噺の話

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『らくだ』—志ん生を中心に、この噺のこと。

先日の大手町落語会における柳家権太楼の『らくだ』(通し)は、圧巻だった。

 落語愛好家の方のブログで知ったのだが、23日の土曜の同じ時間帯に、三田の落語会では一之輔が『らくだ』を演じたらしい。その日の高座について、一之輔のブログ「いちのすけえん」に、次のように書かれていた。(実際には、行間がもっと空いている。彼の流儀のようだ。)ブログ「いちのすけえん」

昼、三田落語会。

鯉昇師匠と二人会。

師匠の時間の都合もあり、私がトリ。

一、たらちね 一力
一、麻のれん 一之輔
一、佃祭 鯉昇
中入り
一、持参金 鯉昇
一、らくだ 一之輔

やるたんびに違うから何ともいえんなー。らくだ。なんだろかなー。



 一之輔も、このネタと格闘している様子がうかがえる。もっと言えば、彼が闘っているのは、このネタだけではなかろう。五十日に及ぶ披露興行の後も、定席や落語会に出続けていることから、結構疲れもたまっているはずだ。本当は少し休むほうがいい時期なのだが、人気者はつらい。この時期をどう乗り越えるか、それも抜擢された一之輔には試されているような気がする。でも、きっと乗り切ることができる人だと思う。

 さて、話は戻る。このネタの名演と言えば、発祥の地である上方では、何と言っても笑福亭松鶴。先日、一門のことを書いた松枝の本を紹介したが、このネタに限らず酔っ払いが登場する噺は、「少しひっかけてから高座に上がってんのとちゃうか?」と思うほど、上手い。

 そして、東京の名人達なら、古今亭志ん生と三笑亭可楽(八代目)が良い。それぞれの持ち味が好対照で光っている。可楽の無駄を省いた演出も結構なのだが、志ん生の『らくだ』には何とも言えない愛着をおぼえる。“通し”と短縮版の両方の音源が発売されており、どちらも悪くないが、やはり“通し”の方が、この噺の味わいが増すと思う。 
 志ん生の“通し”の音源として、昭和40年1月の高座がある。古今亭志ん生『らくだ・二階ぞめき』
 昭和36年暮れに巨人の優勝祝賀会で脳溢血で倒れており、それ以降の高座について否定的な落語愛好家も多いが、たしかに、たどたどしいのは事実だが、この『らくだ』は悪くない。私は、東横落語会での『疝気の虫』なども含め、復帰後の志ん生にも、なかなか味わいのある高座があると思っている。

 さて、この噺の構成について、野村雅昭が『落語のレトリック』(平凡社選書)で次のように書いている。「第六章 オノマトペ」からの引用だが、落語における擬音語・擬態語の意味であるオノマトペについての解説の中で書かれたものだ。
*この本は「落語の言語学シリーズ」の一つとして発行されましたが、現在重版されていません。古書店では比較的入手しやすいかと思います。

 滑稽噺としての落語は、マクラの部分をのぞけば、原則として会話を中心にストーリーが展開していく。登場人物のことばとしての会話には、もちろんオノマトペがあらわれる。しかし、演者が直接にキキテにかたりかける地の部分は、量的にはおおくない。それに対して、講談や人情噺では、地の説明が多用され、そこではオノマトペが自由に駆使される。ただし、それは典型的な東京落語の演出法についていえることである。
(中略)
 東京ふうの落語の演じかたについて、例をしめそう。「らくだ」という噺は上方ダネだが、東京でも戦前から高座にかけられている。まともに演じると一時間ちかくかかるオオネタである。場面転換もかなりおおい。らくだというあだ名の男がフグにあたってしぬ。その死骸をらくだの兄貴分の男がみつけ、後始末のために、くず屋をよびこむところから話がはじまる。それを映画のショットふうにわってみると、つぎのようになる。

①らくだの兄貴分の独白(らくだ宅)
②兄貴分とくず屋の対話(らくだ宅)
③くず屋の独白(らくだ宅→月番宅)
④くず屋と月番の対話(月番宅)
⑤くず屋と兄貴分の対話(らくだ宅)
⑥くず屋と大家の対話(大家宅)
⑦くず屋と兄貴分の対話(らくだ宅)
⑧兄貴分と大家の対話(大家宅)
⑨くず屋と兄貴分の対話(らくだ宅)
⑩くず屋と八百屋の対話(八百屋宅)
⑪くす屋と兄貴分の対話(らくだ宅)
⑫くず屋と兄貴分の対話(らくだ宅→火葬場)
⑬くず屋と火葬場の男の対話(火葬場)
⑭くず屋と兄貴分と願人坊主の対話(橋のたもと)
⑮くず屋と火葬場の男と願人坊主の対話(火葬場)

 この区分けは、五代目古今亭志ん生の演出にしたがっている。志ん生は、これだけの長丁場を、ほとんど地の説明なしに演ずる。例外は、右の⑬から⑭にうつるところである。火葬場にらくだの遺骸をかつぎこんだつもりが、途中でおっことしたらしいので、さがしにいく場面である。もう一か所、⑮の途中にみじかい説明が挿入される。それにしても、地の部分がすくないことが納得されるだろう。これが東京ふうの演出なのである。

 
 オノマトペのことは棚に上げておいて、この本で説明されているように、この噺は対話が中心で場面展開が多い。ヤマは、何と言っても、上記の⑪における、屑屋と兄貴分との対話だ。屑屋久蔵が八百屋に菜漬の樽をもらいにいっている間に、らくだの家に月番から香典が届き、死人の「かんかんのう」に驚いた大家からは酒と煮しめが届いている。屑屋は、お役御免とばかり笊(志ん生は籠)と秤を返してもらって商売に行こうとするが、兄貴分が、「死人を背負って穢れている、清めの酒を飲め」と無理に飲ませて、そして三杯目、劇的な場面展開が訪れる、というわけだ。

 その劇的な演出については、後の楽しみにする。
 
 さて、昭和40年1月の志ん生の『らくだ』、マクラでは戦時中も今も着物で暮らしていることをフッているが、平岡正明が『志ん生的、文楽的』で次のように書いている。
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平岡正明著『志ん生的、文楽的』(講談社文庫)

「人間は昔を恋しいと思うもんなんですな。忘れられない。さからっても負けちゃうんですけど、今でも着物を着ているのはあたしくらいでしょう。洋服を着られないんですよ。大連でも、おい、いま着物着た人通っただろと言われるとあたしだった。靴が履けないんですからしかたがないですな」
 敗戦時の大連を和服着て下駄履いて歩いているのなんて、おれは日本人だから鉄砲で狙え、と広告しているようなものだったろう。
(中 略)
 関西では河豚のことをテッポウともいう。当ると死ぬからだ。敗戦時の満州を和服で歩くという奇妙な枕はムテッポウの意味もあると思うが、志ん生は楽屋から客席をのぞいて、みんな洋服だね、それならと、こんな思い出話をしたのだろう。というのは、この日の高座は、昭和40年1月31日、東宝演芸場の「紫綬褒章受章記念志ん生独演会」であり、授賞式当日、紋付袴で天皇の前に出たのは彼一人だろうからで、あとの受賞者の燕尾服姿を見て、そんなもんなのかねえと志ん生は思っていたのではないか。和服という衣の自分のナショナリズムの頑固さを自覚した瞬間、満蒙の大地を長い首をのばして黄砂にのって歩んでくる駱駝の群に重ねあわせて、古今亭の出囃子「一丁入り」に乗せて志ん生は高座に出る。


 この本は、落語ブログ仲間で、我らが(?)「居残り会」のリーダー佐平次さんお奨めの本なのだが、桂米二の会で深川に行った時に会場近くの古書店で見つけ、ようやく最近読み終えたところ。落語、ジャズ、そして新内などの古典芸能に通じた平岡正明による、頗る楽しい本である。

 読んで分かるように、平岡は実際の高座を見たわけではない。音源を聴きながら、「なぜ志ん生は、大連で着物で歩いていた、などと言う枕を、この噺でふったのか?」と思案して、このような推理をめぐらしたのだ。

 私は、同じ音源を聴いたが、とても、平岡のような想像力を働かすことはできなかった(あたりまえか!)。この本を読んで、「あっ、そうか!」と膝を打った。
 
 数多くのネタと同様、上方がルーツ。元々の題を「駱駝の葬礼(そうれん)」と言って、上方の四代目桂文吾が完成させ、大正時代に三代目柳家小さんが東京へ移植したと言われている。松鶴もそうだが、上方版は屑屋を泣き上戸として描く。しかし、東京版が上方と違う演出になったことに関して、平岡は次のように書いている。この噺についての鋭い考察である。

 文吾に対して三代目小さんと志ん生は、したがって剣術の小さんも可楽も、久蔵が泣き上戸であるという演出を採らない。小心で善良な屑屋の久蔵が、三碗の酒でトラになり、生傷男を圧倒するのだ。三碗にして岡を過ぎず。水滸伝の武松が景陽岡で、三碗呑んだら岡を越えられないという強いききめの「透瓶香」という酒(同じ銘柄の白酒が現在の景陽岡にある)をぐびぐび飲んで、ますます気宇壮大になって、虎が出るから夜間の山越え禁止という役所の高札を無視して岡を越え、あんのじょう人喰虎に出くわしたが、これを素手で殴り殺したとき、虎の魔性が武松にのりうつったことを感じる。同様に三杯の酒でらくだが久蔵にのりうつったのだ。三代目小さんが「らくだの葬礼」を東京に移植するにあたって、久蔵が三杯の酒でがらっと性格が変って関係が一気に逆転したほうがよく、屑屋の内心の変化を追う上方の演出はぬるいと感じただろうことを志ん生も感じているようだ。


 上方版も味はあるが、三代目小さんの脚色を踏まえた東京版は、平岡が指摘するように、久蔵の激変がドラマチックで楽しい。しかし、“らくだがのりうつった”、という解釈は、なるほどとも思うが、やはり、久蔵とらくだ、そして兄貴分はそれぞれ自立した別な個性なのだと思う。

 その兄貴分「生傷男」のことを、志ん生は、こう表現する。
「額のこのへんに匕首かなんかで切られた傷跡がある、こっちのほうに出刃包丁かなんかで、こっちは脇差の、顎んとこは竹槍で突かれたのが・・・傷の見本みたいな顔」

 傷の場所と原因は音源によって微妙に違うが、生傷の形容は必ずある。この「生傷男」の形容があるから、その後の逆転劇での屑屋と兄貴分の姿が想像されて、聴いている者に一種の爽快感を味わわせてくれるのだろう。音源によっても変わるが、久蔵が月番のところに行って兄貴分のことを説明する際、『まるで、傷の取締みたいな」と、この人お決まりのギャグがで出るのも可笑しい。

 最後に三笑亭可楽のこのネタについても少しだけふれたい。可楽は短いマクラからのこんな出だしで始まる。
 「馬、起きろい。・・・野郎、めぇってるな」
 誰よりも短く噺を凝縮して、あの独特の声で演じるのだが、これはこれで私は好きだ。
 色川武大は著書『寄席放浪記』で、次のように可楽『らくだ』との出会いを書いている。色川武大著『寄席放浪記』(河出文庫)

 たしか日曜の昼席で、なんだか特殊な催しだったと思う。まだ春風亭小柳枝といっていた時分の可楽が、後年と同じく、「にらみ返し」という落語に出てくる借金取り撃退業の男を地で行くような顔つきで(着流しだったような印象がある)、ぬっと出て来た。
 中入り前くらいの出番だったがたっぷり時間をとり、「らくだ」を演じた。小さく会釈して、すぐに暗い悲しい独特の眼つきになり、
「クズウいー」
 久六がおずおずと長屋に入ってくる、もうそのへんで私は圧倒されていた。陰気、といってもしょぼしょぼしたものではなくもっと構築された派手な(?)陰気さに見えた。

 
 色川武大が圧倒された可楽の『らくだ』も結構。

 権太楼は小さん版を踏襲しているが、先日の大手町の高座には志ん生と可楽の両方のエキスを感じた。私はまだ定評のある小三治のこの噺を聴いたことがない。僥倖を待つしかないが、過去の音源で松鶴や米朝、可楽や志ん生を聴くだけでも楽しい噺だ。もちろん、一之輔の十年後の『らくだ』にも期待したい。上方の松鶴を継ぐ人達の高座にも出会いたいと思っている。なかなか、この噺の話は尽きることがない。
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Commented by 明彦 at 2012-06-27 23:41 x
僕が「落語も素晴らしい」と思えるようになったのは、都丸(現・塩鯛)師がサゲまで演じた高座を聴いたためですが・・・。
江戸と上方の演出の違いで気になるのは、平岡氏が書いているように、酔った屑屋の態度が変わるきっかけが、上方では旦那衆から落ちぶれて先妻を死なせた回想であるのに対し、江戸では過去には言及されず「らくだ」への恨みになっていることです。
僕としては、生きる哀しさが伝わって来る上方の演出が好きなのですが。
三代目小さんが接した型に近いと言われる先代米團治の速記には、屑屋の過去はちゃんとあるのですから、なぜ江戸に移入されるにあたってカットされたのかが気になります。

松喬師匠の『らくだ』は2種類のCDが出ていますね。
松枝師匠の『らくだ』も見事でしたが、演じられる機会は少ないようです。
他に松鶴師匠の直弟子では、鶴瓶(この方のみうかがっていません)・鶴志・鶴二の諸師が手がけています。
僕が生で聴いた上方の『らくだ』で、より若い世代でよかったのは、林家小染(当代)・笑福亭生喬・桂米紫(当代)です。
明日は文我師匠(この方は平岡氏を批判していましたが)の『らくだ』を聴いて来ます。

Commented by ほめ・く at 2012-06-28 10:32 x
 可楽の「馬、起きろい。・・・野郎、めぇってるな」、この一言でラクダがどういう人物でその兄貴分とはどういう関係であったかを分からせる、これが落語の醍醐味だと思います。
後半の屑屋が酔うにつけ次第に怒りをためる場面でも、屑屋と可楽の人生が重なったごとくに見えてくる。だから短い言葉の中でも屑屋の過去が浮かんでくるわけです。
やっぱり「らくだ」は可楽です。

Commented by 佐平次 at 2012-06-28 10:58 x
平岡も書いていたような気がしますが、久さんはらくだをしょってカンカンノウをやってから徐々にらくだが憑依してきたような感じもします。
楽しくなっているのです。
逆に生前のらくだの内実は荒涼としてさびしく、小心を隠す面もあったのかもしれない。
らくだと久蔵が通底していくような面白さを感じます。
一之輔がらくだをどう思ってやっているのか知りませんが、道遠しでした(落語研究会の「青菜」も)。それだけ伸び代が大きいのかもしれないですね。

Commented by hajime at 2012-06-28 11:03 x
ご無沙汰しています

興味深く読まさせて戴きました。
実は志ん生師の「らくだ」の音源は
病気前の通しの音源があるのです。

私がニコ動とyoutubeにUpしたのですが、発売されていない音源だそうです。
(志ん生コレクターの方に確認しました)
元はNHKラジオ名人寄席で玉置さんのコレクションを放送したものです。
あれは著作権の問題等ありましたが、この音源は該当したいなかったと思います。
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=qD9s8tMdT1o
ニコ動
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16968345
もしご存知でしたら失礼しました。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-06-28 11:09 x
屑屋が、「わたいもこれでも昔は船場で商いしてましたんやで。」と過去を振り返る上方の型も、決して悪くはないのですが、今回は志ん生ということで、お許しください^^
松鶴だって、可楽だって好きなんです!

文我の会、文楽劇場ですね。大阪にいたら、私も絶対に行きたいプログラムです。
東京の会の案内も届いたのですが、先にチケットを買っていた他の落語会と重なっており、歯ぎしりでした。

上方の噺家さん、もっともっと東京に進出して欲しいと思います。
ただし、誰かさんみたいに国立劇場で高い木戸銭とって襲名披露するのは行きたいとは思いません。
松竹は、東京の歌舞伎への投資に比べ落語には金を使っていないような、そんな気がしますが、勘違いかなぁ。

ぜひ、文我「らくだ」のご感想もお聞かせください。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-06-28 12:19 x
たぶん、この内容を読まれたら、ほめ・くさんから「らくだは、可楽!」とのコメントが届くだろうと思っていました。
松鶴、志ん生と可楽、それぞれ持ち味が違って結構、という八方美人になってお詫びします^^

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-06-28 12:28 x
志ん生だけが、「本名を馬さん、あだ名がらくだ」と、「さん」づけなんです。だから、平岡の指摘も分からないでもない。たしかに、何か相通じるところが、久蔵のらくだへの思いにあって、かんかんのうで背負ってから憑依した、と平岡は評しているのでしょう。

平岡正明の本を読んで、その語り口が、佐平次さんのブログに似ている(いや逆か!?)、と思いました。
関連するテーマの間を縦横無尽に飛び回るような文章ですね。ご推奨いただきありがとうございます。
彼のジャズの本も読もうと思っています。

一之輔、長い目で見てあげましょう。まだまだ若い。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-06-28 12:30 x
えっ、そんな音源があるんですか!?
知りませんでした。倒れる前は短縮版(ニッポン放送)しか持っていません。
週末にじっくり聞かせていただきます。
さすが、hajimeさん!
ありがとうございます。

Commented by 明彦 at 2012-06-29 00:32 x
先程聴いて来ました・・・。
脳天の熊五郎=生傷男はらくだが死んでいると分かると涙ぐみ、紙屑屋(上方では大抵名前が出ません)が「ひどい目に遭わされた」と言いながらも香典を渡すと、一瞬の間で感謝の気持ちを表す、という「いい奴」になっていました。
上方版の見せ場である「屑屋がらくだの頭を剃っているうちに面倒臭くなって毛をむしる」件を、屑屋の長台詞によって間接描写に変え(熊五郎に指図してやらせる)、
千日前の火葬場にいく途中で商家をゆする場面をカットしたのが大きな特色でしたが、
終了後の対談によれば、「あまりにも残酷になるのは苦手」「紙屑屋を悪者にしたくない」という、枝雀師匠が「いつか演じたい」と語っていた時の構想だったそうです。

上方ネタが江戸に移植された場合、元々のやり方が顧みられず「江戸の演出の方が優れている」と言われることが多いので、ちょっと残念な気がします・・・。
『志ん生的、文楽的』は僕も持っていますが、松鶴の『らくだ』については、最晩年のビデオだけではなく、スタジオ録音とはいえ全盛期のビクター版CDに当たって欲しかった、と思います。

オリジナル版『らくだ』の舞台と言われる大阪の空堀には、戦前の長屋や路地が豊富に残っていますし、「火屋」のあった千日前は繁華街になったとは言え、昔のままの無縁墓地があります。
やはりこの噺は大阪と切り離せない、と実感させてくれます。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-06-29 08:59 x
ありがとうございます。
詳細なご報告、恐縮です。
文我師、師匠がやりたかったであろう演出だった、ということですね。
そうか、枝雀もやりたかったんだ・・・・・・。

上方ルーツの噺の東京版との比較の件ですが、私は基本的にどちらの型も存在し続けて欲しいですし、落語が地元に根付いたものである限り、火葬場が千日前と落合の違いという舞台の違いのみならず、演出も替わって当たり前だと思います。
「野ざらし」と「骨つり」、どっちが良いとか比較できません。私は違う噺だと思っています。上方版の本来のサゲ、今ではやりにくいでしょうけどね。
もちろん、好みの問題はあります。
東京が上、のような論調は、東京落語が好きな人が、上方落語の良さを十分に知らずに言っていることが多いのではないでしょうか。

「こら、らくだ。起きんかい。いつまでドブさってけつかる。日も高いで。や、こいつはゴネてけつかる。」の上方版も好きですが、今日では関西の人も馴染みのない「どぶさる」「ごねる」は、東京の関西弁アレルギーの方には、なかなか難しい。
土着の度合いが強ければ強いほど、地元以外の人と距離ができる、という宿命がありますね。
しかし、こういう言葉にこそ、上方落語の味があると私は思っています。

上方落語のこと、私もつい日頃聴く東京落語への無意識な肩入れをしているかもしれないので、できるだけ客観的(?)に、そして思いも込めて、時おり書いていきます。

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by kogotokoubei | 2012-06-27 22:07 | 落語のネタ | Comments(10)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛