噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

空蝉—越後の残暑の中で思うこと。

連れ合いの実家の越後長岡で二人と二匹でゆっくりしていて、ついブログの更新もしないままに過ぎた。近くのお寺の木々には「空蝉」が夏の終わりを告げている。

e0337777_11090113.jpg



正岡子規の句。

淋しさに ころげて見るや 蝉の殻

 明治25年の句。三年前に喀血し、この年の秋には帝大を退学して、12月には陸羯南の新聞『日本』に入社している。大学を辞めようと悩む晩夏のある日、ころげて見上げる庭の木に空蝉を見つけての発句なのだろう。

「デジタル大辞泉」では、「空蝉」について次のように解説していた。
デジタル大辞泉「空蝉」

《「うつしおみ」が「うつそみ」を経て音変化したもの》
1 この世に現に生きている人。転じて、この世。うつしみ。「いにしへもしかにあれこそ—も妻を争ふらしき」〈万・一三〉
2 《「空蝉」「虚蝉」などの字を当てたところから》蝉の抜け殻。また、蝉。《季 夏》「—を妹が手にせり欲しと思ふ/誓子」「—の身をかへてける木(こ)のもとになほ人がらのなつかしきかな」〈源・空蝉〉



 そう言えば、源氏物語が書かれてから千年、と言われる四年前2008年、柳家喬太郎が、「空蝉」を現代を舞台に移し替えて演じたことを思い出した。生の高座は聞いていないが、ある落語愛好家の方のブログでは、なかなかの作品であったと書いていた記憶がある。

 脱皮後、蝉にとっての七日間は、決して短くも長くもない“寿命”であるように、人間も与えられた日々を精一杯に生きる、ということなのだろう。

 3.11やフクシマを経て、今年も何とか夏を越し、古い殻を脱ぎ捨てて、あらたな日々が始まる。蝉の抜け殻を見て、そんな思いがしていた。そして、国のリーダーを含む日本人それぞれが、過去からの古い殻を脱がずには、新たな日本の将来を描きようがないのではないか、そんなことを残暑きびしい越後の空蝉を見て感じていた。
[PR]
Commented by 佐平次 at 2012-08-17 16:12 x
暑い東京にはゆっくりお戻りください。
枝豆がうまかったでしょう。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-08-17 16:34 x
お気遣いありがとうございます。
実は、昨夜いったん帰宅し、今日は清里のペンションに二人と二匹は来ています。
山の天気ですから、降ったり止んだり・・・・・・。
しかし、涼しいには違いない。
越後の連れ合いの実家は、半分は婿気分で休暇とは言えず、今日と明日、つかの間の夏休みというところです。
とは言え、たった一泊二日で、佐平次さんの「旅」のようにはいきません^^

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2012-08-16 10:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛