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四万六千日なら『船徳』

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 昨日と今日、浅草寺は四万六千日(しまんろくせんにち)の“ほおずき市”で人出が多かったに違いない。四万六千日といえば、落語は『船徳』である。原作は三遊亭圓朝へも大きな影響を与えた初代古今亭志ん生が近松の名作『曽根崎心中』に名を借りた人情噺『お初徳兵衛浮名桟橋』。この噺の発端を、今に伝わるような滑稽噺に仕立てたのは、圓朝の弟子である初代三遊亭圓遊。「ステテコの圓遊」である。主人公の名前は同じ「徳さん」だが徳三郎となる。圓遊の噺にはオチがなく、今のようなオチをつけたのは名人三代目柳家小さんといわれる。複数の芸達者を経由してきた、江戸落語、夏の代表作。
 道楽が過ぎて勘当され、柳橋の船宿の二階に居候する若旦那の徳三郎が、船頭になりたいと言い出すあたりが噺のはじまり。まだ見習い中の徳さんが二人のお客を船に乗せて「事件」が起こるのが、まさに四万六千日、夏の盛りである。船宿では親父も含め船頭は皆出払っていて、残っているのは徳さんだけ。二人のお客は浅草寺へのお詣りのために徳さん船頭の船に乗ることとなり・・・・・・。という噺である。
 少し長くなるが、浅草寺のホームページから四万六千日の説明を引用する。
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観音さまのご縁日は「毎月18日」と伝承されてきましたが、これとは別に室町
時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。
月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当する
ご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。中でも7月10日の功徳は千日
分と最も多く、「千日詣で」と呼ばれていましたが、浅草寺では享保年間
(1716~1736)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになり、そのご利益は
46,000日分(約126年分)に相当するといわれるようになりました。
(この四万六千という数については「米一升分の米粒の数が46,000粒に
あたり、一升と一生をかけた」など諸説ございますが、定説はありません)
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 本当は旧暦の七月十日なので、今なら八月半ばの暑さ真っ盛りの時なのだが、お盆休みで都内に人がいなくなるから七月十日にしているのでしょう、なんて言ったら叱られるかな・・・・・・。
 いくら暑くてもお詣りするだけのご利益があったのでしょうね、126年分だもの。
八代目桂文楽の「四万六千日、お暑いさかりでございます。」の一言が見事、という評価は安藤鶴夫さん以降定評があり、たしかに文楽もいいのだが、原作者の「古今亭」に敬意を表し、志ん朝のCDを画像に使わせてもらった。いいんですよこれが。
 志ん朝は、文楽の数多くの十八番(オハコ)ネタに果敢に挑戦し、しかもその多くは間違いなく文楽をしのいでいると思う。『愛宕山』しかり、そしてこのCDにカップリングされている『明烏』、そして『船徳』である。現役の中堅・若手の噺家さんがこのネタをやっている場合は、まず間違いなく志ん朝を手本にしていると言って過言ではないだろう。志ん朝の兄、十代目金原亭馬生は勘当になる前から始めていて、その語り口も味わい深く捨て難い。柳家なら、さん喬もいいけど、やはり小三治ですね。
 
 この時期、寄席や落語会で数多く演じられるこの噺を、聞くだけで四万六千日分のご利益があるのならいいのにと思うのは、私だけだろうな。

古今亭志ん朝_船徳
桂文楽_船徳
金原亭馬生_船徳
柳家小三治_船徳
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by kogotokoubei | 2008-07-10 13:07 | 落語のネタ | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛