噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

ニューヨーク・フィルが携帯の音で演奏中止、というニュースで思うこと。

ニューヨーク・フィルの公演中、客席で鳴った携帯の音が止まず、指揮者が演奏を中断したらしい。47NEWSの該当記事

NYフィル、携帯の音で演奏中断 客席でアラーム数分鳴りやまず
【ニューヨーク共同】米ニューヨークで10日夜開かれた名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックのコンサートで、携帯電話のアラームとみられる音が客席で鳴りやまず、指揮者が演奏を中断するハプニングがあった。12日付のウォールストリート・ジャーナル紙などが報じた。

 同フィルが本拠地リンカーンセンターでマーラーの交響曲を演奏中、最前列の客席からマリンバをアレンジした携帯音が鳴り始め、数分続いたという。

 指揮者が携帯のスイッチを切るように注意したが、鳴りやまないため演奏を中断。最前列にいた年配の男性が切るのを確認した上で、曲の途中から演奏を再開した。
2012/01/13 06:55 【共同通信】


 もし、これがアルバムへの収録のため録音中だったら、この犯人に賠償責任が、アメリカなら発生するのだろう。いや、収録など関係なく、ニューヨーク・フィルと観客への慰謝料が発生するかな・・・・・・。

 音楽であろうが、歌舞伎、能、狂言、そして落語などの芸能であろうが、“ライブ”は演者と観客が作る「一期一会」の世界である。その、限定された「時間」と「空間」を共有する「場」である。

 落語会や寄席の場合に限って考えてみる。その高座が結構なもので、会場の笑い、拍手、歓声などが、高座内容に相応しく、また自然な反応として一体化された時、その「場」が何ともいえない幸福感に包まれる。また、そういう幸福な一体感を味わいたいがために、安くない木戸銭を払い、貴重な時間を費やすとも言えるだろう。

 だから、携帯に限らず、その「場」にふさわしくない音は、全て「ノイズ」となる。
・携帯の音(呼び出し音もバイブレーターの音も含め)
・ひそひそ話の声(例えば、ネタが分かって自慢げに連れの客に告げる馬鹿が、結構いる)
・鼾や寝息
・菓子袋などによるガサガサした音
などなど。

 私の経験では、携帯の“犯人”は高齢の方が多く、仲入り後に鳴るケースが多いように思う。開演前に会場のアナウンスなどで注意したり、開口一番の前座さんが注意することが多いので、仲入りまでに鳴ることは少ないのだが、仲入りで電源をオンにしたままオフにするのを忘れる、ということだろう。仲入り後に会場で再度注意する場合もあるが、必ずしもどの会でも行っているわけではない。本来は“野暮”かもしれないが、残念ながら、仲入り後の後半開演前にも会場で注意を徹底すべきなのだろう。

 もちろん、「マナーだろう!」「大人だろう!」「常識だろう!」とは思うが、実際に携帯が鳴ったりすると、せっかくの一体感、幸福感が台無しになりかねない。

 これを、自動車の運転に喩えてみれば、ルールを守れず、その“流れ”に乗れない運転手は、周囲の迷惑でもあり、事故が起これば相手にも自分自身にも生命の危険を与えることになる。しかし、車の運転の場合、違反することにより罰金や自分自身の怪我などのペナルティがあり得るので、高齢者の方で運転に自信のない人は、自主規制作用が働くだろう。

 だったら、落語会などでの“マナー違反者”にもペナルティを与えるべきではないか、そうすれば抑止効果があるのではないか、という発想も沸く。
 アメリカのような訴訟社会では、万が一の訴訟によるコスト負担が、ある意味で抑止効果になっているかもしれない。日本は、良くも悪くも、アメリカのような訴訟好きな国ではない。

 これは難しい問題なのだが、“携帯違反”(私が今、名付けた)にも、何らかのペナルティを考えるべきなのかもしれない。

 例えば、違反者を特定し、いわばブラックリストに載せて、その人にはチケットを販売しない、などが考えられる。しかし、例えば、たった一回の“不注意”により、その人の楽しみを奪い去ることが許されるのか否か、という論議が起こるだろうなぁ。
 会場によっては、携帯の電波がつながらない所がある。何らかのシールドによって防御しているのだろうが、コストが発生するなぁ。
 受付で携帯を預かる、という手もあるが、もし紛失した場合などは騒ぎになるだろう。管理するコストやストレスが発生する。

 最近行っていないが、喜多八、喬太郎、歌武蔵による「落語教育委員会」は、コント(寸劇?)で携帯マナーの教育活動を行っている。そういった努力も重要だろうが、この会に行った人だけを対象としているので、リーチが狭い。

 いろいろグダグダと書いてきたが、残念ながら「コレッ!」という名案が浮んだわけではない。しかし、今のままでは、“携帯違反”は減らないだろうなぁ。逆に増えるかもしれない。なぜなら老人人口は増えるばかりで、ほぼその人達は携帯を持っているだろうから・・・・・・。

 別の記事によると、他の観客は指揮者の判断を支持して拍手したとのこと。演奏していたのはマーラーの交響曲第九番。この曲のことは詳しくは知らないが傑作で有名らしい。
 
 この“犯人”が、その後どうなったのか、非常に興味が湧くところである。
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Commented by mama at 2012-01-13 20:06 x
歌舞伎でも、ここぞという場面でガサガサ袋を開けたり役者の家系など囁きあったりと、信じられない人がいます。振り向いてにらむのが精一杯。その後、こちらの方が自己嫌悪でいやな気分が抜けなくなって、舞台に集中できなくなります・・携帯が鳴ったことさえありますよ。
映画の前など細かな注意事項が示されるようになりましたが、それさえ自分の身に置き換えて考えないんだろうなあ。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-01-13 21:01 x
歌舞伎でも、ですか・・・・・・。
どういう神経しているんでしょうねぇ、困ったものです。
“野暮”は承知で、くどい位に事前に注意しないといけないのかもしれません。
せっかくの“ハレ”の日を台無しにして欲しくないものですね。
テレビも、こういった問題を取り上げて欲しいものです。
ニューヨーク・フィルの件、結構ネタとして取り上げやすいように思うんですけど、耳障りの悪いテーマは、やらないでしょうね。

Commented by やま at 2012-01-13 23:17 x
はじめまして。
マーラーの9番は彼の作品のなかでも最高傑作とされるものです。携帯事件はその特に印象的な4楽章らしく、酷い話です。
落語で言えば内容は異なりますが「鰍沢」で携帯がなってしまうようなものではないでしょうか。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-01-14 08:55 x
お立寄りいただき、貴重なコメントを頂戴し誠にありがとうございます。
そうなんですか、それは酷いですね。
それぞれの楽器の一流アーティスト達が練習に練習を重ねてきた努力や、心待ちにしていた観客の心を踏みにじる悪事、としか言えないですね。
「鰍沢」も含め、名人上手の高座の重要場面で、一瞬の“間”の静寂に携帯が鳴るようなものかと思います。
今後も、またお立寄りいただき、よろしくご教授のほどをお願いいたします。

Commented by 佐平次 at 2012-01-14 09:09 x
能は舞が終わってもすべての出演者が退場して舞台が空になって初めて終演、そこで拍手をします。
それをまい終わるや否や拍手されるとそれまで息を凝らしてみていた感動がしぼんでしまうような気がします。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-01-14 09:27 x
いただくコメントで勉強させていただくことが多い!
へぇ、能はそうなんですか。初めて知りました。
それぞれの芸術を鑑賞するためのマナー、決まりごとがあるということですよね。
それを知らずにいる客、守れない客は、その場にいる資格がないと思います。
良い指南役を得ることが重要なのでしょうね。

Commented by ほめ・く at 2012-01-15 17:20 x
クラシック音楽でも演奏が完全に終了して短い余韻の後に拍手するのがマナーですが、音が止むと同時に「ブラボー」という声援をおくる「ブラボー男」をしばしば眼にします。
こういう手合いはマナーを知っていてやるのですから始末に悪い。
携帯音も時に「確信犯」ではないかと疑ってしまうような悪質なケースもあります。
かといって「公演妨害罪」を作るわけにもいきませんし、妙案はないですね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-01-15 18:42 x
「ブラボー男」ですか、また勉強になりました。
そいつは、まったく「べらぼう男」ですね^^
不注意ではなく、“確信犯”だとしたら、とんでもないことです。
なかなか「困った人」はいなくならないものですね。

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by kogotokoubei | 2012-01-13 10:56 | 幸兵衛の独り言 | Comments(8)

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