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朝日新聞 5月30日(土) 文化欄

 朝日名人会のことを書いてから今日5月30日の朝日新聞を読んでいたら、文化欄で落語を取り上げていた。

 タイトルは「あのとき 落語が変わった」である。

 署名記事だから、お名前を紹介したほうがいいいのだろう。井上秀樹さんという記者である。
webサイト「asahi.com」にも掲載されている。
朝日新聞サイトの記事
二つある大文字のリードが目立つ。
「1978年 円生の協会分裂騒動」
「若手躍進 新作創作の呼び水に」


 落語協会脱退、三遊協会設立の記者会見の写真もある。
朝日新聞 5月30日(土) 文化欄_e0337777_11055503.jpg

落語協会脱退の記者会見で語る三遊亭円生(中央)。右は古今亭志ん朝=78年5月

 右端の志ん朝の様子が、当日の苦悩を物語っている・・・・・・。

 昭和53年(1978)年の”5”月に赤坂プリンスで落語協会脱退の記者会見をした、という時期的な同一性が、今日の掲載になったのであろう。それにしてもギリギリのタイミングだ。まぁ、それはいい。しかし、次の内容を読んで、どうしても違和感を持つのだ。

 まず、最初にこう書かれている。
オーソドックスな古典派から、何が飛び出すかわからぬ新作派まで、現代の落語家は多士済々。「落語ブーム」なんて呼ばれるいまが当たり前と思うなかれ、下手すりゃかしこまって鑑賞すべき「古典芸能」になっていたかもしれないのだ。もし、保守本流のあの人が、反旗を翻さなかったら。
 その後、あの円生の落語協会脱退事件の説明に入り、円丈のことに話は移る。
 マスコミは「落語協会分裂騒動」と書きたてたが、大勢はあっけなく決着する。古今亭志ん朝を始め新協会に参加予定だった主な落語家は、次々と落語協会へ復帰となった。円生は弟子たちを率いて奮闘するが、約1年後に急死した。
 この騒動が、一人の奇才落語家を花開かせる。三遊亭円丈、当時33歳。円生に入門し、分裂騒動の2カ月ほど前に真打ち昇進したばかり。円生の死後、落語協会に復帰した。
 騒動のさなか、新作落語のネタおろし会を始めている。
 「一生を賭けるるんだったら、自分にしかできない落語をやりたい」が、円丈の信条だ。

 この後、自分の弟子である白鳥はもちろん、SWAのメンバー、そして上方の三枝など現在の代表的な新作派に大きな影響を与えた、云々と続く。円生の協会脱退と円丈の新作、ということをつなげるために、円丈の言葉を引用している。
 もし、円生が落語協会に残っていたら−。
「ここまで新作を極端にやらなかった。中途半端な新作と古典の二刀流になっていたでしょうね」
 この後に、立川談志家元の脱退、その弟子達の活躍といった話が続いて、最後にこう締めている。
 新作で活性化した落語人気の礎が古典を絶対視していた円生とあっては、本人は草葉の陰で渋い顔をしているかもしれない。とはいえ、円丈や喬太郎ら新作派が古典を大事にしているのは、話芸を次代に伝える芸人の魂が、円生以後もしっかりと受け継がれている証左なのだろう。
 この記事のロジックは、次のようになりそうだ。
(1)今日の「落語ブーム」をつくった「あのとき」は、三遊亭円生の落語協会脱退である
(2)なぜなら「落語ブーム」になったのは、古典のみならず、新作派にも優秀な落語家の
  バラエティに富んでいる(記事の言葉では「多士済々」)からであり、現代の新作派に
  大きな影響を与えているのは三遊亭円丈である
(3)その円丈は、円生が落語協会を脱退したから、新作に打ち込むことができた
(4)だから、円生の脱退が、「落語」を変えたといえるのである

 実に、おかしな論法である。円生の脱退がなかったら、落語が“かしこまって鑑賞すべき「古典芸能」になっていたかもしれない”ということでは、まさかないよなぁ。であるならば、円生の協会脱退と円丈および新作落語について、その因果関係を伝えたいのだろう。

 間違いなくSWAメンバーを含め「円丈チルドレン」という言葉があるように、円丈が今日活躍する新作派に与えた影響は大きい。しかし、「そのとき」を「円生の脱退」にすることには素直に頷けない。

 まず重要な時代背景として、当時の円丈は真打昇進したばかりで、「さぁ、これから!」と意気込んだ時なのであり、「寄席」という活躍の場を失うことが残念でならなかったのだ。

 師匠の協会脱退は、あくまで数ある「きっかけ」の一つなのであり、あえて言うなら円生の死による決別は大きな契機に違いない。円丈の言葉も、どこまで真意を現したものか疑わしい。歴史に「もし(If)」は禁物なのだが、円生グループが協会に残っていようと、少なくとも円生が亡くなってからは円丈は新作に打ち込んだはずだ。もっと、「If」を大胆にめぐらせば、円丈が円生と行動をともにし、協会に復帰しなくても新作への思いを捨てているはずがない。円生亡き後、芸術協会に行く選択肢だってあっただろう。「脱退」ではなく「円生との決別」は、円丈がその後新作に打ち込むための「あのとき」であったはず。

 この記事は、単なる今の時期5月の「あのとき」を語ることから論理が飛躍し、相当無理のある記事になってしまった感がある。もっと焦点を絞って、円生の脱退事件のことだけを振り返るとか、円丈にスポットライトを当て、彼のネタの紹介や今日の新作派への影響力などで構成しても、十分に読み物としては成立するのに残念。あるいは円生脱退と古今亭志ん朝のその後に焦点を当てた場合も、落語の重要な歴史を語ることになる。

 マスコミの影響は小さくない。落語をあまりご存じない読者が大きな見出しだけを見て短絡すれば、「円生脱退」→「落語ブーム」と受け取られないこともない。それでは、志ん朝も談志も慕った名人円生に申し訳ないだろうと思う。
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by kogotokoubei | 2009-05-30 20:47 | メディアでの落語 | Trackback | Comments(0)

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