噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

成田屋を支援する三升連はいないのか・・・・・・。

柳家三三が初代談洲楼燕枝作の『嶋千鳥沖津白浪』の三夜連続口演をしたことに関連して、燕枝のことを書いた。
2010年11月19日のブログ

 
e0337777_14053894.jpg

関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)

 その際に、関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)から次の文章を引用した。

 三遊亭円朝の辞世の句「目を閉じて聞き定めけり露の音」には仏教的な“悟り”が感じられて感銘深いものがあるが、談洲楼燕枝が残した「動くもの終りはありてこぶ柳」には悲痛な感じがただよっている。
 柳亭燕枝があえて談洲楼といったのは、むろん市川団十郎から来ているのだが、それが烏亭焉馬への憧憬の志を含んでいることは見逃せない。落語中興の祖といわれる烏亭焉馬は、五代目団十郎に傾倒して談洲楼焉馬と称したが、燕枝は焉馬を追慕したようである。燕枝は若いころから道具入りの芝居噺を演じたが、声色は河原崎権之助(のちの九代目市川団十郎)の真似が一番うまかったという。よほど成田屋が好きだったのであろう。


 燕枝が憧れた烏亭焉馬が贔屓にした団十郎について少し説明するため、「成田屋」のホームページから家系図を拝借した。ちなみに、このホームページには、今回の騒動に関しては何も情報はなく、初春花形歌舞伎にも海老蔵の名前がまだ残っている・・・・・・。
成田屋HPの家系図のページ
e0337777_11070288.jpg


 烏亭焉馬のことについては、何と言っても延広真治著『落語はいかにして形成されたか』が詳しい。
延広真治『落語はいかにして形成されたか』(平凡社)
 

 いつの時代でも、芸人に対する熱心な贔屓客は存在する。しかし、烏亭焉馬の五代目市川団十郎に対する肩の入れよう異常ともいうべきであった。団十郎にちなんで談洲楼と号し、大工の棟梁としてお手のものの室内の装飾、調度には団十郎の定紋にちなむ三升の模様をつけ、三升紋の手ぬぐいや三升の布目象嵌の煙管を商うほどであった。加えて団十郎贔屓の団体三升連を組織してその中心となり、種々の活動を行った。その最大のものは『御江都餝鰕(おえどかざりえび)』(寛政四年)から『以代美満寿(いよみます)』(文政元年)にいたる七部の三升連狂歌俳諧集の編集で、入集者のみでも約千四百名に上っている。大田南畝・山東京伝・式亭三馬・石川雅望(宿屋飯盛)・鹿都部真顔らはいずれも連中の一員である。
 また、六代目団十郎に先立たれた五代目団十郎の没後は、まだ幼かった七代目団十郎の後見役を引き受け、彼を代々の団十郎に対して恥ずかしくない江戸の花に育てあげている。観客の動員数によって役柄のよしあしが左右される芝居の世界にあって、焉馬は三升連の肝煎として、つねに一定の観客を動員した。若い七代目団十郎にとって、それはさぞかし心丈夫であったに相違ない。


 焉馬は寛保三(1743)年に生まれ、文政五年(1822)年に没している。ほぼ年齢の同じ五代目団十郎を贔屓にし、五代目の孫である七代目の大支援者であったわけである。ちなみに六代目は二十二歳の若さで風邪をこじらせて亡くなったらしい。家系図の右側の下のほう三人が五代目、六代目、七代目である。
 私は歌舞伎には詳しくないが、調べることはできる。焉馬が幼い頃から擁護した七代目は、団十郎の名を息子に譲った後で、海老蔵を名乗った。実は、十二代の団十郎のうち、初代、二代目、そして七代目の三人が団十郎の後で海老蔵を襲名している。海老蔵から団十郎というステップは当代を含め五人。そして、六人目がいつ誕生するかは、今回の騒動もあって今は何とも予測がつかない。
 
 落語中興の祖と呼ばれる烏亭焉馬のように力強い団十郎贔屓、三升連のリーダーは期待できないにしても、今の成田屋の危機に、彼らを支援する三升連のような“連中”が存在しないのだろうか。ちなみに、“連”の人を“連中”というのだから、決して悪い言葉でもなかろう。
 歌舞伎という芸能があまりにも庶民から距離を置いてしまったことは間違いないだろう。中村座、森田(守田)座、市村座という江戸三座や、神社や寺院の境内で開催される「宮地芝居」に親しんだ時代における歌舞伎の娯楽としての有難さは、今の時代に望むべくもない。
 そして、“梨園”などと呼ばれる世界の人々と庶民との間隔は、噺家と寄席の客よりは、間違いなく距離がある。だから、今回のような騒動になった場合、客の立場から海老蔵を擁護する声がほとんど聞こえないのも無理からぬことなのかもしれない。歌舞伎も落語も、そして相撲も江戸時代に大衆芸能だった頃からは変貌を遂げてるのはいたし方ないが、こういった事件の時に、マスコミに登場する擁護側の声は、その世界の人か評論家や専門家ばかりで、客の側の声はあくまで一人一人の感想でしかないように思う。そんなことを考えると、まだ落語の世界の親近感や庶民性に安心したりもするのである。

 しかし、もし、威勢のいい三升連的な方が今でもいらっしゃるなら、マスコミは、ぜひそういった人の声も拾い上げて欲しいと思う。もちろん、そういうご贔屓がいれば、あんな情けない会見そのものがなかったかもしれない。なぜなら、もし親が気が動転したのかどうか知らないが、あの会見の前にどうすべきかを指導できなかったにしても、贔屓の威勢のいい旦那達がいれば、彼が過ちを素直に認め、決して嘘をつかずに誠実に謝罪させるようにしていたと思うのだ。海老蔵の芸について語る資格は私にはないが、あの会見の芝居が下手だったことは、よくわかる。

 そして、いつものようにマスコミのやかましさには閉口する。誤った行動はもちろん指弾すべきだが、携帯電話が戻っただの、婚約指輪の消費税がどうしたといった内容にまで波及すると、「他にも重要なニュースはあるだろう!」と言いたくなるじゃないか。また、焉馬や燕枝と団十郎の関係のように、名のある噺家が今回の騒動について何らかの発言をしているようにも思えない。歌舞伎と落語の世界にも随分距離が出来たようだ。せいぜい最近の落語会で“梨園”と“離縁”の駄洒落を聞くだけである。

 私自身は『淀五郎』『中村仲蔵』『七段目』など、あくまで落語で歌舞伎の世界を楽しめればそれでも結構。しかし、そういった噺だって歌舞伎があったからこそなのだ。今回の騒動の中で、歌舞伎そのものが弱体化するのは、やはり日本人として困る。マスコミは観測記事や周辺の瑣末なことではなく、成田屋や歌舞伎界があらためて襟を正すにはどうすべきか、といった論議を展開できないのか。あえて言えば、個人的な問題ではないはず。歌舞伎の世界の、構造的な問題があるように思う。

 今回と同じような失態を繰り返さないためには、相撲界と一緒で、その彼らの閉じられた世界だけの自浄作用には期待できないだろうから、厳しい目をもち鞭と飴を使い分けられる、大人の客の声が重要なはずだ。そこであらためて思うのだ。平成の三升連の棟梁は、いないのだろうか・・・・・・。

[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2010-12-10 15:07 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛