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『必死のパッチ』 桂雀々 (幻冬舎文庫)


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桂雀々著『必死のパッチ』


 今年2月に文庫化されたのだが、ようやく読んだところ。ただし、手をつけてからは一気に読んだ。そして200頁にも満たないこの本に目一杯 詰まった、壮絶な桂雀々、いや松本貢一少年独り立ちの物語に感動し、 そして感心もした。
 
 私より少し年下の昭和35年生まれ。その時代感は共有できる。昭和30年代後半から40年代中頃までは、まだ戦後の名残があった。あの『三丁目の夕日』の時代だ。私は実家が商売を営んでいたのだが、幼い頃に店に訪れた傷痍軍人さんの姿を、今も覚えている。また、どこの家も総じて貧乏と言ってよく、近所の子供達は、私も含めてお下がりのシャツや半スボンを身に着け、しょっちゅう洟を拭っているのでシャツの袖はテカテカだった。「クレヨンしんちゃん」の“ボーちゃん”がたくさんいた。まぁ、そんな頃のお話。
 松本貢一少年は、あの当時としては珍しい一人っ子ではあったが、親の愛情を一身に注いでもらうといった幸せには恵まれなかった。最初に母親、すぐに父親と、中学入学間もない12歳の時点で両親から捨てられ一人ぼっち になった。“母子家庭”でもない“子家庭”の少年というのは、そう多くはいない。

 父親が貢一少年を一人残して家を出るのは、深夜に図った心中未遂の後なのだが、その夜の様子を引用する。
 

 何時頃だったのか全然覚えてはいない。寝ているボクの体にグッと、重さというか圧力を感じた。と同時に変な物音もした。
 普段から寝ている間にゴキブリが這いずり回る音やら、ネズミが何かをかじってる音やらはしていたので、少々の物音では起きることもないのだが、それとはまったくもって異質な音が聞こえてきたので、邪魔くさかったが薄目を開けてみた。
 すると、ボクの顔の真上に人影があった。寝ボケけているから何のことか理解できなかった。徐々に目を開けていくと、暗闇の中でもそれがオトンであることが分かり、さっきの物音はオトンの声だということになんとなく気付いた。オトンがボクに何かしゃべりかけてはいるが、いまいち聞き取れず、まだ眠気の方が強かったので、「う~ん」と伸びをするように身悶えてみたが、上手く伸びができない。オトンがボクに馬乗りになっていることがその時に分かった。
 ちょっと意識がはっきりしたので「何してんのん?」と尋ねようとした時、キラッと光るものが目に入った。眠気をふりきり、意を決して起きてみたら、目の前の光景に一気に目が覚めた。
 真っ暗な部屋の中、オトンが包丁を持って、それをボクに向けている!そのオトンは顔をくしゃくしゃにしながら泣きじゃくって、何かを言いたげに口をパクパクしている!


 結局は、この心中は未遂に終わり翌朝のこと。
 

 ボクがオトンの軽トラのエンジン音で目が覚めた頃、時計は九時を回っていた、昨夜の親子の狼狽は夢だったんじゃないかと思うぐらい静かな朝だった。
 すぐに現実だと分かるようにオトンが置いていったのか、昨晩ボクに突き付けられていた包丁が、そのままの形で畳に上に転がっていた。
 オトンはボクを捨てて出て行った。
 自分が出したモンぐらい自分で片付けたらええのに・・・・・・と思いながら、その包丁を取り上げ台所に向かった。
 台所には寸胴鍋、おでんの鍋、おたま、その他一式のうどん屋がすぐ営める調理器具たちが、オトンに置き去りにされたままボクを出迎えてくれた。横に目をやると、昨日仕入れた「丸国製麺所」のケースに並べられたうどんとそばもボクを見下ろしていた。
 ここにいてるモンみんなオトンに捨てられたんやなぁと思ったら、急に寂しくなって、夜中のオトンと同じように、包丁を握りしめたままボクは大声で泣いた。


 そう、オトンは屋台のうどん屋だったのだが、博打好きのため多額の借金を抱え借金取りがやってくるようになり、そんな生活に耐えられずに母親(オカン)が、小学校六年生の時に先生との三者面談が終わってから家を出てしまった。そして父子二人の生活がしばらく続くのだが、中学一年になりゴールデンウィークを直前にしたある日(今頃の季節ということですなぁ)、最後の博打のつもりでオトンが買ってきたピラニア五匹が、水道水を入れっぱなしの水槽の水面にプカァッと浮いて死んでいた夜、心中未遂事件があり、その翌日オトンも消えていった。

 それでも、一人になったことをプラスに転じ、あるきっかけ から落語家への道を邁進してきたこの人のバイタリティには、 ただただ圧倒される。もちろん、親には恵まれなかったが、近所には貢一少年に愛情を降り注ぐ人たちがいた。それが出山商店のおばちゃんであり、民生委員の加藤さんの家族、そして親友のヤンピたち。
 そうだった。あの頃は近所は家族の延長だった。私の家の近所にも、両親が仕事で忙しい時に遊びに行ける家もあったし、何かと面倒を見てくれる近所のおばさんもたくさんいた。怖いおじさんもいたけど、あのあじさん達に叱られて学んだこともたくさんある。そして、今は死語になりつつある民生委員という制度も機能していた。困った時はお互い様、という精神が当たり前だったように思う。岡本一平が戦時中作詞した唄で、テレビの『お笑い三人組』でも唄われていた169.pngとんとんとんからりんと隣組~、なんて歌詞が、まさにあの頃を物語っていたなぁ。困ったら「味噌」「醤油」を貸してあげるのが当然だった時代は、あまりにも遠くなった。ちょっとノスタルジーに耽ってしまったので、戻ろう。

 さて、本書を読んで、私がここ最近上方でもっとも気になる噺家さんと言ってもよい桂雀々の、そのエネルギッシュな落語の源を発見した思いで非常にうれしくなった。「落語を語れるだけでも、うれしい」という 純粋な思いが、あの高座につながるのだろう
 昨年12月の枝雀生誕70年記念の落語会を思い出す。雀々のネタは『動物園』。あまり中堅の真打クラスが演る噺ではない。しかし、彼は全身を使って12月に汗だくで演じて、満員の会場を沸かせた。読後は、あの日を思い出した。
2009年12月4日のブログ

また、昨年の談春との国立演芸場での二人会。相手が誰であろうと怯むどころか、それをバネにしたような素晴らしい出来だったのが鮮明に蘇る。
2009年9月2日のブログ

 この人、10歳代であれだけの経験をしてきたのだ。怖いものはないのだろう。最初に“芸”で現金をもらったのは、何と借金取りの怖いおじさんだったのだから。これは本書を読まなきゃわかりませんよ。

 文章もとても生き生きしていて素晴らしいし、事実は小説よりも奇なり、 という言葉を裏付けるような画期的な少年史、と言えるだろう。心中未遂という事件以外の「11色の色えんぴつ」などのエピソードも、その事実とその時の思いが見事に綴られている。

 あまりにも物資が溢れ、どの家庭も一人っ子ばかりの今日。恵まれすぎの温室育ちで「草食系」 などと言われている若者が、自分を変えるきっかけになるためにもぜひ読んで欲しい。しかし、「こんな貧乏な人がいるんだから、自分は幸せ」という安易な相対比較をしてもらいたいのではない。生きるということは、もっと真剣なものであり、何か壁に当たっても簡単に諦めて欲しくないということ。そして重要なのは、気持、そう気持の持ちようなのだということに気付いて欲しいからだ。そして、“自分探し”などという甘えを容認する傾向が強い中、何でもいい目の前にある何かに、精一杯、そう“必死のパッチ”の精神で打ち込むことが大切であることを、周囲が教えないならこの本から学んで欲しい。この精神、私も本書から学んだように思う。数多い噺家さんが書いた本の中でも、相当上位にランクして良い傑作。そして、この人は、十分に文章が書ける。本作を第一弾として『必死のパッチ-修行篇-』なども書いて欲しい。枝雀師匠に学んだその修業時代の物語も、十分に読ませてくれる内容になるに違いない。
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by kogotokoubei | 2010-04-30 16:00 | 落語の本 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛