噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

「江戸っ子」の定義 *山東京伝の『通言総籬』より

 田中優子さんの『江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?』 を紹介した時に、同じようなテーマを扱う中込重明さんの「落語で読み解く『お江戸』の事情」に、「江戸っ子」の定義を最初に記した洒落本として山東京伝『通言総籬(ツウゲンソウマガキ)』が紹介されていることを書いた。
2010年6月12日のブログ
 この洒落本の該当部分の原文とその解説をしてくれる本にめぐり合ったので紹介する。江戸文化全般や戯作、狂歌、そして江戸時代の出版事情などに関して数多くの著作のある中野三敏さんの『江戸文化評判記-雅俗融和の世界-』(中公新書、1992年発行)である。
中野三敏 江戸文化評判記-雅俗融和の世界-
「江戸っ子のアイデンティティ」からの引用。

 江戸っ子意識をうたいあげた好例としては天明七年(1787)刊の山東京伝作洒落本『通言総籬』の巻頭部分をあげるべきだろう。

 金の魚虎(しゃちほこ)をにらんで、水道の水を産湯に浴びて、御膝元
 に生れ出ては、拝搗(おがみづき)の米を喰(くら)つて、乳母日傘にて
 長(ひととなり)、金銀の細螺(きしゃご)はじきに、陸奥山(みちのく
 やま)も卑(ひくき)とし、吉原本田のはけの間に、安房上総も近しとす。
 隅水(すみだがわ)の鮊も中落を喰(くらわ)ず、本町の角屋敷を
 なげて大門を打つは、人の心の花にぞありける

 名文家京伝による、江戸っ子の啖呵の総集編ともいうべき文章だが、今となってはかなりわかりにくいものとなっている。
「金の鯱」といえば名古屋城かと思われようが、明暦大火以前の江戸城本丸、五層の天守閣には金鯱が歴然とかがやいていたはずであり、これこそ江戸っ子の原風景であり、アイデンティティであった。また元禄期までには神田上水をはじめとする六上水が開かれて、江戸市民ははやくから水道の恩恵に浴していた。
 お膝元はいうまでもなかろう。拝搗の米は拝むようにていねいに搗きあげた精白米、乳母日傘という文句は今も辛うじて生きていよう。おもちゃのおはじきも金銀細工のきしゃごを使って、黄金花咲くとうたわれた陸奥山をものの数ともせず、男のヘアスタイルの最新型吉原本田のはけ先に安房上総が浮かんで見えるとは、これこそ江戸っ子の頭梁株助六の名文句である。白魚といえども脂っこい中落などは食べず、土一升金一升の目抜き通りの地所を売り払ってでも吉原の総揚げをするのを男子一生の見栄と心得る、これこぞが江戸っ子の根性骨だというのである。なんと浅はかなというのはたやすいが、当代の江戸っ子にしてみれば、精一杯踏んばった覚悟を必要としただろう。



 この本、たまたま昨日仕事で移動中の大井町の古本屋さんで発見した。江戸関連のコーナーで立ち読みしていて、この部分を発見した時は、結構うれしかった。まだ読み終えていないのだが、この箇所だけでもぜひ紹介したいと思った次第です。
[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2010-06-26 07:56 | 江戸関連 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛