噺の話

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9月19日の「天声人語」について -林家三平のこと-

今日9月19日の朝日新聞の「天声人語」で、明日が命日である(初代)林家三平のことを書いていた。噺家のことを題材にしてもらえたことは落語愛好家としてはうれしくもあるのだが、その内容にもう一つ納得できず、書くことにした。部分的に引用するが、全文はasahi.comでご確認のほどを。朝日新聞 9月19日付「天声人語」

 “マクラ”はこうだ。

ある時代、「型破り」はほめ言葉だった。逆に、無難を旨とし、勢いと遊びを欠いたデジタルの世からは、破壊のエネルギーにあふれた初代林家三平の高座が恋しい。早いもので、「昭和の爆笑王」が鬼籍に入って明日で30年になる▼若い頃の古典落語はとっちらかり、噺がまとまらない。ところが、生来の明るさゆえにそれがまた受けた。大御所たちの渋面をよそに、客席での人気はテレビの登場で全国区になる▼世相小話をつないで、歌あり客いじりありの異形の高座。



 “揚げ足”をとるような言い方になるが、かの「天声人語」なのであえて書く。
 この文章では誤解を招く。三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けた、ということはないはず。あくまで“異形”と筆者が評する芸が受けたのだ。人気が出てから唯一ともいえる古典(らしき)ネタ『源平』は別にして、若い時の三平の「古典」が「生来の明るさ」で受けたという話は聞いたことがない。
 東宝名人会の専属であった七代目林家正蔵という偉大な父を持ち、強いプレッシャーや周囲の目があったはずだ。当時は、“親の七光り”でなんとかなる時代ではない。若い時に古典では芽が出ずもがき苦しんだ結果として、テレビという新たなメディアを意識したあの「異形」の三平の芸が生まれたはずだ。もちろん、はかま満緒たちブレーンの存在も大きかっただろうが、三平が経験したであろう過酷な修練の日々は想像できる。

 そして、文章の真ん中あたりに次のエピソードが紹介されている。

時事ネタを求めて7紙を購読していたそうだ▼出番前、共演者と談笑していても父親の手は冷たく汗ばんでいたと、次男の二代三平(39)が『父の背中』(青志社)に書いている。はぐれぬよう楽屋でずっと手を握っていた者だけが知る緊張だ。指先から血の気を奪ったのは「爆笑の使命」の重さだろう


 出番前には三平でなくても緊張はする。あの志ん朝師匠が、出番前に必ず手に「人」と指で書いて飲み込む御まじないしていた、という逸話だってある。「爆笑の使命」の重さを象徴するエピソードなら、別にあの次男の本などから引用する必要もなく、いくらでもあるはず。
 そして、サゲがこうだ。

型にとらわれず、目の前の客を笑わせたい。初代三平の誠心誠意は、皆が明日の幸せを素朴に信じた時代に呼応する。爆笑王への郷愁、詰まるところ右肩上がりへの憧れらしい。懐かしむつもりが、ついつい無い物ねだりになった。


 このサゲがもっともがっかりする。三平を題材にして、サゲがこれ?
 筆者は「三平に郷愁を感じる。そして、三平が活躍していた頃の右肩上がりの日本にも思いは募る。ついつい、三平への郷愁で今の日本の無い物ねだりをすることになってしまった」、ということを言いたいわけか?
 竜頭蛇尾というか、一貫性に欠け、なんとも味わいの不足した文章と言わざるを得ない。「昭和の爆笑王」の命日、ということで書き始めたはずなのに、最後がコレ?
 テレビというメディアに相応しい芸を生み出したから三平は時代の寵児になったのだから、例えば、“ネタ見せ”お笑いテレビ番組の終了を引き合いにして、サゲにすることもできたように思う。私ならそうするなぁ。例えば、「三平はテレビというメディアに相応しい芸を開拓した革命児ともいえるだろう。昨今相次ぐテレビの“ネタ見せ”お笑い番組の終了を思うと、取替えの可能なタレント達と唯一無二の芸人との大きな違いを考えざるを得ない」とかね。でもこんなこと書いたら、同じ系列のテレビの人間と喧嘩になるか・・・・・・。

 三平の最大の貢献は、テレビ的な演芸を生み出したことで人気者になり、結果として寄席にも大勢の客を集めたこと、と多くの方が指摘している。当時二ツ目で主任を務めたのは三平と円歌の二人だけのはず。三平が出る日の寄席に主演した噺家の“ワリ”は間違いなく多く生活の足しにもなっただろうし、何より三平をきっかけにして寄席に通い始めた客も多いだろう。

 テレビというメディアの存在は彼の人気爆発への必要条件ではあるが、「右肩上がり」の景気が三平人気の必要条件であったわけではなかろう。筆者がそういう連想をしたとしても、「天声人語」って、そんな個人的な感慨だけで書いていいの?そもそも、この筆者は落語やその歴史をどれだけ知っているのだろうか。

 ・言葉足らずのマクラ
 ・引用するエピソードの不適切さ
 ・サゲの唐突さ、話の一貫性のなさ、味わいのなさ
 天声人語って、いつからこんなレベルになったのだろう、と購読者として余計な心配をしてしまった。

 一時大学試験に頻繁に出題されるということで受験生の家庭で朝日新聞の購読が多かった、という時代があった。あるいは、未だに試験に出るのかもしれない。このような内容ばかり書いていると、数年後にこの筆者は、“大学受験のために『天声人語』を読みなさい、と高校の国語の先生が言っていた時代”への郷愁を感じるかもしれない。
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Commented by 創塁パパ at 2010-09-19 22:51 x
おつかれさまです。最近の大新聞といわれる媒体の凋落は甚だしいです。
全く、自分たちで記事をかかない。
裏を取らない、同じ記事の垂れ流し。
極端にいうと、読売も朝日も変わらない論調なんてざらです。大新聞がくそくらえですよ!!!まだ毎日の方がましか(苦笑)読むところのない新聞。
どんどん、淘汰していくと思いますよ。勉強していない記者が多すぎ!!
私の父も新聞記者でしたが、天国で嘆いていると思います。書き手の影響の大きさがわかっていないのですよ。
すいません、熱くなりました(苦笑)

Commented by 小言幸兵衛 at 2010-09-20 07:41 x
お立寄りありがとうございます。
そうですか、お父上が新聞記者だったのですか。
実は私も高校時代に新聞記者を目指し、大学もそういった系統の学科に進んだのですが、在学中に考えが変わり別の仕事の道に進んだ次第です。
たしかに、媒体による個性のようなものは消えましたねぇ。そして、記者のサラリーマン化ということもあるのでしょう、当たり障りのない記事やコラムが多い。
「ペンは剣よりも強し」という影響力もなく、ネットの時代になり、もし主婦にとってのチラシの魅力がなくなれば、購読者は激減するでしょうね(笑)

Commented by 佐平次 at 2010-09-20 10:46 x
激しく同感です。
先日来の民主党代表選での小沢叩きもひどい文章でした。
新聞記者のレベルが低くなったのですね。文は人なり、品性のレベルも低いようです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2010-09-20 16:36 x
お立寄りありがとうございます。
久しぶりに落語がテーマだったのでじっくり読んだのですが、あまりにもひどい・・・・・・。
かつての深代惇郎さんを引き合いに出すのも申し訳ないような文章ですね。
もちろん、佐平次さんご指摘の通り品性も文章力も含め、今の大新聞の論調は疑問ですね。
骨があって“書ける”ジャーナリストは、いったいどこに行ったのでしょうか。

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by kogotokoubei | 2010-09-19 18:04 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛