噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

『大坂屋花鳥』を元に、作品としての高座の評価について。

先週、むかし家今松独演会で『大坂屋花鳥』を聴かれた方のブログをいくつか拝見すると、特に三三の一昨年紀尾井ホールでの「談洲楼三夜」、あるいは昨年横浜にぎわい座での「嶋衛沖白浪」を聴かれた方の感想が、必ずしもポジティブではないように見受けた。

 もちろん、好みの問題はあるのは当然なのだが、どうもひっかかることがある。

 それは、ある特定の事実(ノンフィクション)を元にした創作(フィクション)の内容は、当たり前だが人それぞれであって、花鳥と喜三郎の島抜けという事実を元にしたフィクションとしての物語だって、多様であって然るべきだ。たまたま知っている二人の高座に関し、“1”か“0”かの二者択一などする必要はないのではないか、と思う。私は何事にも「オール・オア・ナッシング」という思考方法は非常に危いと思っている。

 三三や今松、あるいは私は行けないが12月にある柳家小満んの花鳥の高座におけるそれぞれの噺家さんの演じ方も多様であって当たり前だし、それぞれを楽しむことができれば、こんな幸せことはないだろう。
 どう違うかの比較はするにしても、二者択一や三者択一などする必要がないのだ。そもそも、世の中に白か黒かの二択で解決する問題の方が圧倒的に少ないのに、なぜかどちらかに決めたがる人が多すぎるような気がする。私はこれまで仕事での経験で言えば、中国人やユダヤ人は、決して二択などでは考えない、思考の柔軟性と多様性を持っている。好き嫌いは別にして、日本人にはない彼等の思考の深さ、引き出しの多さは見習うべきところ、尊敬すべき点が多いと思う。それに比べて日本の政治家のあまりにも短絡な思考回路と言ったら・・・・・・。

 ちょっと脱線しそうなので、話を戻そう。

 小説だって、花鳥を素材にしたものが複数ある。実は今松の会に行く直前に古書店で柴田錬三郎の『江戸群盗伝』(新潮文庫)を見つけて読んだのだが、これが頗る面白かった。花鳥も梅津長門も、佐原喜三郎も登場するが、談洲楼燕枝の原作とは設定などを変えていて、たとえば花鳥は成田の料理屋である海老屋の娘おとよであったりする。三日月小僧庄吉の父親の仇を討とうとして、誤って別な顔見知りの武士を梅津が斬ってしまうのが、梅津が捕吏に追われる原因であったりするのも、燕枝とは違う。喜三郎などは居酒屋で梅津と庄吉の話をたまたま聴いて、その仇討の助っ人をする、という設定。ある特定の“事実(史実)”(ノンフィクション)を元にした柴錬活劇のオリジナル時代小説(フィクション)は、何とも痛快。これは、映画にもなっているようだ。

 そして、有名なところでは、岡本綺堂の『半七捕物帳』でも花鳥で一話書かれている。うれしいことに、「青空文庫」で読むことができるので、少し長くなるが引用したい。
 *半七では「大阪」と表記されている。
青空文庫 『半七捕物帳』-大阪屋花鳥-

 水野閣老の天保度改革は今ここに説くまでもない。その倹約の趣意がますます徹底的になって、贅沢物の禁止、色茶屋の取り払い、劇場の移転など、それからそれへと励行されたが、その一つとして江戸の娘義太夫三十六人は風俗を紊みだすものと認められ、十一月二十七日の夜に自宅または寄席の楽屋から召し捕られて、いずれも伝馬町の牢屋へ送られた。
「可哀そうだが、お上の指図だ」と、吉五郎は云った。半七もその召し捕りにむかった一人であった。
 娘義太夫はその名のごとくに若い女が多かったが、大抵は十五六歳から二十二三歳に至る色盛りで、風俗をみだすと認められたのも、それが為であった。かれらは女牢でその年を送って、明くる天保十三年の三月、今後は正業に就くことを誓って釈放された。去年の冬から百日あまりの入牢じゅろうが一種の懲戒処分であった。
 その三十六人のうちに竹本染之助というのがあって、年は若いが容貌きりょうはあまり好くなかった。彼女は半七に召し捕られたのであるが、最初から可哀そうだという吉五郎の言葉もあるので、半七は彼女が入牢するまで親切にいたわってやった。それを恩に着て、染之助は出牢早々に吉五郎のところへ挨拶に来た。半七にも逢って先日の礼を云った。
「どうだ、御牢内は……。面白かったかえ」と、吉五郎は笑いながら訊きいた。
「御冗談を……」と、染之助は真顔になって答えた。「わたくしは初めてですから、まったく驚いてしまいました」
「誰だって初めてだろう」と、吉五郎はまた笑った。「だが、男牢と違って女牢だ。そんなに驚くほどの事もなかったろうが……」
「いいえ、それが大変で……。わたくし共はみんな一つところに入れられて居りましたが、牢名主ろうなぬしは大阪屋花鳥という人で……」
「大阪屋……。島破りの花鳥か」
「そうでございます」
 大阪屋花鳥は初めに云った通り、八丈島を破って江戸へ帰って来て、日本橋の松島町辺に暫く隠れていたが、去年の八月末に、木挽町こびきちょうの河原崎座で団十郎の芝居を見物しているところを召し捕られ、それから引き続いて入牢中であることを、吉五郎も知っていた。牢内の習慣として、罪の重い者が名主なぬしまたは隠居と称して、一同の取締り役を勤めるのである。その取締り役の威勢を笠に着て、新入りの囚人を苦しめるのが、かれらの悪風であった。
「成程、花鳥が名主じゃあ新入りは泣かされたろう」と、吉五郎は同情するように云った。「そうして、あいつが何をしたえ」
「とてもお話になりません」と、染之助は泣き出した。
 入牢を命ぜられた娘義太夫三十六人は、いずれも年の若い女芸人であるから、暗い牢内へ投げ込まれて殆ど生きている心地はなかった。かれらの多数は碌々に飯も食えなかった。牢名主の花鳥はかれらに対して、最初の十日ほどは優しくいたわってくれたが、かれらが少しく牢内の生活に馴れて、心もだんだんに落ちついて来ると共に、花鳥の態度は、だんだん暴あらくなって来た。彼女は若い女たちに向って自分の夜伽よとぎをしろと命じたが、その方法の淫猥、醜虐、残忍は、筆にも口にも説明することが出来ないばかりか、普通の人間には殆ど想像することも出来ない程の忌いまわしいものであった。夜もすがらに泣いて惨苦を忍んだ者に対して、花鳥はその翌日必ず一杯のうなぎ飯をおごってくれた。
 三十六人のうちで、その惨苦を繰り返したものは二十五人で、余の十一人は不思議に助かった。それは比較的に容貌きりょうのよくない者と、二十歳はたちを越えている者とであった。染之助も容貌の好くないのが意外の仕合わせとなって、一度も花鳥の凌辱を蒙らなかったが、他人ひとが惨苦を目前に見せ付けられて、夜も昼も恐れおののいていた。
「お慈悲に早く出牢が出来たので助かりましたが、あれが長くつづいたら、人身御供ひとみごくうにあがった二十五人の人たちは、みんな責め殺されてしまったかも知れません。鰻めし一杯ぐらい食べさせてくれたって、あんなひどい目に逢わされてたまるものですか」と、染之助はくやし涙にむせびながら云った。
 鰻めし一杯ぐらいというが、その鰻めしが詮議物であると吉五郎は思った。彼は押し返して訊きいた。
「そうすると、花鳥の夜伽をした者には、そのあしたきっと鰻めしを食わせてくれるのだね」
「御牢内で鰻めしなんか食べるには、たいそうお金がかかるのだそうですが、毎日きっと誰かに食べさせてくれました」
「むむ、まったくたいそうな金持だな。それで若い女の子をおもちゃにしていりゃあ、娑婆しゃばにいるよりも楽だろう」
「本人はどうで重いお仕置になるのだと思って、したい三昧の事をしているのでしょうが、ほかの者が助かりません。この世の地獄とは本当にこの事です」
 思い出しても恐ろしいように、彼女は身ぶるいして話した。染之助が帰ったあとで、吉五郎はなにか考えていた。
「おい、半七。花鳥という奴はひどい女だな」
「色気違いでしょうか」
「色気違いばかりじゃあねえ、なんでも酷むごたらしいことをして楽しんでいるのだろう。そこで、今の鰻の一件だが、娑婆で六百文くれえの鰻飯だって、それが牢内へはいるとなりゃあ、牢番たちによろしく頼まなけりゃあならねえから、べらぼうに高けえ物になって、まず一杯が一両ぐれえの相場だろう。女義太夫は百日以上も入牢していたのだから、毎日うなぎ飯を一杯ずつ食わせても百両だ。島破りの女が一年ぐれえの間に、何を稼いだか知らねえが、そんなに大きいツルを持っているというのは不思議だな。江戸へ帰って来てから、どうで善い事をしていやあしめえと思っていたが、あいつも相当の仕事をしていたに相違ねえ」
「そうでしょうね」
 云いながら二人は眼をみあわせた。云い合わせたように、ある疑いが二人の胸に湧き出したのであった。


 岡本綺堂が、同じ牢にいた娘義太夫の言葉として描く花鳥像は、あくまで彼の創作である。天保の改革によって娘義太夫三十六人が牢に入れられたというのは事実として記録が残っているが、その時に花鳥が牢にいたかは、さまざまな記録を見ても、どうも時期が合いそうにない。優れた作家は、いくつかの史実を元に、まるで事実のようなフィクションを描く。引用した部分から物語がスピードアップするこの一篇では、花鳥は島抜けの後にも大坂屋時代の馴染みだった男と悪事を働く者として描かれている。

 柴田錬三郎の描く花鳥も鉄火肌だが、放火の後に牢に入ってしばらくした場面を次のように描いている。

 ここ十日間あまり、お呼び出しがないが、それは、花鳥の肉体が、これ以上、残虐な拷問に堪えられなくなっっているのが、わかったからであった。人一倍勝気な女であったが、肉体は、世の風雪にきたえられていない。華奢なつくりであった。烈しい胸の痛みと、いたるところに受けた、生傷の熟んだ疼きで、夜は殆ど睡眠のとれなくなった肉体は、酷薄な吟味役人たちの目にも、あまりにいたいたしいものに映ったのである。
・・・・・・じっと、横になっている。これは、花鳥にとって、苦痛を堪える意味にすぎなくなっていた。
 その傍で、片肌ぬぎになって、壁によりかかった女の、ひくく口ずさむ流行唄が、花鳥の耳に、遠いものにひびいていた。
  粋か不粋か知らないが
  髪は結いたて、刷毛いがめ
  博多の帯の貝の口
  横っちょにむすんで、尻ぱしょり
  パッチはぴっちり江戸仕立
  鬢の毛にさる爪楊枝
  ほんに-いなせじゃないかいな
 この女も、もとは、吉原の振新だった。自分では、妹女郎を五人も突出して、二十一枚の上草履をはいた全盛の花魁だった、と自慢していたが、それは、多少怪しいとしても、むかしは、渋皮のむけた佳い女であったなごりは、まだとどめていた。
「・・・・・・ねえ、花鳥、ほんとに、吉原はよかったねえ。・・・・・・わたしのところへかよった客の中でもさ、堀留の殿村だんの番頭さんは通人中の通人だったねぇ。泊ったあした、半桶と嗽(うが)い茶碗にぬるま湯をさし出すとさ、その湯で、嗽いをして、のこりでさっと顔を洗う、それを、一滴もこぼさずにやってのけたのは、あの人だけさ、忘れられないねえ」
「・・・・・・・・・・・」
 花鳥は、目蓋をとじて、微動だにしない。
 脳裏を、ちらっと、梅津長門の俤(おもかげ)が掠めたが、それは泡のようにはかなく一瞬にして消えはてた。


 柴錬が描く、この時の情景も、もちろん創作である。『江戸群盗伝』には、花鳥とは別に公方の娘として登場する雪姫が、重要な役割を演じている。この雪姫が梅津長門を・・・・・・この先はぜひこの本をお読みください。

 岡本綺堂も柴田錬三郎も、花鳥や喜三郎の史実を元に、自分なりに調べた上で、フィクションをまじえて傑作を著している。

 それを言えば、談洲楼燕枝の原作も、その噺から劇的な場面に焦点を当てて演じた馬生だって、史実を元にしながらも自分なりの工夫、創作があるのは自明である。
 落語と小説は、もちろん違う表現形式である。しかし、「大坂屋花鳥」をめぐる物語において、ある特定の事実(ノンフィクション)から、自分なりの創作(フィクション)をまじえて一つの作品に仕立てる、ということにおいては、同じような構造を持っている。

 三三は燕枝の原作を元に、そして今松は師匠馬生の高座に加え、たぶん自分で調べた史実などを元にしていると思うが、必ずしも燕枝や師匠の内容をそのまま演じているわけではないはずだ。自分なりの花鳥像、喜三郎像、梅津長門像を創り出して高座にかけているわけで、そこに噺家の持つ二つの要素、演者としての自分と創作者としての自分との葛藤があり、思い入れがあるに違いない。

 創作者であり演技者である噺家の高座は、たぶんにそれぞれの噺家さんのネタの解釈や、演者としての自分との相性などを踏まえて構成するだろうし、どの場面に焦点を当てるかなども、自分なりの“思い入れ”に基づくもので、どれが正しいなどとは言えないだろう。
 岡本綺堂と柴田錬三郎だって、それが特定の作品の脇役としての登場なのか、本筋に関わるのかの違いはあっても、同じ人物への作者の焦点の当て方や描き方の違いがあるからこそ、楽しめるのではないだろうか。

 私のブログだって、結構好き嫌いで書いている部分は多いので、八方美人になるつもりはない。しかし、せっかく落語という芸能を楽しむのに、自分の感性(アンテナ)の幅を狭くしたり、感度を低くするのはもったいないのではなかろうか。

 ノンフィクションとフィクションの挟間の薄皮一枚を、小説家や噺家は自分なりの技量や感性、了見でつなぎ物語をつくっているわけで、その物語を読む側や聴く客を見事に“騙して”喜ばせてくれればいいし、楽しく騙されたいと思う。

 賛否相並ぶ今松の評価を知るにつれ、そんなことを思って、ついこんなことを書いてしまった。

 あらためて、あの時間内で、発端から吉原炎上、そして島抜けまでを描ききった今松の高座は良かったと思う。そして、三三が長丁場の中で描いたそれぞれの人物描写や、船幽霊の登場する島抜けなどの劇的な高座も、間違いなく見事だった。三三も今松も、それぞれの持ち味に合った高座だったと思う。そして、もし、三三が七十分で嶋衛を演じるつもりがあるなら、その高座も期待したい。今松は、噺を分けて演じることは嫌いなようなので、例えば「大坂屋花鳥三夜」はあり得ないだろう。それも個性なのだと思う。

 同じ噺だって噺家さんによって、技量の差以外に、人物像や噺の描き方に関する解釈の相違や思い入があって違ってくるわけで、好みは分かれても、好きな噺家以外は認めない、ということでは落語の楽しみは半減するだろう。

 たとえば、今日は旧暦の十月一日、冬の始まりである。時節柄これから多く演じられるだろうネタの『富久』だって、過去の名人達の音源の中で、私は志ん生も、文楽も、そして可楽もそれぞれ楽しんでいる。それぞれの噺家の描き方の違い、こだわりの違いを知る楽しみもある。落語を楽しむ上で二者択一、三者択一などはする必要はない。

 しかし、時間と財布の都合で、そう多くの高座を聴けるわけでもない。だから、生の高座も好きだし、過去の音源やテレビの落語だって楽しみたいのが、“雑食系”落語ファンの私なのである。
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by kogotokoubei | 2012-11-14 21:20 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛