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ロボット「米朝アンドロイド」登場!

「人間国宝」のロボットが落語を語るらしい。47NEWSの該当記事

米朝さんの落語ロボ制作 米寿記念、8月に実演

 人間国宝の上方落語家、桂米朝さん(86)の数え年での米寿を記念して8月に開催する「桂米朝展」で米朝さんのロボットが落語を演じることになり、弟子の桂ざこばさんらが21日、大阪市内で記者会見して発表した。

 展覧会の目玉は、本人そっくりの人間型ロボット「米朝アンドロイド」。約10年前の米朝さんの写真をもとに、大阪大の石黒浩教授らが制作。落語の“実演”を行う。

 企画を聞いた米朝さんは「誰がそんなアホなこと考えたんや」と漏らしたそうだが、長男の桂米団治さんは「まばたきが自然で、顔の筋肉も動く」と出来栄えを評価。ざこばさんも「そっくりやないか」と驚いたという。

2012/05/21 19:20【共同通信】


 この記事には、ロボットのモデルとなる写真も掲載されている。

 落語の『片棒』を思い出す。ケチな旦那が跡取りを決めるために三人の息子を呼び出し、自分が死んだらどんな葬儀をするか聞く中で、派手好きな次男が語る、山車に乗った赤螺屋吝兵衛(けちべい)の人形を想像した^^
 
 ずいぶん前になるが、文化勲章を受勲された際、米朝のことを二回に分けて書いた。
2009年11月17日のブログ
2009年12月7日のブログ

 繰り返すことになるが、米朝は大正十四(1925)年十一月六日、大連生まれ。五歳の時に祖父が亡くなり、父が神主になるために日本に戻った落語好きの中川清少年が、その後上京して入学したのは今の大東文化大学(当時の大東文化学院)である。本人も神主の仮免許を上京前に持っていたようだ。

 ちくま学芸文庫版の正岡容著『東京恋慕帖』の巻末に「鼎談 師正岡容を語る」という有難い附録があって、大西信行、小沢昭一、そして米朝の対談が掲載されている。少し長くなるが再度引用する。なお、この鼎談は昭和50(1975)年の九月に行われたもので、なんと47頁も掲載されている。
正岡容_東京恋慕帖


米朝 私が正岡容という名前を知ったのは、徳川夢声さんの『くらがり二十
   年』という本の中に名前がね、出てくるんです。ヘンな名前の人がい
   るんやなアと思うたんです。容という名前が不思議だった。中学四年
   生くらいの時やったと思うけど、古本屋で『円太郎馬車』という正岡
   先生の小説が目について、で、まあ落語が好きだったし、あんまり
   ありませんわね、落語に関する本ていうのは。
   それで買うたン・・・・・・。
小沢 なるほど。
米朝 それを買うたのが始まり、その次に『狐祭』というのを本屋で見つけ
   てネ、あと見つけ次第に正岡容の著作を買い込んで・・・・・・それ
   から東京に出て来たわけ。
大西 いつ頃ですか。
米朝 昭和十八年。
小沢 その東京に出てきたのは、正岡容に会うためじゃなくて。
米朝 そうじゃあない。学校へ行ってたんです。東京新聞に落語相撲をやる
   という記事が出ていた。いったいどんなもんかいっぺん見てみたいと
   思うて行ってみると、この会の主催者が正岡容だった。昭和十八年
   五月でしたョ。誰がどんなもんやったかも憶えてるな。確か、落語
   相撲について正岡容さんが出て来てちょっと喋ったな。
小沢 ハアハア、それで?
米朝 それから、検査役みたいな形で、野村無名庵さんと二人で高座に
   座ってた。意外と若い人やったんやなアと思うた。今から思えば、
   あの頃の先生は今の私より若いですからな。
小沢 つまり、書いたものがバカに老けているというか・・・・・・(笑)。
米朝 それから、たまたま大塚の花柳界の中に甘いものを食わす喫茶店を
   発見した。その時分は甘いものはないし、よそにないような甘い
   お饅頭なんかが、少し値が高いけど、その喫茶店いくとあるんですわ。
   それで、ちょいちょいその店へ通った。その道筋で、ヒョッと見たら、
   表札に正岡容、花園歌子という二枚看板・・・・・・目についた。
   私はその時分は内気やったのになア、魔がさしたというか(笑)、
   縁があったというのか、ゴメンくださいといって入ってしもうた。
   それがキッカケなんですヨ。



 もし、「魔」がささなかったら、今頃ご本人は、単に落語好きの神主さんであったかもしれない。落語愛好家としては、「魔」がさしてくれたこと、正岡容と縁があったことに感謝しなくてはならない。そして、正岡容自身も、一時三代目三遊亭円馬(八代目文楽の芸の師匠)門下に入り、大阪で高座に上がったことがある。正岡も上方との縁は深かったのだ。

 今日の上方落語の盛況における米朝の貢献は少なくない。春団治(三代目)、松鶴(六代目)、文枝(五代目)と一緒に「四天王」と称された噺家としての功績は、もちろん大きなものがある。そして、数多くの優秀な弟子、孫弟子たちを輩出した一門の師匠としての存在感も、これまた大きい。加えて、『地獄八景亡者戯』『算段の平兵衛』『風の神送り』など、それまで長らく埋もれていた上方落語の演目を発掘した落語研究家としての実績も、忘れてはならないだろう。

 今日「四天王」で残ったのは三代目と米朝のみになった。「米朝アンドロイド」は、今後どうなるのか知らないが、せっかく作るのなら、短期間の展示会だけに使用するのはもったいないなぁ。そうだ、この際(?)「四天王」全員のアンドロイドを作ってもいいのではなかろうか。

 完成したばかりの上方落語協会会館に、四人のロボットがあっても不思議ではない。「動く蝋人形」と言う趣だ。会長の三枝が文枝を継ぐお祝いにもなるだろう。五代目文枝ロボットの制作費は三枝の襲名披露興行のアガリで、三枝と吉本に引き受けてもらおう。

 そして、幼い子供たちが四人のロボットが落語を語るのを見て、不思議そうにつぶやくのだ。「このおじさん達、何してんのう?」(オソマツ)
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by kogotokoubei | 2012-05-23 17:50 | 上方落語 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


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