噺の話

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“偽維新”の「最低賃金制の廃止」という暴論—「内田樹の研究室」より

マスコミが特定政党の広報部門に成り下がったり、特定人物の攻撃の片棒をかついだりしている今日、大メディアが真っ当に取り上げない重要事項については、もはやネットしか頼りにならないのかもしれない。

 “偽維新”の会が、公約の一つに「最低賃金制の廃止」を掲げていることについて、「内田樹の研究室」から“正論”が飛び出した。この件のマスメディアの扱い自体が、ネットの影響を受けていることも指摘している。
「内田樹の研究室」2012年12月1日の記事

最低賃金制の廃止について

日本維新の会が選挙公約として「最低賃金制の廃止」を打ち出し、波紋を呼んでいる。
公約発表時点では、私の知る限りどの新聞もこの公約について主題的に検討しなかった。
無視したのである。
その後、ネット上で反対論が噴出して、それを承けてはじめて報道するに至った。
この問題についてのマスメディアの無関心と危機感の希薄さが気になる。
これまで繰り返し書いているとおり、現在日本のエスタブリッシュメントは政官財メディアを挙げて「若年労働者の雇用条件の切り下げ」をめざしている。
その理由は何度も書いてきた。
「日本の中国化」である。
大飯原発再稼働のときの財界の主張をご記憶だろう。
日本にはもう生産拠点を置き続けることはできない。
その理由として指摘されたのが、人件費が高い、法人税率が高い、公害規制がきびしい、電力料金をふくむ生産コストが高い、という点である。
ここで原発を止めて火力に切り替えるなら、もう価格競争で他国に勝てない。
原発を再稼働しないなら、われわれは外国に生産拠点を移さざるを得ない。
それによって国内の雇用が失われ、地域経済が崩壊し、法人税収入がなくなっても、それはすべて政府の責任である。
この恫喝に政府は屈して、大飯原発再稼働を認めたのである。



 まさに「恫喝」に屈したのが民主党政府であり、橋下でもある。
 今夏の関電エリアの電力が、大飯再稼動がなくても十分に足りていたことは、もはや周知の事実。しかし、原発から火力へのシフトによる原料費の増加で経営が悪化する、というロジックが、電気代の値上げという、もう一つ別の「恫喝」となっている。しかし、これまで電力会社が原料費を低減させる努力をしてこなかったことこそが、問題である。
 また、製造業において人件費や光熱費、そして原材料費の高騰が競争力の低下につながる、だから日本も賃金構造を変えなければならない、というロジックが「日本の中国化」論の背景にある。

 しかし、この「日本の中国化」は、中国の賃金上昇によって「XX化」の名が替わらざるを得ない構造にある。安い人件費のみを求めるのなら、その“旅”には終わりがない。

 あらためて維新の公約のことを考えると、いわゆる発展途上国の人件費が安いことが、なぜ日本の人件費を抑えることにつながるのか、という素朴な疑問を呈するマスメディアは、皆無ではないのか。

内田は次のように続けている。

ご覧のように、日本からの生産拠点の流出による産業の空洞化の第一の原因として財界人が第一に挙げるのはつねに「高すぎる人件費」である。
だが、変だと思わないか。
中国やインドネシアやマレーシアで格安賃金労働者が雇えるなら、黙ってそちらに移動すればいいことで、日本の若者の賃金の切り下げをうるさく主張する必要はない。
でも、うるさく主張する。
それは彼らも本音では海外なんかに出て行きたくないからである。
日本にいたいからである。
タイの洪水や中国の反日デモで露呈したように、海外に生産拠点を移した場合には言語障壁、自然災害、社会的インフラの不備、政情不安など安定的な操業を阻害する要因が多い。
いくら低賃金で労働者が雇えても、デモ一発で10月のトヨタのように月産8万台がゼロになってしまったり、株価が30~40%も下落してこつこつ貯めた利益が一夜で吹っ飛んだりするようであるなら、多少のコスト高は飲み込んでも、日本国内で操業する方が「安全」である。
現に中国では労働者の賃上げ要求で罷業や略奪が頻繁に起きている。このままいいなりに賃上げしていれば、「安い人件費」を求めて生産拠点を移したメリットがなくなる。
だから、大手の製造業はすでにインドネシアやマレーシアやベトナムに生産拠点を移し始めている。
だが、その「引っ越しコスト」は半端な金額ではない。
いずれインドネシアが経済成長すれば、ここでも人件費の引き上げが要求されるだろう。
「このやり方」が正しいという前提に立つなら、次はミャンマーかスリランカかあるいはアフリカかに工場を移転しなければ話の筋目が通らない。



 かつて、日本の民生家電企業が強い時には、モノづくりで語られたのは、必ずしも「コスト」ばかりではなかった。いわゆる「付加価値を高める」という言葉がよく唱えられていた。それは、先端技術を応用した製品化であり、いかに軽薄短小な製品に高機能を詰め込むか、という競争が、良い方向に働いていた。しかし、残念なことに、“ガラパゴス”状態を放置してきた携帯の世界は米のA社と韓国のS社に水をあけられ、やみくもに設備投資をしてきた液晶メーカーは台湾企業の資本に頼らなければならない事態を迎えている。しかし、それは、必ずしも日本の人件費が高かったことが要因でもなんでもない。

 “偽維新”は、産業界やマスコミが、企業が日本に残って経営を続けても、少しでも利益が出るために唱えている「日本のxx化」の片棒をかつごうとしている。

 内田は次のように表現している。
 なお、ここでいう“ビジネスマン”は、経営者とか財界、と読み直した方がよいだろう。

そんな引っ越しを繰り返し、そのたびに新しい「リスク」マネジメントを学び直し、制度設計をやり直すコストは人件費で浮いた分を大幅に奪って行く。
それならいっそ日本に戻った方がましだ。
社会的インフラは安定しているし、政情も安定しているし、防災もさすがに手抜きはしまい。だいいち日本語が通じる。
人件費さえ安ければ日本に帰りたい。
それがビジネスマンたちの悲痛な本音なのである。
だから、この数年間の政財官メディアは一致協力して「中国なみ人件費達成プロジェクト」を推進している。
「大学を減らせ。学力の低いものは大学に行かせず、高卒で働かせろ」というキャンペーンは毎年数十万の低学歴・低学力労働者を生み出すことをめざしている。
就職情報産業主導の「就活」キャンペーンは、若い働き手をほんとうに求めている業種については意図的に情報を遮断し、グローバル企業を筆頭とするごく狭い求人市場に学生たちを送り込み、激烈な競争にさらすことで、学生たちの自己評価を切り下げ、「どんな雇用条件でもいいから、働かせて下さい」という卑屈なマインドセットを刷り込んでいる。



 かつて日本企業は海外から見習うべき対象だった。その長所として挙げられていたのが、「家族的企業文化」「年功(長幼の序)主義」「和の精神」「チームワーク」「QC活動」と言った言葉であったように思う。
 現在では、それらの言葉のほとんどはネガティブなイメージに包まれていたり、死語になりつつある。
 私が江戸時代のことや落語が好きなのは、日本人の良さを確認したいからかもしれない。かつて義務教育にあった「道徳」の授業が、どんないきさつで消えたかはよく知らないが、「年功主義」ではなく「長幼の序主義」という言葉が、現代に残って欲しかったと思う。

 グローバルとかコンペティションなどという英語がマスコミに頻繁に登場するに伴って、日本的な美学を象徴する言葉は、対照的に唾棄すべきものとして語られてきた。それは、創業社長が減って、サラリーマン社長が増えたことも影響している。

 短期的な成果を求める、特にアメリカの産業界の悪弊が日本でもはびこり、MBAなどという資格が重宝されるようになると、長期的な視野での研究開発や、チーム全体での目標の共有と達成への協力などに替わって、短期的な利益の捻出と、個人個人の競争による成果主義が浸透してきた。「成果主義」「目標による業績管理」などというアメリカ型の人事管理手法を、かつて私自身も人事メンバーとして検討した時代がある。
 しかし、日本企業の多くが高い授業料を払って、こういったアメリカ型の人事管理手法が、そのままでは日本企業に馴染まないと勉強したにもかかわらず、競争こそ正義、といった“新自由主義”的な悪弊だけは、経営管理者にとって都合の良い道具として、残ったままになった。
 経営者にとっては、それは経営努力を放棄するにも等しいことであり、“楽”な企業統治を可能とする。ノルマで縛り付け、金を稼ぐことやコスト削減こそが最重要の指標となり、自由を放任と読み違えて、競争させるに任せ人材をとっかえひっかえする、という日本の伝統にはなかった悪習が蔓延しつつある。今や、出来れば賃金の安いパートや契約労働者のほうに成果をあげてくれることを期待するかのような会社ばかりではないのか。そういった、日本的な“人”と“人”とのつながりを否定するような組織からは、実は優秀な人材からどんどん消えて行くことになる。
 
 “新自由主義”を背景にした経営や政治は、「生き甲斐」や「働き甲斐」という言葉の対極にある、と認識すべきだろう。

 家族的な企業環境において、先輩の指導や叱咤を受け仲間と一緒に切磋琢磨し成長して、強いチームワークで優れた製品を開発してきた、そういう日本ならではの組織の強みは、どんどん消え去ってきた。それは、社員を“人財”とみなしてきた企業が、社員を“数字”としてしか管理しなくなったからである。数字なら、いつでも交換可能である。しかし、そういった組織では、「1+1=2」が最高であり、「1+1=3」や「1+1+1=5」というチームによるパワーアップ、いわゆる相乗効果は望めない。
 
 企業も国も、一人一人の人間の集合体であって、数字の寄せ集めではない。それぞれの得意分野を生かし合って、組織は一人では実現しえない成果を生み出すことができる。

 しかし、そういった“人財”を、日本企業が自ら放棄してきた歴史が、今につながっている。
 たとえば、日本の民生家電企業の停滞の要因の一つは、実は優秀な社員を自ら手放した歴史に求められる。転機となったのは2002年の大幅赤字決算。あの時に、アメリカ型経営管理ブームに便乗するかのように、大胆なリストラの実施などに踏み切って短期的な財務改善を目指したのが、現在の業界衰退の背景にあると思う。もちろん、2007年問題と言われていた、“団塊の世代”の大量定年を前にして、組織のスリム化を図る意図もあっただろう。
 しかし、あの頃、上積みされた退職金で第二の人生を考えさせる動機と、それまで抱いてきた愛社精神の希薄化により、どれほど多くの優秀な五十代の人材を失ったことか。そして、それらの人材を韓国企業などは短期高報酬で雇い、取れるだけの技術やノウハウを搾り取っていた。私は、あの頃からの人材における韓国や台湾の「+」、そして日本の「−」が、現在の状況につながったと言っても過言でないように思う。

 “新自由主義者”たちの提唱するように、自由な競争の中で勝ち残るだけが企業や国が生き残る道であるはずがない。日本人には、日本人の強みがある。それは“互助の精神”であり、チームワークなのであって、そういった日本人のDNAに適合した企業文化が強い組織をつくってきた歴史を、今日「日本の中国化」を唱える経済人は、忘れている。

 すでに書いたことだが、橋下は「日本未来の党」結成に対し、、「脱原発のグループが新しくできたが、彼らはいくら言っても実行できない。それは実行した経験がないからだ。嘉田氏に国会議員や政治グループを束ねた経験はない」という、とんでもない論理で批判した。2012年11月28日のブログ
 この「過去にできなかったことは、今後もできない」という“成長”という言葉の存在を否定する論理と同じように、少し考えれば分かることなのに、橋下が「最低賃金法の廃止」によるとんでもない雇用シミュレーションをしていることを、内田は指摘する。

最低賃金は最低限の雇用条件を確保するための強制的に時給の最低ラインを定めたもので、厚労相が労使代表と中立の公益委員に諮って相場や景況を判断してガイドラインを示し、都道府県ごとにそれを調整して採用している。
東京都は時給850円、大阪府で800円、最低が島根と高知で652円。
適用されるのはパートやアルバイトなど、雇用形態にかかわりなく、非正規雇用も含めて、すべての労働者である。
これを廃止するというのが維新の会の主張である。
橋下市長は「最低賃金のルールがあると、あと2,3人雇えるのに1人しか雇えなくなる。安く働けということではなく、賃金はできるだけ出して雇用も生んでもらう」と30日の記者会見で述べた。
市長はたぶん四則計算ができるはずだから、1人当たり時給800円のルールを廃止して、それで3人雇うということは、1人当たり時給267円になるということはわかると思う。
そもそも、この800円という目安そのものが廃止されるわけであるから、3人に対して時給267円というガイドラインも廃止される。
いくらでもいいのである。100円でも50円でも、雇う「権利」が雇用者側に発生するのである。
時給267円で8時間働いても一日2、136円である。月に25日働いて53、400円である。
これなら中国人労働者なみの雇用条件まであと一歩というところである。
そういう労働者が大量に備給されるなら、たしかにグローバル企業は国際競争(それは今では「コスト削減競争」と同義である)において相対的優位を占めることができるだろう。
もちろんその結果、国内の市場は冷え込み、内需は崩壊し、地域経済も衰退し、社会保障支出が増え、社会不安が亢進し、遠からず国民国家はその体をなさなくなるだろうけれど、そんなことはビジネスマンには「知ったことじゃない」のである。
彼らにとっては次の四半期の収支と株価だけが問題なんだから。
そういう目的に邁進するべく制度改革をしたいという政治家がわらわらと輩出し、それに拍手喝采する人々がいる。
いったい何を考えているのだろう。


 
 「日本の中国化」あるいは、将来の「日本のアフリカ化」を目指して賃金をどんどん押さえていく政策からは、とても明るい未来など見えそうにない。
 
 私も思う。
  “偽維新”は、いったい何を考えているのだろう。
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by kogotokoubei | 2012-12-03 19:34 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

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by 小言幸兵衛