それぞれの人の、「談志の一席」-BSジャパン「今どき落語」特別編より
2012年 02月 09日
BSジャパンの「今どき落語」、今夜は“立川談志 追悼特別編”「談志の落語なら、この一席」だった。BSジャパンのサイトの該当ページ
なかなかおもしろい試みだと思う。その内容が、二つの飲み会と談志の高座の一部で構成されているとしても、この時期まで家元は“死してマスコミを走らせ”てくれている、ということか。
まず、俳句仲間「駄句駄句会」の飲み会から始まる。と言うか、この会が番組の主役。
メンバーに、「談志の、この一席は?」という質問。
この会の主宰者の山藤章二は、なんと「よかちょろ」。文楽のこのネタが出るとは意外!
次は野末陳平。「青龍刀権次」。聞いたことがない。
高田文夫は、この会ではなんとも控えめ。学生時代、あの右朝との二人会をやる時に談志からもらった丁重なネタに関する指導の手紙の想い出を語り、「居残り佐平次」。
島敏光は、「権兵衛狸」。
立川左談次は、「黄金餅」。
名前は知っているが初めて拝見する木村万里は、カテゴリー別にいろいろ挙げたなぁ。一席には絞れないということなのかもしれないが、やはり決めなきゃ・・・・・・。
吉川潮、「人情八百屋」。珍しい浪曲からの噺、と言うことで。
*当初『人情長屋』と誤って記しておりましたが、4kさんにコメントでご指摘をいただき訂正いたしました。
この後に、高座の断片が放送された。「黄金餅」の言い立てなど。志ん生の真似も、少し。
その後に、バー「美弥」で、左談次、ぜん馬、談四楼、談幸の、ちょっとだけの談話。
次に、また談志の高座のカット。「居残り」「らくだ」など。
また、「駄句駄句会」に戻る。
山藤さんも、結構なお歳になったなぁ。今月20日で75歳。談志の一歳年下、志ん朝の一歳上、木久扇と同じ年の生まれ。「落語ちゃんちゃかちゃん」のことを話していらっしゃった。
談志の“一席”、これだって人それぞれの「思い」や「体験」とつながっているので、人によってネタは違って当然。“古今亭十八番”も“志ん朝十八番”も、もちろん人それぞれだと思う。
そういう、“あの時のあの噺”、という後々までも思い出すことのできる高座に、一席でも多く出会いたいと思う。一杯やりながら、そんなことを思ってこの番組を見ていた。
私は生の高座は一回しか経験していないので、あくまで残った音源でしか知りませんが、講談大好きの談志は、講釈ネタの際、演じている自分も目一杯楽しんでいるように思います。
もう亡くなって3ケ月もたつのに、いまだに追悼番組なんて。
いや、達者で上手い噺家だと思いますよ。
私は、生で何度も聞きました。特に、改装前の池袋によく出ていて、薄い客をしっかり魅了した(私としてはされた)経験が何度もあります。
すごい噺家だと思います。
でも、ここまで追悼追悼と引っ張る噺家ですか?
議員になったり、三遊協会を画策したり、家元になったり・・・所詮、我がままし放題のはぐれ者でしょ。
その発言がそれなりだから、マスコミ人やいわゆるエセ文化人にその信者が多いから、このマスコミの論調につながっているだけで、総合的な意味での噺家としてみれば、それほどの存在意義はなかったでしょ。
よくナマの高座は1~2度とか、場合によってはテレビやDVDでしか談志をしらない人が、マスコミの論調に踊らされて「談志はすごい」と感心していますが、(少なくとも)50席くらいナマの談志に接してきた私としては、ちょっと持ち上げすぎじゃない?と眉唾。
彼は落語家であると同時に落語ファンでした。落語を愛していたから、その頂点に立ちたいと願っていた。
で、それなりに振る舞って、見識の浅い(エセ)文化人やマスコミ人が持ち上げただけ・・・と私は思っています。
私の評価では、談志は達者ではあるが、ただそれだけの人。
落語界に衝撃!なんか、な~んにもありません。
信者の方々、すいません。私の偏見でした。気分を害した人がいたらすいません。古い落語ファンの偏屈な意見でした。
でも、本当に冷静に考えてみてください。談志って・・・・それほど?
談志の映像のストックが多いことや交友範囲の広さなどもあって、テレビの素材を作りやすい、ということもあるのでしょうね。
しかし、志ん朝、小さんなどの没後のマスコミの取り上げ方と比べても、少し“商売”にしすぎでしょうね。
私は生の高座は一度だけで、とても偉そうなことは言えないのですが、このブログで何度か書いているように、噺家としてよりも、落語や芸能の“指南役”として、談志を評価しています。
あの世で師匠小さんや志ん朝、円楽たちと昔話に花を咲かせているでしょうから、そろそろ静かにしてあげたほうがいいでしょうね。
「議員になったり、三遊協会を画策したり、家元になったり・・・所詮、我がままし放題のはぐれ者でしょ。 」
こうした行動を「業」でくくって肯定しちゃった、そして落語界を揺さぶったところに談志師の凄さがあると思います。
つまりわがままを貫くで落語という芸能を変えてしまった。それを「革命」と見るか「はぐれものが余計なことをした」と見るかはそれぞれの落語観でしょう。
落語が大衆芸能である以上、こうして死後、落語をろくに知らない人にも騒がれすぎるくらい騒がれること自体が談志師の凄さだと思います。それを是とするか否とするかは別として。
もっとも家元「俺は大衆なんか知らん」と仰ってましたがネ。
ま、しかし確かに騒ぎすぎたと思いますよ僕も。これは何か世情と関係あるじゃないかと思いますね。なんか、談志師の生き方を羨ましいと思う人が多いのかなとか。
また、私の誤りへのご指摘、誠にありがとうございます。『人情長屋』ではなく『人情八百屋』でしたね。
一杯飲みながら書いたブログをしっかり校正しないので、こういうミスが最近は多く、赤面ものです。
本文の訂正もさせていただきます。