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ヤクザと芸能界のこと、など。

 紳助問題に端を発し、そして「暴力団排除条例」施行で残っていた東京都と沖縄が、この10月1日から施行したこともあって、NHKの紅白歌合戦の出場者をめぐって、芸能週刊誌やネットがそろそろ騒ぎ出した。もし、真面目にその筋と何らかの関係のある芸能人を排除するなら、いったい誰が出場できるのか・・・・・・。

 吉本興業と山口組との関係について、『平成日本タブー大全』の中で、溝口敦が次のように記述している。『平成日本タブー大全』(宝島SUGOI文庫)

 1966年、兵庫県警は山口組壊滅作戦をスタートさせるが、当時、県警は吉本興業を山口組系の企業と見ていた。事実、壊滅作戦中の68年1月、兵庫県警は大阪・心斎橋筋の吉本興業本社を家宅捜索し、当時の社長林正之助の勾留を地裁に請求している。林は糖尿病、心臓病、動脈硬化などの病気があることを理由に勾留を免れたが、林社長の容疑は、マーキュリーレコード乗っ取り事件、吉本興業発行のダブル株券にからむ恐喝事件の二つだった。
 当時の兵庫県警資料は吉本興業と山口組との関係について、大略、次のように記している。

<戦後、田岡一雄が三代目を襲名した後の昭和23年ごろ、神戸での(吉本興業による)興行に田岡が文句をつけ、紛議をかもしたことがあった。このとき田岡の方から京都花月へ林正之助を訪れたことから、林も迎合的に接近するようになった。
 神戸芸能のショーやプロレス興行に対して林は積極的援助を続けてきた。その例として、大阪中央体育館でのプロレス興行に、田岡と同席して観覧したり、昭和40年2月の亡妻の葬儀に田岡が参列し、その後、田岡の入院先である尼崎の労災病院へ林がしばしば見舞うなどのことが挙げられる。
 また田岡フミ子名義で吉本興業の株4080株を持たせるなど、両名の関係はきわめて深いものがある>


 吉本と山口組との関係は、決して浅くない。
 
 もちろん、ヤクザと芸能界との関係は吉本に限ったことではない。
 日本のヤクザに関する研究や著作で際立った存在である猪野健治の『興行界の顔役』は、昭和の興行界の伝説の男である永田貞雄の一代記とも言える書であるが、その中にヤクザと興行に関する興味深い記述が多い。

ヤクザと芸能界のこと、など。_e0337777_11075496.jpg

猪野健治著『興行界の顔役』(ちくま文庫)
 
 先に断っておくが、私はヤクザを肯定もしなければ、市民への暴力や、彼らが背後で操るオレオレ詐欺による高齢者に対する犯罪などについては、断固として反対する。ただし、歴史的事実として興行の世界にヤクザは大きく関わってきたし、あの世界においては、ある面では必要悪と考えざるを得ない部分もあったと思っている。

 問題は、今の世に永田貞雄のようなヤクザ同士の興行に関わる諍いを仲裁できる器の人物がいないことや、“反社会的”勢力とじゃ、江戸時代の任侠とはまったく違う精神に根ざしているということだと思う。

 昔の任侠は、あくまで“弱い者”を助ける存在であって、決して弱い者いじめの側には立っていなかった。それは、以前に播随院長兵衛のことを書いたので、ご興味のある方はご参照のほどを。
2010年8月27日のブログ

 昭和30年代の興行界について書かれた部分を引用したい。

 昭和30年から39年にかけては、戦後第二の興行界の黄金時代だった。
 この時期、芸能社、興行社の数は全国でざっと二千社にのぼった。
 ただしこの数字は、あんまりあてにならない。このうち約70パーセントが組系の興行社であり、カスリをあげるための口実づくりに、看板だけをあげているものが多かったからである。実際に機能していたのは、三百社ていどであったろう。
 組織系興行社の中では、美空ひばり、田端義夫、高田浩吉の三人の興行権を独占した神戸芸能社が他の追随を許さない抜群の実力を発揮した。
 38年12月、田岡一雄が神戸市灘区篠原本町4の19の税理士の居宅を買収して、新築した大邸宅の完成祝宴には、わざわざ高田浩吉らが祝いにかけつけている。
 神戸芸能社とともに、当時“勇名”を馳せたのは、東京の自由芸能社であった。同社は、関東一円に勢力をもつ松葉会の木津政雄副会長(当時)が設立したもので、やがて小林梢にバトンをゆずって、相談役に身を引いた。
 自由芸能社は、福島、山形、秋田、宮城、岩手、青森など東北六県の興行を押さえ、同地域で歌謡ショーなどの興行を打つには、同社の仲介が必要であった。
 同じ松葉会系列に久野益義系の東京興業があった。自主興行はあまりやらなかったが、34年、当時売り出し中の石原裕次郎と美空ひばりを二枚看板にした歌謡ショーを企画した。この顔ぶれなら当たることは間違いはない。
「そのころ裕ちゃんは、ターキー(水の江滝子)の自宅にいてね。
 東京興業からターキーに直接電話が入った。両国国技館で、美空ひばりと石原裕次郎のショーを企画したから、ぜひ裕ちゃんを出してほしいと。恐れをなしたターキーは、後見人の深見和夫さん(報知新聞社長)に相談した。深見さんからわたしのところへ連絡がきて“永田くん、ターキーがやくざにくいつかれたらたいへん、裕ちゃんの出演をどうしたものかって、言ってきてるんだ。何かいい知恵はないかね”という。
 (中略)
 ひばりの方は出演OK。三代目(田岡一雄)が巡業先の九州から、飛行機で東京までつきそってきましたよ。その頃三代目は、ひばりをなめるようにかわいがっていました」
 永田貞雄の述懐である。
 両国国技館でのひばりと石原裕次郎の興行は大盛況で、一万人以上の観客が入った。



 芸能の世界では、ある意味で相撲のタニマチと同じような支援者が存在するわけで、そのタニマチが興行に携わる、今言われる“反社会的勢力”であった歴史的事実は消すことができないし、当時は必然性があったのだ。

 今年の“アカシロ”歌合戦、本気で警察が取り締まったら、出場できるのはAKB48とマルモの芦田愛菜位しかいなくなるのではなかろうか。個人的にはほとんど興味のない年中行事になっているので、誰が出演するかはどうでもいいことなのだが、芸能の世界に余計な制約や干渉が加わることは望まない。この手のことは際限なくエスカレートすることがあるので、近い将来、寄席への入場の際に身分証明書の提出が義務付けられるなども、ないことはないからね。
 ヤクザやチンピラによる暴力や弱い者いじめが減少することは大歓迎だが、“社会秩序維持”というタテマエで官僚や関連組織が行なうことは、必ずしも市民のためではないことのほうが多い。彼ら官僚が過度に頑張ることで、一般市民が住みにくくなるのは困る。


 えっ?どうして、10月10日の体育の日に、ヤクザのこと書いたのかって。それは猪野健治さんの名著『やくざと日本人』の次の文章にヒントがあるのだ。猪野健治著『やくざと日本人』(ちくま文庫)

 やくざは、むかし八九三と書いた。江戸時代の風俗百科事典といわれる『嬉遊笑覧』には、「十とつまるは数にならず、八九三、二十につまる故、悪きことの隠語を八九三といひ始めたるなり」(喜多村信節、文政十三年=1830年刊)と出ている。花札賭博でいうブタ—点数にならないカス札からきたわけである。


10+10も20、という何とも情けない理由・・・・・・。『やくざと日本人』については、後日詳しく取り上げたいと思っている。この本は、本来はもっと研究されて多くの著作があって然るべきあの世界に関する唯一無二とも言える労作。アメリカではマフィアに関する本はたくさん出版されている。日本における“タブー”なテーマの一つがヤクザの世界だからだろうが、タブーが多い社会こそ未開の社会なわけで、原発も含め、その実態を知ることのできる情報によって、我々市民は自ら考え行動できるのだと思う。「臭いものにフタ」ばかりをしてはいられない時代なのだ。
 今思い起こせば、原発事故の直後、新刊書店で原発関連本を探してもほとんど店頭に並んでいなかった。しかし、昨今は書店のベストセラーにどれほど原発関連本が名を連ねていることか。これまた、日本人ならではの現象なのだろう。
 今後は、もっと市民による本来の民主主義確立のための本が書店に並ぶことを期待したい。震災と原発事故を契機に、本来の市民による自然と共生する社会、そして不当な差別や、都会の電力のための地方の犠牲、そして死と隣り合わせの仕事の強要などが存在しない社会を築かなければ、これまた日本人の特性である「喉もと過ぎれば・・・」に戻ってしまうのが危惧される。ヤクザの発祥を辿れば、そこには差別問題も原因として存在したことを忘れてはならないと思う。

 ややテーマが拡散してしまったが、さて、年末の“アカシロ”歌合戦は、どうなることやら。
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by kogotokoubei | 2011-10-10 23:07 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(0)

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