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NHK あの人に会いたい 古今亭志ん朝 BS-hi 4月21日

初回は4月11日の日曜日に総合テレビだったようだが、見逃していた。ようやくBSでの再放送を収録して見た。
2004年から放送されているこのシリーズで、落語家をはじめ“寄席”に出る演芸人で登場した人は次のような顔ぶれ。
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2005年 柳家小さん 江戸家猫八
2006年 夢路いとし
2008年 柳家金語楼
2009年 桂枝雀
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そして、今回の志ん朝である。人選や順番に何らかの法則などはありそうには思えない。少なくとも、NHKに映像ライブラリーがあることが、大前提の番組。
小さんは2002年に亡くなっているのにたった三年で“会いたく”なったらしい。その前年に亡くなった志ん朝には、なかなか“会いたくなかった”のか、とひねくれてはいけない。ようやく登場させてくれたのだから。

冒頭のスタジオでの収録と思われるネタは、『風呂敷』だろう。
途中で挟まれているのが、どの番組か分からないが、立木義浩さん、三ツ矢歌子さんと一緒に登場している対談。その中でも語っているが、志ん朝ファンなら周知の事実として、19歳で父志ん生に入門したものの父親の落語は天性のもので学ぶには難しく、先代の正蔵のところに二年近く通って基本をみっちり習った。しかし、『風呂敷』は父に習ったか、楽屋袖で見て聞いて習得したはず。
また、対談の中で立木さんの「粋とは何か」というい質問に答えて語る会話が良い。下手な地口になるが、「粋」に関するセリフが「粋」だった。それは普通に何かを食べていてうまいのは当り前で、何かひと工夫して意外なうまさを味わい、そういった工夫も含めて、これも“粋”という説。落語と同様に分かりやすくて納得感がある。立木さんが昭和12(1937)年生まれだから一つ年上、三ツ矢さんが談志家元と同じ昭和11(1936)年生まれなので二つ上、同世代でのトーク番組だったのだろう。

昨年の同じような時期に枝雀を見た感想を書いたが、その時ほどのせつなさはなかった。
2009年4月11日のブログ

なぜだろう。もしかすると、その最後のあり方の違いによるのかもしれない。あるいは、その音源に毎日のように接していて、亡くなったという感覚が風化したのかもしれない。まだまだ、私にとってはバリバリの現役ですから、名人志ん朝は。携帯音楽プレーヤーで他の人のネタを加える時、やむを得ず志ん朝さんのどれかを消すのに、いつも逡巡する。

東京落語会の映像では『大工調べ』と『愛宕山』が流れた。

志ん朝一門による『よってたかって古今亭志ん朝』(文春文庫)の巻末附録を確認してみた。
志ん朝一門 『よってたかって古今亭志ん朝』
『大工調べ』がこの会で演じられたのは4回。その月日と当時の年齢は次の通り。
昭和38(1963)年2月15日、24歳。
昭和47(1972)年4月14日、44歳。
昭和58(1983)年11月18日、45歳
昭和61(1986)年5月16日、48歳。
あらためてテロップを見たが昭和59年とあった。昭和58年の間違いではなかろうか。
そんなことより、年齢差が二まわりある24歳と48歳の『大工調べ』を聞き比べることができたら、さぞかし楽しいだろう!「落語はライブだ!」と言って、故人のCDを聞かない人もいるから人それぞれだが、私はぜひ聞きたい。ちなみにSONYから出ているCDは昭和56(1981)年4月14日の「志ん朝七夜」四日目の音源で当時43歳、落語研究会のDVDは平成元(1989)年4月25日の収録だから51歳のとき。志ん朝二十歳代の“啖呵”が聞ける音源は、まだ発売されていない。

『愛宕山』は東京落語会で3回。
昭和49(1974)年4月19日、36歳。
昭和57(1982)年9月17日、44歳。
平成5(1993)年4月16日、55歳。
亡くなった時の追悼番組で放送されたものと同じ55歳の時のもの。しかし、今回放送されたのは10秒くらいか。

他にも寄席で『粗忽の使者』のマクラの部分がほんの数十秒流れた。これだって全編あるのなら貴重な映像。


これまでにも何度も書いてきたが、NHKには大量の落語のライブラリーがあるはず。志ん朝の東京落語会への出演でさえ、昭和34(1959)年10月31日に21歳、二つ目時代で出演した際の『元犬』から、亡くなる年の平成13(2001)年2月16日『干物箱』まで、なんと71回。
個人的には、DVDではなく、音源のみをCDでNHK出版など子会社からでも発売して欲しい。ご遺族との相談など、いろいろとステップも必要なのかもしれないが、ぜひSONYの京須さんばかりが志ん朝ではないという意地を見せてもらいたい。
涎の出るネタが盛りだくさんのはず。
たとえば昭和51(1976)年から昭和57(1982)年まで計19回開催された三百人劇場での「志ん朝の会」の音源は、その多くがCDで発売されているが、昭和52(1977)年3月23日の会での『花見の仇討ち』は、六部(ろくぶ)を「りくぶ」と言い間違えてしまったので発売されていない。弟子達は前掲の書のなかで、その出来栄えが素晴らしかったので大いに残念がっている。主要なホール落語会でこのネタを演じたのは、実はこの会と昭和50(1975)年4月18日の東京落語会の二席のみ。ぜひとも聞きたいではないか。

 志ん朝さんの落語は、日本国民の文化的・歴史的財産である。NHKの倉庫に死蔵されたままでは、あまりにも残念だ。思い出したかのように正月番組などで少しづつ放送されたりはするが、今のように小出しにしていたら、せいぜ一年に一席づつお目にかかれる位である。まことに歯がゆい。赤字体質のNHKにとって、志ん朝のCD発売はビジネスとしても十分に魅力があるように思うのだが、いかがでしょうか。
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by kogotokoubei | 2010-04-22 12:10 | テレビの落語 | Trackback | Comments(0)

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