噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

バス事故の報道に思う—個人攻撃では本質的問題は解決しない!

関越自動車道のバス事故に関するマスコミの報道内容が、その出身であるとか個人営業の実態であるとか、次第に明るみに出てきた運転手個人のことが増えてきた。たとえば、今日の大新聞のほとんどは、このネタである。YOMIURI ONLINEの該当記事

河野容疑者、休息のホテルで「バス修理を手配」

 関越自動車道で乗客7人が死亡したツアーバス事故で、自動車運転過失致死傷容疑で逮捕された運転手河野化山かざん容疑者(43)が、運行前に休息のために入った石川県白山市のホテルで、「(自分が)使っていたバスの修理を手配していた」と供述していることが捜査関係者への取材で分かった。

 事故は、居眠り運転が原因とみられているが、群馬県警はこの手配などで十分な睡眠を取らなかった可能性もあるとみて調べている。

 河野容疑者は、ホテルで中国人向けツアーの手配をしていたことも判明しているが、4月28日午後4時半頃にホテルをチェックアウトした以降は、ショッピングモールで食事をした以外には「ずっとバスの中で休んでいた」と話していることも新たに判明した。「夜間運行の経験はほとんどない」とも供述しているという。県警は今後、裏付けを進める。(2012年5月7日14時34分 読売新聞)



 「事実」は報道するに値するのかもしれない。運転手も、運行会社も、ツアーを企画した旅行会社も責任は大きい。しかし、今回の事故を引き起こした個別の当事者達のニュースに終始して、この事件の背後にある「本質的な問題」が追及されない限り、同様の事故、事件が再発するように思う。

 そういう意味では、マスコミの一つには違いないが、大新聞よりも、次の「日刊ゲンダイ」の記事のほうが、「問題の本質」に少しは迫っているように、私は思う。ゲンダイネットの該当記事

バス衝突事故の元凶 小泉純一郎を国会招致しろ
2012年5月1日 掲載

小沢喚問より優先すべき市場万能主義の清算

 小泉政治の「負の遺産」が再び大惨事を招いた。乗員乗客46人とその親族のGWを暗転させた関越道の格安ツアーバス激突事故。7人の命を奪った悪夢は、本をただせば小泉の無軌道な規制緩和路線にたどり着く。
 今回の事故は格安ツアーバスの過当競争が遠因である。旅行会社のムチャなダンピングを断れず、安全面をおろそかにする貸し切りバス業者を放置してきたツケだ。
 安全度外視の競争激化は規制緩和が生んだ弊害である。特にこの流れを決定づけたのが、小泉政権下の02年の道路運送法の改定だった。
 ツアーバス事業を旅行会社に全面解禁。路線バスと違って、料金や運行区間も自由に設定できるようになった。その結果、格安ツアーが急増し、旅行会社からの運行依頼を狙って、新規参入の貸し切りバス業者も爆発的に増えていった。
「貸し切りバス業者は緩和前の99年度の2336社から10年度の4499社へ倍増。その分、安全面の行政監査が行き届かなくなっています。緩和後に監査員を増やしたとはいえ、いまだ1人につき、20社を担当するような状況です。加えてタクシーや長距離輸送など陸上交通全般の監査を掛け持ちしており、これらの総数は8万社近く。とても全ての貸し切りバス業者まで手は回りません」(国交省関係者)
 だから、今回の事故を起こした会社の社長のように、「白バス」営業で警視庁に摘発された過去を持つ人物の新規参入まで許してしまうのだ。投資顧問業を許可制から登録制に緩和し、業者急増に監督官庁のチェックが追いつかない——企業年金1500億円を消失させたAIJ事件と同じ構図である。

「小泉・竹中流の規制緩和とは、市場万能の論理でした。市場に任せれば、悪い企業は淘汰され、良い企業だけが残り、すべてがうまくいくという発想。現実は真逆です。経済効率化の大波は交通サービスなど公共性の高い分野までのみ込んだ。その代償が過酷な労働であり、多くの人命を奪った大事故なのです。もはや今回のような惨事は業種を問わず、いつ、いかなる場所でも起こりえます。小泉政治の本質は人間軽視。国民に綱渡りのような危険な社会を押し付けたのです」(筑波大名誉教授・小林弥六氏=経済学)
 小泉進次郎衆院議員は小沢の無罪判決を受け、「政界の霧は深くなった」と証人喚問を求めていたが、冗談じゃない。まず親父を国会に招致し、小泉政治の負の遺産を徹底追及すべきだ。



 「公共性」が高い教育の現場に「競争の原理」を持ち込もうとするのが、橋下大阪市長の大きな過ちの一つだと思っているが、その悪しき先例は小泉、竹中の時代の自民党にあったと言えるだろう。もちろん、本来「緩和すべき規制」も存在する。小泉構造改革による成果がゼロとは言わない。しかし、「聖域なき構造改革」は、ともすれば「公共性」の高い分野にも誤った「市場原理」と「競争」をもたらすことになった。その“負の遺産”は、残されたままではないのか。橋下などは、同じ過ちを繰り返そうとしている。そこに問題がある。

 小沢一郎潰しに躍起になっているマスコミが支持し、国民の“人気”を背景に推進した小泉時代の「規制緩和」は、いったい何を導いたのか。
 大震災、そしてフクシマにより「公共」的な基盤が損なわれている今こそ、やみくもな「規制緩和」によって失われてきたものが何かを検証すべきだろう。「官から民へ」というキャッチフレーズは耳障りがいいかもしれないが、その実態が国の責任放棄による市場混乱になってはいないのか・・・・・・。

 もちろんあの頃だって、「規制緩和による暴走」への危惧は指摘された。しかし、その際に言われてきたのが、「チェック&バランス」が働くとか、モラルが歯止めになるとか、「セーフティーネット」がある、ということだった。

 しかし、格安バスツァーの競争のどこに「チェック&バランス」が働いていたのか。

 また、「格安バスツアー」を煽り続けたたテレビ局に責任を求める声も、もちろんない。なぜなら、テレビ局の多くが新聞社の資本の入ったメディアである以上、自分たちの首を絞めるような報道をするわけがない。

 しかし、安い制作費の割に視聴率を稼ぐことができる「旅行&グルメ」番組が、バスツアー競争激化→安売り競争→安全性度外視、といった流れを誘導してきたことは、誰も否めない事実なのではないか。

 もちろん、格安ツアーから豪華ツアーまで、数多くの選択肢があることは悪いことではないのだろう。その中から何を選択するかは、その本人の責任でもあるだろう。
 しかし、旅行や食べ物の事故は、生命の危険をもたらすことがある。「安さ」ばかりを求めたり、メディアが過度に「安さ」を強調することには大いに疑問を感じる。
 
 大震災とフクシマを経験した後の日本には「経済の論理」優先は、そぐわない。「高くても安全」、あるいは「安全のために妥当なコスト」という視点が必要ではないのか。

 原発再稼動の問題が再燃することで、また「コスト」問題もテーマになるだろう。しかし、「安い方法を優先する」ではなく、「生命にとって安全な方法を優先する」という主張を、果たしてどのメディアが唱えるか、しっかり見ていきたいと思う。

 バス事故も、年金問題も、事件の背景にあるものを明らかにしないままでは、決して問題解決には至らないはずだ。「公共性」という言葉が、もっと真剣に語られるべき時ではなかろうか。「競争こそが大事」という論理は、「安さこそが大事」という流れを加速する。そして、必然的に「安全」という言葉が隅に追いやられる。そんなことを、バス事故のニュースを見て強く感じる。
[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2012-05-07 17:33 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛