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『長屋の花見』(『貧乏花見』)

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*飛鳥山の桜(東京都北区のホームページより)東京都北区のホームページ

「長屋中 歯を食いしばる 花見かな」 
 この句は、上方落語だった『貧乏花見』の舞台を東京に移し、内容にも手を加え明治38(1905)年の落語研究会で演じた三代目蝶花楼馬楽の句。噺の中でも長屋の住人に言わせている。桜咲く春にふさわしい噺で、この季節に落語会でよく出会うネタ。
お金はなくてもなんとか花見を楽しもうという長屋の面々の楽しい噺は次のような内容。

(1)大家からの召集
 貧乏長屋の大家が店子(たなこ)一同に召集をかけた。「店賃(たなちん)の催促か?」と疑心暗鬼な一同。長屋に引越してから十八年間店賃を払っていない者がいれば、なかには「店賃てぇのは、何だ?」と、店賃を知らない住人までいる始末。「大家が叱言をいったら、なるべくあたまをさげて叱言が通りすぎるまでがまんしよう」と、ともかく行くことになった。

(2)大家が呼び出した理由
 実は大家が店子を集めたのは、大家が酒肴を用意するから皆で花見に行こう、という相談。しかし、店賃をほとんど払わない住人ばかりの貧乏長屋の大家がそう豪勢な酒肴を用意できるはずもなく、三升用意したという酒は実は番茶を煮出した“お茶け”。重箱の中身も、蒲鉾の代わりが大根の香子(こうこ)、玉子焼に似せたのが沢庵という具合。それでも「向こうに行きゃあ財布ぐらい落ちているだろう」というさもしい了見で、毛氈替わりの莚(むしろ)を持って一同出かけることになった。

(3)花見の席
 ようやく着いた上野のお山は花盛り。周囲は本物の酒肴で盛り上がっている。大家が“蒲鉾”をすすめるが、「大家さん、あっしゃあ、これが好きでねえ。毎朝、お汁(つけ)の実にしてますよ。胃の悪い時なんざあ、蒲鉾おろしにしましてね」という奴がいるかと思えば、「この頃は練馬のほうでも蒲鉾畑が減ったらしいぜ」と言い出す輩(やから)もいる始末。
 大家が話題を変えようと、俳句に凝っている熊さん(注:演者によって名前は変わる)に一つ即興で披露しろというと、熊さんのひねった句の一つが「長屋中 歯をくいしばる 花見かな」。陰気になったので大家が月番に“ふり”でもいいから酔えと命じて月番が酔った真似をすると、他の者が「悪い酒だな、どこの酒だ」と聞くので「灘の生一本だ」と答えた。「俺は宇治かと思った。辛口か」「いえ、渋口です」といった具合。大家が苦りきっていると、「大家さん、近々うちの長屋にいいことがありますぜ」と言う声。大家がほっとして訳を聞くと、「酒柱が立ちましたから」で、サゲ。


 三代目の蝶花楼馬楽は本名が本間弥太郎で、“弥太っぺ馬楽”あるいは“気違い馬楽”と呼ばれていた。初代の柳家小せんとは遊び仲間。小せんが遊びがすぎて失明し“めくらの小せん”と呼ばれたの対し、馬楽は晩年に脳を病んで狂ってしまったため、二人ともありがたくない通称を頂戴した。この通称は、今日では口にすることがはばかれる放送禁止用語になってしまったが、史実を曲げることはできないので・・・・・・。
 
 この馬楽の最初の師匠は“蔵前の師匠”と言われていた三代目の春風亭柳枝。馬楽がもらった名前が千枝。その蔵前の師匠の門下に若枝という弟子がいた。本名金坂巳之助。巳之さんと弥太さんは大の遊び仲間で、「御神酒徳利」(いつも二人一緒なので)と呼ばれていた。この巳之さんが後の五代目桂文楽となる。この二人、いろいろなハプニングを巻き起こしているが、馬楽と初代小せんとの交流なども含め、昨年ちくま文庫で復刊された小島貞二さんの『高座奇人伝』に詳しい。
小島貞二 『高座奇人伝』
 
 馬楽は安政5(1858)年生まれで大正3(1914)年に亡くなった。馬楽を信奉していた弟弟子の四代目柳家小さんに伝わって彼が馬楽のクスグリにさらに手を加えてからこの噺は定着し、人間国宝だった五代目の小さんも得意だった。五代目のこの噺も、なかなかでした。
 馬楽のこの噺の音源がコロンビアから発売されているSP盤発掘シリーズで収録されており、ほんの三分ほどだが軽妙でリズミカルな語り口を楽しむことができる。五代目小さんは複数の音源が発売されていて入手しやすい。
落語蔵出しシリーズ 第九集 三代目蝶花楼馬楽『長屋の花見』他
五代目柳家小さん 『長屋の花見』他

 花見の場所は、本家といえる柳家は上野だが、古今亭では王子の飛鳥山にしている。

 上方の『貧乏花見』は大家が発案するのではなく、長屋の店子同士で話がまとまって桜の宮に花見に出かけるという筋書き。出かける前の会話が実に楽しい。それぞれが花見に持ち寄る肴の相談では、「蒲鉾がある」というので見せたのが“釜の底”。「かまそこ」である。そうかと思うと「そうめんがある」と醤油を出す者がいる。「これをご飯にかけて食べる時、醤油がなかなか箸で“はさめん”」。「はそうめん」という無理な洒落。ともかく出かけて、しばらくはワイワイ騒いでいたが、やはり本物の酒でなければ酔えない。そこで一計を案じた。女子供や幇間をつれて楽しそうにしている一行のそばでなれあいの喧嘩をして、連中が逃げ出したあとで残った酒や肴をいただき酒もりをはじめる。これを見た幇間の一八、酔ったいきおいで一升徳利を手に怒鳴り込んだが、多勢に無勢。逆に長屋の連中に脅かされ、「いったい何しにきた?」と言われ、「酒のおかわりを持ってきました」でサゲ。

 昭和48(1973)年、まだ四十歳代の桂米朝がサンケイホールで毎日三席を六日間連続で演じた「米朝十八番」の音源があるが、マクラで昔の長屋のことなども丁寧に説明してくれる秀作。
桂米朝 上方落語全集

 この上方のオリジナル版について、矢野誠一さんの『落語手帖』のこのネタの「鑑賞」欄には、次の永六輔さんの文章が引用されている。
矢野誠一 『新版・落語手帖』

東京の『長屋の花見』が、大家の発案で店子連中しぶしぶ出かけるのに対し、『貧乏花見』は、朝の雨がやんで仕事に出そこなって、身をもてあましていた店子たちの相談がまとまって、いわば自発的に出かける。大家が顔を出さないあたりが大阪的だ。(永六輔)


 お上の住む江戸(東京)で、大家と店子との主従関係を縦糸にして作り変えた馬楽版も楽しいし、もちろん上方版も、なるほど大阪ならではのワイワイ言う展開。どちらも結構だと思う。
 
 この時期の落語会ではよく出会うネタ。2月27日に日経ホールの大手町落語会でも披露していたが、最近では瀧川鯉昇のこの噺が秀逸だ。サゲも工夫されていて効いている。CDも発売されている。

 以前のように会社の仲間と花見をする機会は減ってきたが、この噺のように洒落のきいた会話ができる仕事を離れた顔ぶれとなら、ぜひ本物の生一本を持って花見に行きたいと思う。
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by kogotokoubei | 2010-03-20 09:34 | 落語のネタ | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛