噺の話

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雲助の「お初徳兵衛」「船徳」への思い (雲助ホームページより)

 先日(8月22日)の人形町らくだ亭の余韻がまだあり、ネットで何気なく調べていたら、これまで知らなかった「雲助」のサイトを知り、そこに、かつて「雲助蔵出し」という会を行っていた時のネタや噺の解説なども掲載されているのを発見した。「雲助」HP

 せっかくだから(?)、師匠十代目馬生の思い出から、一つだけ引用。

実戦の芸
 亡くなった圓生師匠が私の噺は道場の芸で志ん生は実戦の芸だと言ってましたけど、そうした意味ではあたしの師匠も実戦の芸だったと思います。ノって演った時の良さてぇのはなかったですからね。人形町の末広で師匠が真打でした。寒い時分で客はそこそこの入り。仲入りが圓生師匠でひざ前が小さん師匠でした。その晩珍しく早くから出演者が楽屋に揃いました。末広の楽屋は高座の脇で高座の様子が良く分かります。圓生師匠が上がって「夢金」をやりましたが、これがよい出来だったんですね。「はい、お先に。てへへ」と機嫌良く帰っていきました。続いて小さん師匠が「睨み返し」を。これが又良かった。「お先ぃ」と帰りました。これをずっと楽屋で聴いていた師匠は「らくだ」を演りましたが、これがあなた、「らくだ」を数聴いた中で一番の出来。ほんと凄かった。ハネてからお客が数人楽屋に訪ねてきて、「今日は本当に良い思いをさせて貰いました」と興奮気味に言ってましたが、そりゃあの晩のお客は幸せでしたでしょう。


 この顔ぶれとネタ、その場にいた人はさぞかし幸せだったろうなぁ。
 
 さて、「蔵出し」については次のような説明があった。

不定期に催している勉強会です。つまり今まで演った根多がお蔵入りにならないように虫干しをする会です。長い根多はそうそうかける場所がありません。寄席ではトリでもせいぜい三十分ですか ら、せっかく覚えてもついついお蔵入りになってしまうんです。ところが「蔵出し」ももう二十数回となりますと、始めの頃虫干しをした根多がまたぞろ蔵入りしかかってきました。そこでこうした根多をもう一度風にさらそうと始めたのが「雲助聴かせやせう」です。もっとも根が無精者ですから、この会はまだ一回やったきりです。(^^;;


 「雲助聴かせやせう」が、その後何回続いたかは知らない。

 このホームページは、落語協会のプロフィールに「趣味 パソコン」と書く位だから開設は早かったようだが、しばらく更新されていないように見受ける。しかし、噺の紹介や、師匠馬生の逸話なども紹介されていて、なかなか楽しい。

 「蔵出し」の第19回が平成6年7月10日(そうです、「四万六千日」です)に開催され、なんと「お初徳兵衛」と「船徳」を演じていたようだ。「雲助」HPの該当ページ

第拾九番蔵出し
 鼻の圓遊は偉かった ト云フ回

  平成六年七月十日  於・浅草舟和亭

一、お初徳兵衛 一、船徳  

一、お初徳兵衛

 本来は「お初徳兵衛浮名の桟橋」の「馴れ初め」で、曽根崎心中の名前取りになっています。この後は油屋に二人の仲を嗅ぎ付けられて心中立てになってくると云う典型的な世話噺です。志ん生師匠からあたしの師匠へと伝わったもので、その前は分かりません。数ある噺の中でも、女から男を口説くというのは他に知りません。「宮戸川」が少し其の気がありますけど、この噺ほどお生には口説きません。それだけに演っていて照れ易く、といって照れていては今度はお客様が照れる、といった案配で、なかなかに難しいのです。ある仲間の噺家が「俺にはとても出来ねぇ」と言うのを「うん、とてもお前には出来ない」と言っておきました。柄があるんですよ柄が。ちょっとあの顔ではねぇ。誰とは言いませんが。いずれこの先も演ってみようと思ってますが・・・・。覚えるのが、ねぇ。
 
一、船徳

 右の典型的な世話噺を、落し噺の傑作に作り替えたのが、かの鼻の円遊であります。この他にも因果噺の「野晒し」やら、黒門町の師匠でお馴染みの、酔態の甚だ難しい「素人鰻」を現在の「鰻屋」に直して、徹底的に陽気な噺にしたのもみんな鼻の円遊であります。当時としては批判もあったようですが、人気がそれを上回ったようです。時代的にも地方からどっと東京に人が流入して、好みが変わってきたのも円遊に味方したのでしょう。現在円遊の速記を読み返してみると、恐ろしく口の廻る人だった事が知れます。能弁にくすぐりを立て続けに喋りまくるおかしさは、それまでになかったのでしょう。絶大な人気を博したのもよく分かります。
 
 今回は世話噺と、落し噺の競演になりましたが、実はあたしは落し噺のが好きなのです。



 かれこれ17年前だから、昭和23年生まれの雲助が46歳の時。先日のなんとも堂に入った高座を考えると、まだ当時は 、“演っていて照れ易く、といって照れていては今度はお客様が照れる、といった案配で、なかなかに難しい” という思いが強かったのだろうと察する。

 近松門左衛門の「曽根崎心中」を素材として、「お初徳兵衛浮名桟橋」として一つの噺にしたのは、初代古今亭志ん生だと言われる。初代円生の弟子で、二代目円生襲名争いに敗れ悲嘆のあまり上方に放浪の旅に出たと言われる名人だ。円朝に与えた影響も大きかったようだ。この噺、初代志ん生の作品という意味で、“古今亭-金原亭”ラインの重要な持ちネタである。

 そして、この噺を「船徳」として滑稽噺に改作した初代円遊は円朝の弟子。「ステテコの円遊」あるいは「鼻の円遊」と言われ明治期の落語を支えた、これまた名人と言っていいだろう。人気の絶頂期には一日に36席の寄席を掛け持ちしたと言われる。寄席では「ステテコ」を踊るだけでも客は喜んだらしい。ルーツは三遊派-古今亭の噺ではあるが、今では柳派を含め幅広く演じられる人気ネタ。

 その後、雲助は、横浜にぎわい座などの独演会でもこの二席をかけている。両方の噺を自分自身で演じ客に聞き比べてもらおう、というなかなか味な企画。今後も機会があれば、ぜひ聞いてみたいものだ。

 一門にとって重要な噺を長年に渡って練って磨いてきた雲助、地味なようでいて結構幅広く落語愛好家の支持を得ているのもむべなるかな。ただし、女性に熱狂的とも言えるファンが多いのは、ちょっとだけ妬ける。
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Commented by hajime at 2011-08-26 23:58 x
お邪魔します。
雲助師匠のHPは私も何度か訪れた事があります。興味深い話ばかりなので、読み応えがありますね。又文章が多いのも特徴ですね。
それにしても文中の人形町末広の顔付は凄いですね。
圓生、小さん、馬生なんて、今ならいくら出しても良い。と言うお客ばっかりでしょうね。
私も、もう一度聴ける事が出来たら、女房質に入れても聴きに行きたいですね。
最も、質屋さんで断られますが・・・(^^)

Commented by 小言幸兵衛 at 2011-08-27 08:29 x
いやいや、質屋さんによっては・・・・・・。
このHP、師匠馬生のことは、結構悪口(?)も多いのですが、この日の出来は凄かったようですね。
人形町末広も、この三人も、もうじき伝説の世界に埋もれてしまうのでしょう。
雲助や他に過去の名人の弟子であった現役の人たちには、もっと記録と記憶を語ってもらい、書き残してもらいたいと思います。

Commented by 佐平次 at 2011-08-28 10:09 x
やっぱり雲助旦那も落とし噺派、我が意を得ました。

Commented by 小言幸兵衛 at 2011-08-28 16:03 x
雲助のブログや本で紹介される発言を見ると、志ん朝が落語の魅力について「狸や狐が出ること」と語った言葉を思い出します。
さん喬も「ぼう鱈」などの滑稽噺が好きと言っていますが、どうしても人情噺のイメージが強いでよね。
実力者に共通の心情なのかとも思います。

Commented by 創塁パパ at 2011-08-28 21:40 x
雲助の「滑稽噺」が好き。
でも、「ストーリー性」の噺も
雲助なんですねえ(笑)
だから、落語は奥深い。

Commented by 小言幸兵衛 at 2011-08-29 08:41 x
実力のある噺家さんは、滑稽噺も人情噺もどちらも上手いというのは当たり前のことでしょうが、本人が「落とし噺が好き」と言うのは、「人情噺が好き」と言うことへの“照れ”もあるような気がします。
もちろん実際に滑稽噺が好きなのでしょうけどね。
「ざるや」もいいけど、「お初徳兵衛」もいい、ということですね。

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by kogotokoubei | 2011-08-26 16:20 | 落語のネタ | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛