちがいすぎるではないか。



 文楽の前で、言葉少なに相槌を打つだけだった小のぶだが、なかなかしたたかなところもある。

 ゴールデンアワーでの放送でもあり、文楽との対談もあるというのではりきって<謹啓 来る何月何日午後七時半から東京放送で三十分の放送をします・・・・・・>という予告のハガキを五百枚印刷していた。

 しかし、出来は悪い・・・・・・聴いて欲しくないが、落語勉強会で投票一位になり東京放送にも出演した、という事実は知ってもらいたい・・・・・・ということで出した結論。

 そこで綿密に計算した上で、今夜放送というその日の昼まえになってからいっせいに投函。五百枚のハガキの大部分はもくろみどおり翌十八日の朝到着したという。
「そうしたら電話がジャンジャンかかってきましてね。みんな、せっかくの放送を聴きそこなったじゃないか、なぜもっと早く通知をくれないんだっていうのばかり」
「それでどうしたの」
「それでね、しょうがありませんから、すみません印刷屋が遅れちまって・・・・・・って、印刷屋のせいにしときました」
 そういってケロリとしている小のぶの表情に、あるふてぶてしさを感じて、ぼくは、こいついい噺家になるんじゃないかなと思った。



 “薬”に関する出会いのエピソードは、なかなか考えさせるものがある。

 江國滋は平成9(1997)年に63歳で食堂癌で亡くなっている。句集『癌め』と俳句日記『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』が、没後に発行されている。

 そして、寄席には出ない、と言われていた胃弱の幻の噺家が、今、その寄席にも出るようになった。

 江國滋が指摘する、そのふてぶてしさが、今になっての寄席出演という行動になったのかどうかは、分からない。

 小のぶは、当時、きっと同年代の江國滋のこの本を読んで大いに励みになっただろう。

 
 ここからは私の思い込み。胃弱をいたわりながら今も高座に出ることの出来る幸せを感じ、亡き江國への感謝の想いなどもあっての寄席出演ではないか・・・・・・と勝手に想像している。

 独演会も含め、あらためて小のぶの高座を聴きたくなったし、その“したたかさ”にも触れたい気がする。当時の文楽との対談の思い出なども語って欲しいものだ。

 さて、落語協会の代演情報や、彼の独演会情報を探さねばならないなぁ。いっそう、“幻”を追いかけたい思いが募ってきた。聴かなきゃならない噺家は、東京にも上方にも、まだまだいっぱい残っているようだ。一日二十四時間、一年365日の中で、どうやって時間と木戸銭をやりくりするか、これが、また嬉しい悩みでもある。
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Commented by 佐平次 at 2013-07-12 10:26 x
どれも読んだはずなのに思い出せない。
本は面白いのが数冊あればいいってことか、ヨンジャ忘れ忘れちゃ読み^^。

Commented by 小言幸兵衛 at 2013-07-12 12:07 x
堀井さんの本にあったのは、覚えていたのですが、「どっかで目にしたなぁ」とは思っていても、まさか『落語美学』だったとは!

健康のためにも忘れるからいいのですよ。
ただし、落語会の日は、大きなカレンダーで赤丸つけておいてください^^

Commented by 佐平次 at 2013-07-13 09:50 x
大きなカレンダーは風景に化しているからなあ^^。

Commented by 小言幸兵衛 at 2013-07-13 10:02 x
別に曜日と数字だけのカレンダーが必要かもしれませんね。
それも大きな字のやつ^^
私もカレンダーの印を見て思い出すことがあるんです。
居残り会のある場合は「居」と書いてあります。

Commented by らくだ at 2013-07-25 17:03 x
小のぶ師匠の独演会行ったことあります。お江戸日本橋亭でした。私もいろんな方が聴きたくて出かけたのだと思います。いまでも案内状をいただいていますが、その時の印象があまりよくなくて行かなくなりました。多分ご病気かなにかで声が出なくなってしまったのだと思いますが、ほんとに聴き取りにくかったです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2013-07-25 17:52 x
お久しぶりです。
そうですか。江國さんとの「薬」の縁が物語るように、内臓が強くはないのでしょうねぇ。
しかし、一病息災、ということなのかもしれません。
池袋では、しっかり聞き取ることができました。
独演会、都合がつけば何とか行きたいと思っています。

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by kogotokoubei | 2013-07-11 20:00 | 落語の本 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛