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『落語物語』は、思った以上に良かった!

 4月28日の夜にWOWOWで放送された林家しん平脚本・監督による『落語物語』の録画を見た。

 昨年3月12日から封切り、という時期的には不運とも言える巡り合わせがあったし、正直あまり期待をしていなかったので劇場では見なかったが、予想以上に良かった。

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「落語物語」公式ホームページ

 落語協会の協力で噺家本人、色物芸人さん本人が多数登場することと、都内定席四席で撮影されたことで、リアルに落語の世界を描く映画になっていたように思う。

 私がもっとも感心したのは、田畑智子のお内儀さん役。ピエール瀧が演じる今戸家小六を支えるチャキチャキの江戸っ子女房役は光っていた。林家しん平が「理想のお内儀さん像」として、彼女をイメージして脚本を書いたようだが、これはハマリ役だった。

 この映画のベースは、落語家の生活そのもの。中心の舞台は寄席である。そして、その落語家の世界に、林家しん平がこれまで暖めていたらしい次のようなエピソードが織り込まれる。

(1)引っ込み思案で口べたな若者が落語の世界へ入門し理不尽な修業に悪戦苦闘する
(2)実力はそれほどでもないがマスコミ受けをする噺家が人気を背景に昇進する
(3)いわゆる“フライデー”されてしまい、干される
(4)自信過剰だった噺家が挫折を味わい、自暴自棄になってしまう
(5)元気で健気だった噺家のお内儀さんが突然病魔に襲われる

 (1)の若者を演じるのが柳家わさびだが、まるでオーディションをして探してきたような適役。

 (2)(3)で、せっかく抜擢されて二ツ目で主任をとらせてもらったのに、不倫現場が暴露されて干される役を演じるのはぽっぽ、今のぴっかり。なるほど入門前は舞台女優を目指した片鱗を見せている。

 (4)で山海亭心酒を演じる隅田川馬石も、入門前は石坂浩二主宰の劇団にいただけの演技を見せている。嶋田久作演じる師匠文酒との二人会、出番前の楽屋での会話などなかなかの見せ場である。

 (5)のお内儀さんが田畑智子なのだが、その主人役ピエール瀧は、田畑のお内儀さん(役名山崎葵)やたった一人の弟子わさび(役名小春)の引き立て役、という印象。それでいいのだろう、この映画は。

 他の噺家さんの演技では、協会の寄合で末広亭の席亭役だった柳家小さんが、妙にハマリ役だった。科白はほとんどないのだが、ただのおじさん風で可笑しかった。
 
 小さんと対照的なのは、バーのマスター役の喬太郎、協会の事務局長役の笑組・ゆたか、寄席の常連役の百栄などで、強いキャラそのままの演技で、楽しい。

 ややトリビア的だが、警官役で一之輔も登場している。

 この映画は、主役が独りではない。下座さん達も光っているし、寄席の楽屋の映像なども主役の一人。また、さりげなく登場する銘店のどら焼きやカステラなどのお菓子も、重要な脇役。

 上述したようなエピソードが凝縮されているので、やや全体のストーリーとしては落着きがない。しかし、落語の世界や寄席の舞台を知りたい人には興味深いだろうし、落語愛好家が楽屋の様子を知って喜び、落語家の演技を見てニヤニヤと楽しむ、そういう映画であろう。

 5月8日にWOWOWで再放送される。WOWOWオンラインの該当ページ

 今戸家小春のその後を描く『落語物語Ⅱ』の制作を期待したい、そんな思いがした落語ファンにとっての秀作。
Commented by hajime at 2012-04-30 13:26 x
この映画は東劇まで見に行きたかったのですが、都合がつかないので、DVDが出るまで断念していました。
借りて来てみたのですが、出て来る風景が本物なんですね。
この手の映画「しゃべれどもしゃべれども」や「落語娘」にしても落語ファンから見るとハッキリ”嘘”と見えてしまうのですが、この映画に関しては”本物”を感じました。
配役や演技も良かったですが、一つだけ云えば、「人が死にすぎ」だと思います。
あの、ぴっかりさんが演じていた女流噺家も死んだも同然と考えると三人は多い様な気がします。
それだけ、話を詰め込み過ぎなんでしょうが・・・
でも、何が言いたいのか判らない自己満足な映画と違って見応えはありました。
田畑さんの女将さんが良かったですね。(^^)

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-04-30 15:11 x
たしかに、「えっ、ここで死ぬの!?」という筋書きが、大きく二つですね。
短時間で劇的な内容にするため、しん平監督も悩んでの決断かと思いますが、葵が病魔に冒されるのも伏線が少なすぎるし、心酒も、何もあそこで殺されなくても良かった気がします。
しかし、そういったストーリーの未熟さを、本物の寄席、本物の噺家、本物の小道具が補っているように思います。
期待が低かった分、大いに楽しめました。

Commented by YOO at 2012-04-30 21:12 x
私は小さいガラガラ(まるで平日の寄席みたいな)の映画館で見ましたが、まったく同じような感想を持ちました。
特にほとんど見たことのなかった寄席の裏側がとても興味深く、以後寄席興行の見方がずいぶん変わりました。
先日のAERAの記事中に、一之輔が寄席が大好きという話がありました。それとは別に、寄席を知らない立川流の噺家達の噺が私には落語には聞こえないというコメントをほめ・くさんのブログにも投稿させていただきましたが、やはり寄席で育つということが噺家さんにはとても大切なことなのではと改めて思わされました。
ちなみに私は初回特典(出演した芸人さんの高座の様子の入ったDVD)付きのDVDを買ってしまいました。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-05-01 09:01 x
劇場でご覧になり、かつ限定DVDもご購入されたのですね。私のような者とは、了見が違う^^
ストーリーのみならず、そこに見えた落語の本物の世界が秀逸な映画だと思います。
個人的には、いつもは客席から想像するしかなかった末広亭の楽屋の様子が分かったのが、とてもうれしかったですね。
寄席の修行、これは実に重要です。寄席大好きの一之輔の了見、これまた良し。
談志は、本当は寄席が好きで好きでたまらなかった人。
その寄席修行ができない分を立川流の昇進基準としてデジタル化したのでしょうが、本当は数値化などできないものに修行の本質があるはず。
ほめ・くさんのブログへのコメント拝見しました。同感です。
立川流の人気者は曲がり角に来ていると思います。昨日のWOWOWの新番組での談春の「文七元結」も、やたら佐野槌の女将の長科白が目立つばかりで、私は閉口しました。あれでは、また聞きたいとは思わない。録画も消しました。しかし、周囲の“親衛隊”が持ち上げるので、問題に気がつかない。
前座修行も大事ですし、寄席という支持者のいない場で、どういう高座をつとめるかという経験が大きいはずです。

Commented by YOO at 2012-05-01 11:13 x
40年近く前の学生時代の話ですが、時々行っていた鈴本の近くの甘味屋で、何回か3~4人の前座さん(多分)たちをお見かけしました。
いつも思い切り暗い雰囲気で誰かの悪口ばかり話しているのが聞こえて来て、当たり前のことながら、あの世界も裏は大変なんだろうなと感じたのを、この映画の心酒のくだりを見て思い出しました。
多分あのころの前座さんの中には今の大看板の師匠がいたかもしれませんね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-05-01 12:22 x
ご指摘の時期の前座・・・現在活躍する噺家さんの顔がいくつか浮かびますね^^
きっと、あの頃は一緒に先輩噺家の悪口を言っていたのでしょう。
本当に意地悪な先輩もいたでしょうが、「愛の鞭」もあったはず。
中には後になって、その先輩のしたことの意味や、やさしさ分かることもあったでしょう。
その繰り返しなのだと思います。
小言を言うのも、それなりの覚悟がいりますからね。

Commented by YOO at 2012-05-02 01:13 x
圓生と志ん朝の「文七元結」を聞き比べてみると、まくらから最後まで同じ言葉をなぞっている部分が多いのに驚きました。台本は一緒ということなんですね。でもやはりそれぞれ圓生、志ん朝ならではの素晴らしい噺になっています。落語という話芸の「芸」というのはこういうことなんですよね。
無闇に言葉数を増やして、お涙ちょうだいの時間を長くする技法って、今の映画や音楽やテレビ(これはもはや語るに落ちました。)にも強く感じます。最近の文化のほとんどがPCを媒介として生産されているので、とにかく情報量が多く饒舌です。
とにかく言葉数、それも歯の浮くような薄っぺらで安っぽい言葉で自分も含めた聴衆の感動をあおりその場が盛り上がれば良いというような精神構造に日本全体がなってしまっているのでは?(戦前のことを考えれば、もともとそうなのかも知れませんが?)特に震災以後このようなナルシスティックな報道を数多く耳にした気がします。
これって落語的にいうと、とんでもない「野暮」ということになりませんか?
私が立川流の噺に「落語」を感じないのはこれが一番の原因かも知れません。幸兵衛さん、ほめ・くさん、佐平次さんが指摘されている通りなのではと思います。
私が聞きたい江戸落語は、いろいろな知識や演出よりも、まず「野暮」を感じさせない芸人さんの粋な高座です。
だって芸人さん自体が「野暮」だったら「お見立て」や「五人廻し」の杢兵衛大臣を笑えなくなっちゃいますよね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-05-02 13:41 x
六代目と志ん朝の「文七元結」ですか・・・どちらも珠玉の一品。
たしかに志ん朝は円生を範として演じているように思いますが、他のネタと同様、見事に自分の作品に昇華させていると思います。
円生、志ん朝ともに、佐野槌の女将は、あの談春ほどにはくどくはない。
もちろん、博打から足を洗うことの難しさを知っているだけに、博打のカラクリをくどい位に長兵衛に説明する佐野槌の女将像をつくった談春は、それはそれで一つの解釈ですし、新機軸として相応の評価はされていいでしょう。しかし、先日のテレビ(WOWOW)では、あの場面に自分で酔ってしまって、「どうだ、俺の落語は!」といった高慢さが、どうしても見えてしまう。
それを野暮と言う人の見立ても正しいのだと思います。私も、「そこまでやったら野暮だよ!」と見ながら思っていましたから。
たしか鶴瓶だったと思いますが、志ん朝の文七を聞くと中村勘三郎が目に浮かぶと言っていました。なるほどと思います。勘三郎が長兵衛を演じるシネマ歌舞伎の文七、角海老の女将役は亡くなった中村芝翫さんでしたよね。見たことはないですが、テレビなどで拝見した芝翫さんの女将役を想像することはできます。
やはり“いき”な落語に、“饒舌”は似合わないと思います。日本の文化は、行間に宿っていますから。

Commented by YOO at 2012-05-02 13:58 x
どうも酔った勢いで書き込んでしまった支離滅裂な文章に、その都度ご丁寧なお返事をいただき恐縮です。ありがとうございました。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-05-02 15:08 x
お詫びには及びません。
私のブログも、たびたび酔った勢いで書いていますので^^

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by kogotokoubei | 2012-04-30 09:23 | 落語と映画 | Trackback | Comments(10)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛