噺の話

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上方落語が華やかだった頃の、バラエティに富んだ噺家とネタ。

せっかく「上方落語」というカテゴリーを作ったのに、あまりにも記事が少ないことを反省。

 明治の半ば、上方落語界は「桂派」と「浪花三友派」というライバル同士の切磋琢磨によって、大いに盛り上がっていた。二代目文枝襲名争いに端を発したこの両派の成り立ちは、初代桂春団治のことを書いたブログの中で紹介したので、ご興味のある方はご参照のほどを。
2011年10月6日のブログ

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関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)

 その時も引用した関山和夫著『落語名人伝』から、当時の上方落語界で活躍した噺家とバラエティに富んだ得意ネタを紹介したい。

 「桂派」「浪花三友派」が対抗して芸を競ったころ、一体噺家たちはどのような噺を演じていたのであろうか。前田勇著『上方落語の歴史』に番付などによる名人・上手の十八番が掲げられている。実に興味深い。それによれば、「桂派」では、二代目文枝は素噺、二代目文三は「百年目」「掛取り」、二代目南光は「稽古屋」「先の仏」「猿回し」、燕枝は「ない物買い」、談枝は「軒付け浄瑠璃」、万光「一休」「松茸山」「背虫茶屋」、二代目梅光はオッペケペー節、小文枝は「質屋蔵」「後家殺し」、枝太郎は「理屈按摩」「土橋万歳」、枝雀は「船弁慶」「野崎参り」、扇枝は「掛取り」、文屋は「辻八卦」「書生車」、伯枝は「立切れ線香」、三五郎は「春雨茶屋」「密合酒」<以上の人々の亭号は、すべて「桂」>、林家花丸は「新辻占」、五代目林家正楽は「鉄砲勇助」、笑福亭福助は「米揚げいかき」「口合小町」などであり、「浪花三友派」では、月亭文都が「背虫の住吉参り」「当世浮世床」、笑福亭福松が「紙屑選り」、笑福亭松光が「反魂丹」「化物長屋」「引導鐘」、艶文亭かしくが「たちぎえ」「辻占」、二代目桂文団治が「野崎参り」「三十石」「佐々木信濃守」、二代目桂米団治が「五人裁き」「三人兄弟」「立切れ」、二代目桂米喬が「鋳掛屋」「胴乱の幸助」、桂梅団治が「乙女狐」「稽古屋」、桂篤団治が「綿屋の火事」、三代目笑福亭松鶴が「大塩」、三代目笑福亭松竹は素噺、五代目笑福亭吾竹は「清水景清」、桂文我は「愛宕参り」「按摩芝居」、曽呂利新左衛門は「下の関水」「虱茶屋」などである。


 並んだネタ、半分以上は聴いたことがない。

 ちなみに、二代目米喬が、十月三十日に亡くなった藤本義一の直木賞受賞作『鬼の詩』で、桂馬喬として描かれる主人公のモデルである。映画で馬喬を演じた桂福団治は、来年藤本義一追悼落語会を開催するらしい。スポニチの該当記事

 さて、本書のことに戻ろう。明治の上方落語黄金期に、何とも多くの噺家さんがいて、バラエティに富んだネタが演じられていたことか。それぞれの噺家の十八番に、ほとんど重複がない。

 この本ではこの後、桂米朝の『米朝上方落語選』に収められている、米朝と小島貞二との対談から米朝の言葉が引用されている。

「明治二十六年かの番付ですと、はなし家の数が百二十五人からおり、定席かて、大阪に十四軒、京都や神戸も入れると二十軒近くあったようです。それ以外に端席もあり、盛んやったんですな。それが、明治も四十年ごろになると、両派合同の興行なんてものをやっています。下り坂の証拠でしょうなァ」と発言しておられる。明治三十六年の番付では、東京から参加していたものも含めて落語家は八十四名、定席は大阪が八軒になっている。だいぶ減少していることがわかる。近代上方落語の盛衰が示されている。私が特に注目しているのは、明治の「桂派」「浪花三友派」時代と現在の上方の演芸興行形態が如何に違うかということである。


 この本が発行されたのは、ちょうど二十年前の平成四(1992)年である。著者関山和夫は、二十年前の“現在”、明治の黄金期の上方落語界のことに思いを巡らしている。

 それでは、平成二十四年の“現在”の上方落語界は、どうなのだろう。

 二十年前よりは、間違いなく活況を呈していると言うことはできるだろう。

 繁昌亭という定席が出来、(古典のできない)六代目文枝が誕生し、二代目文枝の名を継ぐことができなかった二代目桂文都が名乗った月亭文都の名跡も来年三月に八天が七代目として継ぐことになり、これら懐かしい大きな名跡の復活もあって、勢いを取り戻しつつあるように思う。

 ちょうど今日、桂文我から封書が届いた。この人は、落語会のアンケートに答えると律儀に案内を送ってくれる。大手の興行会社から届く葉書ではなく、決まって封書。そういえば、談春の会を仕切る事務所からも、手書きではないものの、談春のなかなか心のこもったメッセージと今後の落語会の案内が届いていたなぁ。都内の各地での会は、私が行かない日曜ばかりだった・・・・・・。

 さて、文我の封書のこと。今後の落語会の案内チラシと手書きの手紙が同封されていた。

 宗助との二人会は、十二月二十三日(日、祝日)の夜・・・・・・。文我は『古事記』の落語版を演じるらしい。宗助は未見なので、ぜひ行きたいところだが、都合がつかない。残念。梅団治との二人会は三月五日(火)の夜で国立演芸場。開口一番は桂小鯛。文我は『三枚起請』と『応挙の幽霊』、鉄ちゃんの梅団治が『つぼ算』と、きっと新作だろう『切符』。期末で何かとあるが、行こうと思う。
 そして“おやこ寄席”が宗助との会の翌二十四日祝日に、日本橋であるらしい。この寄席は、文我のライフワークと言ってもよいのだろう。過去の会のDVDが発売されるようだ。

 そういえば、最初に紹介した文中の『三人兄弟』は文我で聴いた。

 そこで、思うのだ。もし、平成二十年代が、「上方落語の平成黄金期」と呼ばれるようになるには、過去の上方落語発掘の功績がある米朝の流れを引く文我に限らず、数多くの上方の噺家さんが、「上方落語の明治黄金期」に演じられて今では聴くことのないネタを、もっと掘り出して次の世代につなぐ必要があるのではなかろうか。

 文枝、文都という、明治の黄金期に「桂派」と「浪花三友派」を代表した名跡の復活を機に、“創作落語”も結構だが、当時の先輩達が手がけた数多の上方噺を、ぜひ平成の世に蘇らせて欲しいと切に願うのである。

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Commented by 明彦 at 2012-11-24 00:08 x
関山氏の並べられたネタ、さすがに全く知らない題名が幾つもあります・・・。
埋もれたネタのデパートと言えば、何と言っても文我師匠ですが、この方はご存知の通り上方落語協会と対立しているので、どこまで次代に珍品が受け継がれるかは微妙ですね。
僕が生で聴けた珍品としては、『背虫の住吉参り』『背虫茶屋』と同じ内容と思われる『卯の日参り』が、米朝師匠→雀三郎師匠→ブラック師匠(!)と受け継がれています。
絶対に放送出来ない恐ろしい、でも埋もれると残念な深い噺です。ちなみに僕は聴いていませんが、「芸は最も米朝に近い」とも言われる宗助さんもやらはるとか。
『三人兄弟』は、松喬一門随一の正統派・生喬師匠で聴きました。ほめ・くさん曰く「学者のような風貌」のこの方は、同郷の文我師匠とも親しく、他にも随分珍品を継いでいます。
『土橋万歳』は文我師匠でも聴いていますが、文都にならはる八天師匠が歌舞伎に対する薀蓄を生かし、芝居がかりの部分を拡大して『夏祭浪花鑑』と元ネタ通りの題名にして、盛んに演じています。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-11-24 09:34 x
さすがに明彦さんは、今日では珍しい上方ネタを数多く聴かれていらっしゃるようですね。うらやましい限りです。

枝雀一門の多くは、文我に限らず協会に所属していなかったはずですが、その後入会した人もいるので、なおさら文我が目立ちますね。協会所属の噺家さんとも人的な交流はあるはず。
他の噺家さんも含め、“上方噺発掘プロジェクト”が広まることを期待したいものです。
『卯の日参り』、ぜひ聴いてみたいです。
宗助も生喬も未見、そのうちぜひ聴いてみたいのですが、なかなか日程などご縁がない。
そのうちそういった噺家さん、そしてまだ聴いたことのない上方伝統の噺に出会えることを、気長に待ちたいと思います。
かつて営業職の時には関西出張もあったのですが、今はなかなか出張もままならず、江戸で上方を待ち構えるしかないので、選択肢が限られております。
生に限らず音源も捜し、少しでも多く上方の埋もれた噺を聴こうと思います。
明彦さんの情報は、いつも大変うれしく拝見しております。
今後も、よろしくお願いします。

Commented by tiwo(通りすがり改め) at 2012-11-24 15:37 x
上方の話題なので、また書き込みに来ました。
(少ない知識と浅い経験からの)実感では、「活況を呈している」ほどかなぁと思います。
逆に思ったほど盛り上がってない、人気が続いてないという危機感が、この例年の襲名なんじゃないかなと。
だから協会や家の縛りとか、昔ほどな無さそうな気が。
(それどころじゃないし、人も多くないし)

文我さん以外で、私が知っている珍しい噺を聞ける人は、桂枝三郎さんと桂文太さんです。
(好き嫌いと、行き当たりばったりで聞いている中でですが)
あと、米朝師匠のCDでしか聞いたことのない艶噺を聞けたのは、森乃福郎さんでした。
(でもえげつない上に下げの意味が分かりませんでした・・)

上記の3名や八天さんは、同時に創作もされています。
古典の発掘や継承には、アレンジや上手い事やるセンスが必要だと思うので、
そういう能力も必要なんだろうなと思います。
そしてまた、噺を残す大事さを感じておられているんじゃないかと。

(なんかズレたコメントですみません。)

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-11-24 16:47 x
“ちお”さんでいいんでしょうか・・・・・・。
 改名していただき、ありがとうございます^^

 あくまで二十年前との比較では盛んになっているということでして、「黄金期」とは、今のところは思っておりません。
 しかし、後世に、「あの時代には、埋もれた過去の上方噺を復活、継承する噺家がたくさんいた」と語られる時代になって欲しいと期待しています。
 また、襲名が商売であり、活性化策であるのも事実ですが、それを契機に良い流れができるといいなぁ、と思っています。

 上方落語界が、もっともっと元気になるといいですね。

Commented by 明彦 at 2012-11-24 23:59 x
珍品と言えば、文太師匠と枝三郎師匠を忘れてはいけませんね・・・。
五代目文枝一門では地味ながら随一の正統派である文太師匠は、しつこさのない芸風なので東京の落語ファンにも受け容れられそうです。
でもお目が不自由で、地域寄席中心の活動なので・・・全て頭の中に入っている百余りのネタを、地元で地道に研ぎ澄ましていかれるのでしょうね。
この方は江戸のネタを独自に数多く移植しています。『黄金餅』を例の道中も含めしっかり上方化し、ブラックなサゲを付けた『よもぎ餅』は名演でした。
枝三郎師匠は、当代文枝師匠の一門での唯一の古典派、独自に珍品を発掘し演じ続けています。
僕としては『地獄八景』『らくだ』を一気に演じるという会を拝見して・・・それ以来何となく御無沙汰です。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-11-25 08:01 x
桂文太師は、NHK新人演芸大賞が演芸コンクールといっていた時に最優秀賞を受賞されていますね。次の年に雀々が受賞ですね。
五代目文枝は由緒ある桂文都の名を継いでもらいたかったようですが、ご本人が固辞されて、結局来年月亭で襲名されることになったわけですが、何とも歴史の巡り合わせとは不思議なのものです。
珍しい噺を含めネタ数が豊富であるらしいことは知っており、非常に気になる噺家さんです。
何とか聴くご縁があればと期待しておりますが、関西に行かなければ難しいかなぁ。
枝三郎師の二席は凄い。この方も名前だけは知っている、という状況です。
そのうち休暇をとって集中的に聴きに行くしかないか^^

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by kogotokoubei | 2012-11-23 10:13 | 上方落語 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛