噺の話

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 円楽が単独で落語芸術協会(芸協)に入るらしい。
 日刊スポーツから引用する。
日刊スポーツの該当記事
三遊亭円楽、落語芸術協会に客分加入 席亭が後押し
[2017年6月24日9時41分 紙面から]

 5代目円楽一門会に所属する落語家三遊亭円楽(67)が落語芸術協会(桂歌丸会長)に客分として加入することが23日、分かった。

 円楽は5代目円楽一門会に所属。過去一門会全体の合流を打診したが拒否されていた。今回は席亭の後押しもあり、円楽は一門会に属しながら単独での加入を申請。27日に開催される同協会総会で正式承認される。

 “客分”・・・まるで、ヤクザの世界^^

 後押しした席亭は・・・末広亭かと察する。

 なぜかと言うと、芸協の芝居で客の入りが悪く、他流派からの出演などでテコ入れするように注文したのが末広亭の席亭だったかからだ。

 五年前に、新聞記事の紹介などで、芸協と他流派をめぐる一連の動きについて記事を書いた。
2012年1月27日のブログ
2012年2月7日のブログ
2012年4月16日のブログ

 芸協による定席寄席(芝居)は、その後若手育成などの成果も出て、客の入りは改善されていると思う。

 五代目円楽一門が丸ごと加入することで、鈴本以外に三つ、国立演芸場を含めても、たった四つしかない寄席への出演機会が減ることには、会員の多くの抵抗があったため、まとめて加入する案は実現しなかったのだろう。

 では、円楽一人なら、いいのか・・・・・・。
 私は、まったく合点しない。

 これは「笑点」で全国レベルの知名度のある円楽を利用した観客動員のための措置であるとしか思えず、会長歌丸との強い関係が背景にあるのは間違いなかろう。

 立川談幸が弟子二人を連れて芸協に加入したのとは、まったく違う。

 ブログを始める前に生の円楽(当時は楽太郎)の高座を聴いている。
 テレビで「今どき落語 特別編」の高座を見たこともある。
2013年1月3日のブログ
 その放送で、高座の後のインタビューを見た感想を次のように書いていた。
「誰かが談志、志ん朝を継いでもらい、三人会をしたい」などと言う発言を聞いても、この人がとんでもない勘違いをしていることが分かる。噺家として肝腎な時期に寄席に出ることが出来なかったという外的要因もあるが、それ以上に、自分が上手いと思っている驕りが見える。

 テレビでの人気に胡座をかいた傲慢さが、高座から漂ってくるのだ。

 それだけの技量があるか・・・・・・。

 芸協の同程度のキャリアのある噺家さんと比べて、彼らを上回る技量があるとは、まったく思えない。

 彼が寄席に出るということは、誰かが出番を失う、ということである。

 観客動員は増えるかもしれない。
 しかし、経済的要因だけでは測れないものを、芸協は失うように思う。

 円楽が提唱した博多の落語会などを含め、芸協の噺家さんと交流は深くなっていて、会長、副会長以外にも、彼の入会に賛成するベテランもいるかもしれない。

 しかし、快く思わない協会員も少なくないだろう。

 もちろん、好みの問題も、ある。
 少なくとも私は、彼が出る芸協の芝居には、行くつもりはない。

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# by kogotokoubei | 2017-06-26 12:54 | 落語芸術協会 | Comments(2)
 昨日のアクセスレポートの数字に驚いた。
 全体のアクセス数が1000を超え、ダントツで一位の記事が四年ほど前に書いた、「成田屋のこと。」だった。
2013年2月4日のブログ

 この記事へのアクセスがほぼ200。
 異例だ。
 海老蔵の奥さんのことでのアクセス増であることは、間違いないだろう。

 この記事は、十二代目の団十郎の訃報に関し、成田屋は短命が多いとか、ケネディ家にたとえて、呪われているというニュアンスの記事が多かったので、本当にそうなのか、と思って調べたことから書いた記事。

 私の調べの結果は、若くして団十郎を襲名した場合は夭折した人はいるが、決して呪われているわけでも、際立って短命であるとも言えない、ということ。

 それはそうとして、当代海老蔵の亡妻については、そのブログの読者(アクセス数?固定ファン?)が200万人を超えていた、とのことでブロガーとして、驚くばかりだ。

 彼女が出演していたテレビは、まったくと言ってよいほど見ていないし、あまり関心もなかったので、特に何か感想などを書くつもりも、その資格もない私だが、同じブロガーとして凄い管理人だったなぁ、とは思う。

 拙ブログは落語を中心としているものの、いろんなことを書きなぐっている。

 果たして、病で旅立つ直前まで書き続けることができようか・・・・・・。
 まず、無理だろうと思う。
 気力も体力もなくなるだろう。

 不謹慎なことかもしれないが、今思うことは、ブログとブロガーの寿命。
 ブログの生命は、もちろん管理人のそれに準じる。
 読者のアクセスも、また然り。
 このブログも、書き始めて丸九年が経った。

 以前頻繁にコメントをいただいていた方からの音信がなくなり、寂しく思うこともある。

 コメントが途絶えた理由としては、いろんな事情があるだろう。

 私と同様に還暦過ぎ、あるいはそれ以上高齢の方も読者として数多くいらしゃると察する。

 介護やご本人の体調なども、関係してくる年齢だ。

 そういった読者の方がこの記事をご覧になっていて、お元気ならば、管理人だけ閲覧モードでもいいので、ご一報いただければ、大変嬉しい。
 実に勝手な願いを綴ってしまったが、今回のことで思っている素直な心境である。

 一人の素晴らしいブロガーが旅立った。

 ご冥福をお祈りする。
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# by kogotokoubei | 2017-06-24 14:47 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)
 前の記事で、円生の本から、「噺が箱にはいる」ということや、「未完成の完成」という記述について紹介した。

 いただいたコメントから、弟子が師匠の真似から脱することの難しさということに思いが至った。

 しかし、師匠から継承すべきもの、自分自身の芸として発展させるもの、という問題は、なかなか深い問題を孕んでいると思う。

 そんなことを考え、書棚にある何冊かの本に目を通してみた。

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榎本滋民著『古典落語の力』(ちくまライブラリー)

 榎本滋民さんの『古典落語の力』に、実に示唆に富んだ内容を見つけた。
 章の題が、この記事の題でもある。
 引用する。

伝えるものと創るもの

 落語が古典の名に値するには、伝統の継承と個性の創造という、古典の必要条件を、みたさなければならない。
 まず、規矩がなければ、古典ではない。落語は堅苦しい「型」のない、自由無碍な芸能であると、よくいわれるが、これは、はなはだ誤解されやすいいいかたで、絶対不動の定型こそなけれ、流動性をもつ「型」、無形に近い「型」はあるものであり、それが、芸能をして芸術たらしめる、規矩というものなのである。

 我が意を得たり、という内容。
 
 以前紹介した十代目金原亭馬生に関する本の記事では、馬生が弟子に発した「何でもいいんだよ」という印象的な言葉を紹介した。
2014年9月18日のブログ

 しかし、あくまで、規矩を大事にした上で、何でもいいんであって、「型」をないがしろにしては、それこそ、かたなしだ。
 
 榎本さんの本の続きを紹介。
 実は、この中に、円生の『寄席育ち』からの引用がある。
 規矩を余分な障害と思い、不自由さを劣悪な状態と考えることが、そもそもまちがっている。芸術にとっての規矩は、内燃機関や圧力釜における圧力のように、望ましい爆発や燃焼や噴出を得るために加える、不可欠の手段なのであり、不自由であればこそ、豊かな創造がなされるのである。だから、規矩は守られなければならない。
「初心のうちは師匠の教えてくれたとおりを演るべきもんだと思います。ものまねだと言われても結構、教わったとおりにちゃんとまねをするだけでも容易なことではありません。ましてやそれを本当の自分の芸にするまでには、随分年月がかかります。おのれの力を出せるだけの域に達しなければ、むやみに師匠を離れるべきもんじゃアない」(三遊亭円生『寄席育ち』)
 一方、規矩は、とらわれてはいけないものでもある。
「落語は、教わったとおりに演らなくても良い。従来できているそのまま演るのは死芸であって、咄家の手柄が表われない。他人と違うのが良い」(『四代目柳家小さん・遺稿』)
 これは、前説と矛盾しているようでありながら、決してそうではない。三遊派と柳派の落語観や芸能論の特色は出ているものの、一つの本質を両面からとらえた、二つの正論であり、継承と創造に関する、段階論でもあると、受けとるべきだろう。
 先人の芸はなぞってなぞってなぞり抜けという教えと、師匠の影法師や模型になるなという教えは、どちらも正しい。

 読んでいて、なんとも複雑な思いになった。

 前回の記事にいただいたコメントで、円生の“影法師”と言われた三遊亭好生、その後の春風亭一柳のことを思い出した。
 とにかく、師匠円生が大好きで落語家になった人だ。
 円生を“崇拝”していた、とも表現されている。

 しかし、円生は、高座姿から語り口まで、自分にそっくりな好生の芸を嫌ったと言われる。若い時分の下手だった自分の姿を見ているように思ったらしい。
 
 円生は、榎本さんが引用した著書の文章にあるように、芸の発展途上段階では、“ものまねだと言われても結構”と思っていたのではないのか・・・・・・。

 あるいは、円生が、当時の好生は“おのれの力を出せるだけの域”に達していることを、認めていた、ということか・・・・・・。

 最初の集団真打昇進で好生が真打に昇進しても、披露目に師匠が出ることはなかった。
 結果、昭和53年の円生一門落語協会脱退の際、好生と川柳は落語協会に残った。
 好生は円生とは犬猿の仲の八代目正蔵の門に入り、春風亭一柳と名乗った。
 彼のことは、後日また書くことにしよう。

 
 さて、伝えるもの、そして、創るもの・・・・・・。

 落語という芸の深さをあらためて感じた、榎本さんの文章だった。


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# by kogotokoubei | 2017-06-23 21:27 | 落語の本 | Comments(0)
 ある落語愛好家の方から、むかし家今松の『お若伊之助』は、円生版を踏まえていると教えていただいた。
 
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三遊亭圓生著『寄席育ち』(青蛙房)

 そんなこともあって、円生の『寄席育ち』をめくっていた。
 「話しぐせ」という章に、「・・・・・そうしてからに」という口癖を先代(義父)に直されたことや、「尻(けつ)が切れる」(言葉尻がふわふわっと消えてなくなる)のを注意されたことが書かれている。

 その後に、次のような文章が続いていた。

 それから“噺が箱にはいる”ということを言います。あたくしが若い時分、教わったとおり一生懸命に練習して演る。すると、きちィんと一分一厘まちがいなく、言い違いもなく出来るわけです。そのかわり、ひと言何かここへ入れてみようと思っても入れることが出来ない。一つ一つの言葉がきちッとつながっちゃって、何もはいる余裕がないんですね。これを“箱へはいっちまう”といって、伸びる可能性がやや少なくなった状態です。この時も先代(おやじ)に「噺をこわせ、こわせ」と言われる。しかし、こわせってのは、どういうふうにやったらいいんだろうと考えたが、判らない。とにかく言葉が固まっちゃいけないから、もっと自由にしようと思ってやってみたが、なかなか出来ない・・・・・・あんまりきちんと覚えすぎて、自由さってものが少しもないわけです。約五、六年かかりましたね、噺をこわすのに。かちッと固まったものを今度はほごそうとして、出来ないから、新しいものを覚えて、古い噺は演らなくした。それで五、六年たって、やや忘れた時分に古い噺をまた始める。そうすると先(せん)よりは自由になってくる。これは小円蔵あたりから・・・・・・円好の時代までやっていたかもしれません。固まった噺はよして、新しい噺や、いくらかほごれてきた噺をするようにした。それからは噺が固まらないようにという癖がついて、同じに演ろうと思ってもどうしても出来ません。毎回いくらかずつ違う。そのかわり抜こうと思えば抜けるし、入れようと思えば入れられるし、言い方を変えてみることも出来る。もちろん、それがあたりまえのことで、時間の延び縮みが自由に出来なければ商売人じゃアありません。そのかわりあたくしの噺は、疵がずいぶん多い。言い間違いがあったり、はッとつかえたりすることもある。しかし芸はとにかく固まっちゃいけないと思います。芸は少しでも動いている間は伸びる可能性があります。全然動かなくなって、水でいえば溜り水になるのが一番いけません。少しずつでも流れていれば、いくらかでも先に行けるわけですから。

 なかなか深い話だ。

 “箱にはいった”噺は、考えようによっては、実に演りやすい噺で、“箱”ではなく“十八番(おはこ)”に近いかもしれない。

 しかし、成長途上の時に、得意ネタが固まらないように、あえてしばらく置いておく。
 なかなか出来ることではないだろうが、現代の噺家さん達にとっても、含蓄のある忠告だと思う。

 義父であった五代目円生が、六代目にとって実に得難い師匠であったことが、この本を読むと分かる。

 この文章の後も、ご紹介。

 芸はなにによらず、完成してしまうと面白味がなくなるといいます。もう少しで完成するんだが・・・・・・という、そこに興味がある。“未完成の完成”という、これは伊東深水先生からうかがった言葉ですが、あたくしは生涯未完成でありたいと思います。未完成でしかも完成した芸に、人も自分もまだ先の望みのある芸になりたいと思います。

 本書の初版は昭和四十(1965)年。
 明治三十三(1900)年生まれの円生が六十五歳の時。
 
 その頃に「生涯未完成でありたい」と言っていた円生。

 私は、かつて円生が苦手だった。
 一つは、八代目正蔵が好きだったので、その敵(?)が好きになれなかった、ということもある。
 また、その人柄について、あまり好ましくないことも本などで知ることが多かった。

 しかし、今は、そういった先入観を払拭しつつある。
 音源を聴くと、やはり、巧いと思う。

 たとえば、『包丁』。
 談志が談春のこの噺をべた褒めしたようだ。
 私は新文芸坐で聴いている。たしかに、悪くはない。
 しかし、円生の音源とは、比べようがない。
 当り前だが、小唄一つとっても、まったく芸の深さが違う。
 
 あらためて円生という人を見直す文章を読んで、もっとあの人の音源を聴かなきゃ、と思うのであった。
 
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# by kogotokoubei | 2017-06-20 12:51 | 落語の本 | Comments(4)
 落語協会の秋の真打昇進披露興行の案内が、同協会のホームページに先週載った。
 春五人に続き、三人が昇進する。
 案内の内容を、引用する。
落語協会ホームページの該当ページ

2017年06月15日
平成29年 秋 真打昇進披露興行

平成29年9月下席より
・桂三木男 改メ 五代目 桂三木助
・柳亭こみち
・古今亭志ん八 改メ 二代目 古今亭志ん五

前売り販売開始:7月21日(金)  ※国立演芸場のみ10月1日(日)より
お問い合わせ:一般社団法人落語協会 03-3833-8565
チケットぴあ:http://t.pia.jp/
Pコード入力または音声認識予約 ( 057 0-02-9999 )
ぴあプレミアム会員専用 ( 0570-02-9944 )
 相変わらずの、ぶっきらぼうな内容。
 各寄席の日程詳細は、添付されているポスターで確認してくれ、というのが落語協会の考えらしい。実に不親切。

 落語芸術協会は、二人の披露目は明日が池袋の千秋楽。
 その後の国立を含め、次のように案内されている。
落語芸術協会ホームページの該当ページ

更新日2017年6月11日
真打昇進披露興行。6/11より六月中席池袋演芸場です!

五月上席新宿末廣亭、五月中席浅草演芸ホールと続いてまいりました真打昇進披露興行、6月11日~池袋演芸場での興行となります。

昔昔亭 桃之助
笑福亭 和光

大盛況で新宿末廣亭、浅草演芸ホールの披露興行を終えて、益々の笑顔で張り切っております新真打の応援に是非寄席へご来場下さい。

真打昇進襲名披露興行

池袋演芸場 夜の部
6月11日~20日
主任予定日(※両名とも全日程出演致します)
桃之助 11.13.15.17.19
和 光 12.14.16.18.20

お江戸日本橋亭
6月22日 桃之助
6月21日 和 光

国立演芸場 昼の部(7日夜の部あり)
7月2日~10日
主任予定日
桃之助 2.4.6.8.10
和 光 3.5.7昼夜.9

お江戸上野広小路亭
7月1日 桃之助
7月2日 和 光

名古屋・大須演芸場
7月15日~17日
主任予定日(※両名とも全日程出演致します)
桃之助 15(1部・2部).16(1部)
和 光 16(2部).17(1部・2部)

 以前も書いたことなので、しつこい、というお叱りを覚悟で書くが、落語協会は文字情報としても日程を掲載すべきである。

 この五人、全員聴いたことがあり、なんとか駆けつけたい人はいるのだが、行けるかなぁ。

 
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# by kogotokoubei | 2017-06-19 17:53 | 真打 | Comments(0)
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佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)
 前の記事で引用した佐藤光房著『合本 東京落語地図』からは、多くのことを学んでいる。

 今月初めて聴くことのできた立川ぜん馬。
 そのネタ『唖の釣り』の章で、この噺の舞台である不忍池には、埋め立てされる危機があったこと、そして、その危機から救った人たちがいたことを知った。

 引用する。
 戦後間もないころ、先代三遊亭金馬(昭和39年没)が『目黒のさんま』のまくらで「銀座の真ん中でカボチャができましたり、不忍池で稲刈りが始まりました世の中です」といっていた。昭和21年、浅草千束国民学校の戦災者救済会が、都公園緑地課と掛け合って弁天堂の南側六町歩を干拓、三年のあいだ米を作り、上野田んぼといわれた、と当時の新聞にある。

 一町歩は約3000坪だから、六町歩は・・・結構広いと言えるかな。
 引用を続ける。
 上野田んぼの計画には、先例があった。明治三年、池を埋め立てて水田にする計画が許可された。これを知って怒ったのが、池之端に住む亀谷省軒という詩人。悲憤の詩を作って、維新の功臣、五百円札の岩倉具視の執事山本復一に見せた。山本を通じてこのことを知った岩倉は、埋め立て計画を撤回させた。亀谷はのちに岩倉の徳をたたえる詩を作った、と『東京市史稿』にある。
 岩倉具視の五百円札、懐かしい。
 しかし、岩倉については、孝明天皇の暗殺犯人の首謀者と思っているので、あまり良い印象はない。
 とはいえ、市民の声に耳を向け、不忍池を守ったことについては、評価しなくてはいけないだろう。

 国民の声を無視して、やりたい放題のどこかの国の政府に比べれば、まだ、政治家がまっとうな時代の話。

 さて、話はまだ続く。
 昭和二十四年、埋め立て計画が再燃した。後楽園スタヂアムなど四団体が野球場を、一団体が遊園地づくりを計画し、計五つの請願が都に出された。公聴会が開かれたり、都議会建設委で球場建設の請願がいったん許可されるなど、危うく実現するところだった。
 結局は池を残せという世論が勝ったのだが、それにはひとつの面白い裏話があった。球場建設を計画した四団体のうちで最も有力だった「国際球場建設委員会」の代表、中島久万吉は、戦前に商工大臣を務めた財界人、ところがその夫人が、明治の埋め立てを阻んだ岩倉具視の孫だったのだ。「せっかく祖父が残したものを、孫の婿が埋めるのか」と攻撃されては、なんとも具合が悪かった。
 弁天島参道の天竜橋際にある「不忍池由来碑」の裏面には、天海僧正から上野田んぼは、野球場計画までの歴史が刻まれている。

 不忍池は、祖父と孫の岩倉具視一族によって守られてきたということか。

 どこかの政治家は、どうも悪い方向に祖父の血を継承しているが・・・・・・。

 近いうちに、不忍池と根岸に、どうしても行きたくなった。

 落語を素材に、いろんな史跡や歴史を知ることも、私の大きな楽しみの一つである。
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# by kogotokoubei | 2017-06-17 10:41 | 落語の本 | Comments(0)
 座間で今松『お若伊之助』を楽しんだ。
 あの噺はあくまでフィクションで、御行の松の根方に「因果塚」などはないだろう、と思っていたら、なんとなんと・・・・・・。

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佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)

 佐藤光房著『合本 東京落語地図』(朝日文庫)から、引用する。

 まずは、御行の松について。

 御行の松は根岸四ノ九ノ五、荒川区との境に近い御行の松不動堂の境内にあった名松。寛永寺の門跡、輪王寺宮が上野山内を巡拝されるとき、必ずこの松の下で休まれたことからこの名がついた。

 この由来については諸説あり、今松は、慈眼法師が若い頃に近くで修業した、と言っていたような気がする。勉強不足で、詳しいことは分からないがご容赦を。

 引用を続けよう。

 大正十九年、天然記念物に指定された当時は、樹齢約三百五十年、周囲4.09メートル、高さ13.63メートルもあり、枝が傘を広げたように垂れ下がっていた。堂のすぐ前を音無川の清流が流れて、まさに「呉竹の根岸の里」風情だったという。
 ところが、この松は昭和三年に枯死してしまった。昭和五年、傍らに「御行松」と彫った大きな石碑を建てるとともに、記念に幹のいちばん太い部分を保存して石の台座の上に置き、しめなわを張って屋根をかけた。が、この幹も戦災で堂もろとも焼けてしまった。
 戦争は、いろんなものを焼いてしまったのだ。
 戦後、今度は土中から根を掘り出し、台座の上に飾った。この根っこは風雨にさらされて年々風化しているが、いまも堂の左手にある。堂の中には、この根の一部で下谷二丁目の桜田幸三郎という七十歳の大工さんが彫った、身の丈およそ40センチの不動尊もまつられている。
 昭和三十一年、二代目の松を移植したが、すぐ枯れた。五十年、三代目を植えた。まだ若木だが、これはすくすく育っている。
 この本の元となった朝日新聞の連載が始まったのが昭和61(1986)年、私が持っている文庫の発行は平成3(1991)年。
 三代目でさえも、植えられてすでに四十二年が経過している。
 
 さて、御行の松の歴史はこれ位で、問題の“塚”のこと。

 ところで、この三代目、石碑、初代の根っこなどの周りをよくよく探してみたのだが、肝心の因果塚らしいものは見当たらない。戦後、無住になっていた不動堂は、近く(根岸三ノ十二ノ三八)の西蔵院の場外仏道になったが、同寺の住職も、因果塚なんて聞いたことはない、という。ま、考えてみれば人間が狸の子を産むわけがない。どうやら根も葉もないつくり話のようだ。
 ところが、である。その因果塚が建立されたのである。
 初代の根っこを掘ったり、三代目を植えたりして不動堂の運営に当たっているのは、地元の不動講の人たちだ。三代目を移植して十年目の昭和六十年、講の集まりに志ん生、円生の『お若伊之助』のテープを持ち込んだ人がいた。その席でテープを聞いて、せっかくこういう噺があるんだから、いっそ因果塚をつくっちまおう、ということに衆議一致した。落語好きの人たちが見にきてくれて、ついでにおさい銭をあげてくれれば堂の運営もいくらか楽になる、というわけだ。
 五年後の平成二年五月二十八日、不動堂の境内に紅白の幕を張りめぐらし、「狸塚再建披露式」が盛大に行われた。「因果塚」はイメージが暗いというので、「狸塚」にした。「再建」と銘打ったのは、江戸時代にあった塚が長い歳月の間に失われ、それを復活させたという思い入れ。落語を実話扱いした遊び心が、下町っ子らしくて粋なところだ。塚は秩父の赤玉という高さ70センチほどの自然石。そばにみかげ石で彫った夫婦の狸を配した。

 実に、い~い話ではないか。
 こういう下町っ子の粋なところ、見習わなくちゃねぇ。

 度々参考にさせていただく、「落語の舞台を歩く」のサイトから、この塚の写真をお借りした。
「落語の舞台を歩く」サイトの該当ページ
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 今度近くに行ったら、ぜひ手を合わせようと思う。
 御賽銭も忘れずに^^

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# by kogotokoubei | 2017-06-15 12:36 | 落語のネタ | Comments(2)
 土曜日の「ざま昼席落語会」の今松の名高座二席の余韻がまだ残っている。
 一席目の『お若伊之助』は、かつて苦手なネタだったのだが、今松のおかげで印象が変わった。

 あの狸が伊之助に化けてお若に会いに来る場面の描き方などで、結構印象は変わるものだ。
 初五郎の根津-両国-根津-両国-根津、という行ったり来たりのドタバタが、まったくダレることなく楽しかった。

 この噺は、志ん朝がホール落語会でも少なからず演じていた。
 亡くなる半年前の朝日名人会の音源も残っている。

 そんなこともあり、朝日名人会がらみでネットを少しサーフィンしていて、Sony Music Directの“otonano”というサイトに、朝日名人会プロデューサーである京須偕充さんの「落語 みちの駅」というコラムがあるのを発見。

 朝日名人会の内容が中心だが、ざっと読んでいて、気になることがあった。

 それは、3月の名人会における柳亭市馬の『御神酒徳利』に関する内容。
Sony Music Direct「otonano」サイトの該当ページ

 引用する。
柳亭市馬さんは「御神酒(おみき)徳利」。数年前にいちどこの会で演じたネタですが、そのとき「東下り」の道中付けに少し乱れがあったので再演してもらいました。三代目柳家小さん以来の「占い八百屋」系「御神酒徳利」が大勢を占める今日、この大坂まで行く版は貴重です。こちらのほうが超現実の部分も含めて噺が格上だと思います。

 柳家の「占い八百屋」が大勢を占めて、それのどこが問題なのか。
 この噺は元が上方の「占い八百屋」で、東京への伝達経路には二つの流れがあると言われる。
 一つは三代目小さんが東京に移植したと言われており、柳家に伝わる「占い八百屋」だ。
 円生の御前口演に代表される番頭が大阪まで行く型は、五代目金原亭馬生が円生に伝え、円生が練り上げたと言われる。
 私はあの型では、円生より三木助の音源の方が好きだ。
 番頭が大阪に行く型は、どうしても時間がかかる。
 「占い八百屋」に比べてあまり演じられないのは、柳家の噺家さんが多いということと、その所要時間も影響しているのではなかろうか。
 柳家でも小満んはどちらの型も演じるし、私は瀧川鯉昇の大阪まで行く三木助版を踏まえたと思しき名演を二度聴いている。
 とはいえ、小満んも、落語研究会からの要望で演じたようだし、朝日名人会では京須さんが柳家の市馬に、柳家ではない型を、あえてリクエストしたわけだ。

 噺の元をたどるなら、番頭&大阪型の噺が「格上」とは言えないだろう。

 古くなるが、私は、第一回大手町落語会で権太楼が「占い八百屋」を演じた会の終演後のロビーで、番頭が犯人の型しか知らないお客さん同士が、「番頭じゃなく、八百屋なんだぁ」」と話していたのを耳にしたことを覚えている。
2010年2月27日のブログ


 それはともかく、気になるのは、“再演”のこと。
 読んでから、これはソニーで音源を発売するための再演なのだなぁ、と察したが、そんなのありか・・・と思う。

 かつて、まだ木戸銭がA席3500円の時代に、よく朝日名人会に行った時期がある。
 小三治の会はすぐにチケットが完売になっていたが、他の顔ぶれでは、それほどチケットが入手できにくいこともなかった。

 今は、木戸銭が高いことと、自分にとってあの会への有難味がなくなって、行く気にはなれない。
 結構“ハレの日”の落語会、という気分の高揚感のようなものが最初はあったが、それも次第に薄れてきた。
 そうそう、仲入りにシャンパンなんぞを飲んでいたことを思い出す^^

 いまだに、年間通し券、半年通し券の案内はもらうが、興味が薄れたことに加え、先の予定などは決められないので、内容に目を通すのみ。

 四月の会の記事では、一朝の初CDがもうじき出ることが書かれている。

 たしかに、志ん朝の音源なども含め、あの会は芸達者たちの音源を数多く出しているが、それが会の目的のようになってはダメなのではないか。

 以前の高座のやり直しで同じ噺家が同じネタ、というのは、決して“お客様ファースト”とは言えないだろう。

 落語研究会は、イーストの今野プロデューサーが人選、ネタ選びをしているようなので、京須さんは、あくまでテレビ用の解説者として関わっているのだろうが、朝日名人会は人選とネタ選びに加えソニーの音源制作にも関わっている。

 これって、結構凄い権力を持っているわけで、危険な面もあるように思う。

 数年前の高座が、残念ながら音源発売に及ばない内容であれば、その噺家のその高座は、残念ながら、二次的な商売と縁がなかったと諦めるべきではなかろうか。

 ソニーの音源発売のための再収録の場に朝日名人会を利用するのは、私は実に野暮なことだと思う。

 他に、その一席の枠を与えるべき噺家もいるだろうに。

 かつて京須さんの落語の本からは多くの示唆も受けたし、勉強にもなった。
 しかし、ここ数年の著作や、新聞などで書かれていることには、疑問を感じることも多い。

 老害とは言いたくないが、権力のある地位に長く居座ることは、政治と同じで、良いことはない。

 あの会についての小言は久しぶりだが、やはり、書かないわけいにはいかないと思う、コラムの内容だった。

 ソニーの音源を作るために朝日名人会が存在しているとするなら、高い木戸銭を払ってその場に足を運ぶお客さんを馬鹿にしていると言えないだろうか。

 生の落語会、寄席は、その一期一会が大事なのであって、その音声や映像は、あくまで二次的なおまけである。

 そのおまけのために、同じホール落語会で同じ噺家とネタが選ばれるというのは、本来の落語会の主旨に反する行為ではないか。

 私は、そう思う。


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# by kogotokoubei | 2017-06-12 22:09 | 落語会 | Comments(4)
 なんとか都合がついて、久しぶりに、自宅近くの歴史のある地域落語会へ。
 なんと、2015年8月の正雀・彦丸の親子会以来になった。

 通算207回目とのこと。
 通常は真打二名の二人会なのだが、今回は今松と二ツ目の市童。市童が前座の市助時代にこの会の前座役を長らく務めたご褒美かな。
 電話で当日券があることを確認していた。
 当日券販売は開演一時間前の一時からだが、ちょっと油断して一時半少し前に行くと長蛇の列。
 結局308席の会場には、八割を超え九割ほどのお客さんが入っていたような気がする。
 今松の座間での人気は、なかなかのものだということか。

 次のような構成だった。
-----------------------------------------
開口一番 柳亭市朗『狸の札』
柳亭市童  『棒鱈』
むかし家今松『お若伊之助』
(仲入り)
柳亭市童  『ろくろ首』
むかし家今松『笠碁』
----------------------------------------- 

 感想などを記す。

柳亭市朗『狸の札』 (15分 *14:01~)
 初である。現在二ツ目の市楽の前座時代と同じ名。まだ、先代(?)の印象が残っている。
 見た目は市童より上に見えたので後で調べたら、やはり市童より四歳上の三十歳。
 どうもリズムが悪い。大きな声ではっきり、という基本はできているのだが、途中途中で小さなブレーキがかかるような印象。精進してもらいましょう。
 それにしても、以前、白酒が入門希望者が多く、結構前座になる前の待機児童(?)が多いと言っていたが、この人の落語協会のホームページでのプロフィールも次のようになっている。
2015(平成27)年2月9日 柳亭市馬に入門
2016(平成28)年4月1日 前座となる 前座名「市朗」

 一年余り、待機したということか・・・・・・。

柳亭市童『棒鱈』 (24分)
 久しぶりだ。名は童顔からきているのかもしれない、市朗よりはずいぶん若々しい。
 なかなかの熱演ではあったが、まだ肝腎の主役と言える酔っ払いの男が十分には描けていない。二ツ目としては十分に評価できる高座だが、私のこの人への期待は、もっと高いところにある。
 ぜひ、この噺を十八番とするさん喬など芸達者の高座で勉強して欲しい。
 酒は好きなようだが、酒飲みを演じることは上戸も下戸も関係がないことは、小三治が証明している。

むかし家今松『お若伊之助』 (53分)
 マクラでは、実は私も会場に来る際に気になった、地元を基盤とする、ある政治家のポスターのことにふれた。
 「ひたむきに これからも」というキャッチフレーズの元大臣の看板を見て辟易していたのだ。
 さすが、今松、「ひたむきに これからも 金集め」とひねった^^
 会場には支持者もいただろうが、結構笑いが多かった。今松、なかなかやるねぇ^^
 時事ネタが続き、「こりゃ旨い 安倍のおそばのもりとかけ いつの間にやらキツネとタヌキ」では、会場から大きな拍手。
 そんな私好みのマクラの後に、タヌキからつないだ、この噺へ。
 実はこの噺は苦手だった。それは、狸が登場する噺なのだが、サゲ前の筋書きがメルヘン調にはならず、残酷な印象があるからかもしれない。
 古くなるが、人形町らくだ亭で、さん喬、志ん輔で聴いているのだが、どちらも楽しむことができなかったのは、自分の記事を読んでも分かる。
2010年10月29日のブログ
2013年4月9日のブログ
 しかし、この今松の高座は、この噺への苦手意識を払拭してくれそうだ。

 こんなあらすじ。
(1)横山町三丁目、栄屋という生薬屋の一人娘が、一中節が習いたいと母親にせがむ。母親が出入りの鳶の頭初五郎に師匠を頼むと、もと侍で大変に堅いものがいる、自分が仲に入り保証するというので、その伊之助に来てもらうことになった。
(2)ところがこの伊之助が実にいい男で、お若が惚れ、二人がいい仲になる。気付いた母親は、初五郎を呼んで、三十両を出して二度とお若に逢わないと約束させるよう頼む。一方お若は、母親の義理の兄で根岸御行の松近くで剣術の町道場を開いている長尾一角に預けることとなった。
(3)一年ほどした頃、お若のお腹が大きくなりだした。これは一大事と一角が忍んで来る男を確かめると伊之助だ。翌日初五郎を呼んで話をする。手切れ金は確かに渡したのかと聞かれ頭に血がのぼった初五郎は、昨夜伊之助と吉原の角海老で一緒だったのを忘れ、伊之助のところへ駆けつける。しかし、伊之助に言われて昨夜のことを思い出し、根津に帰って一角に人違いだと告げる。しかし、一角に、伊之助が寝転かし(ねこかし)したのではないか、と言われ、初五郎、また両国に取って返した。しかし、また伊之助に昨夜は一晩中一緒に飲んでいたじゃないですかと指摘され、またまた、根津に戻る。
  (注)「寝転かし」は「ねごかし」とも言い、寝ている人をそのまま
     放っておくこと。特に、遊里で客が寝ている間に、遊女がこっそり
     いなくなってしまうこと。
(4)その夜、初五郎に確かめさせると、昨夜のは伊之助ではないが、今居るのは間違いなく伊之助だと言う。そこで一角が短筒(種子島)で撃ち殺すと、それは伊之助ではなく、大きな狸。その後お若は身籠り、日満ちて産み落としたのは狸の双子。すぐに死に、しばらくしてお若も亡くなった。お若と狸を弔うために御行の松の根方に塚をこしらえた。「根岸御行の松のほとり、因果塚由来の一席でございます」でサゲ。

 この筋書きで、初五郎が根津と両国を行ったり来たりする(3)の場面が一番の聴かせどころだが、今松の高座、なんと楽しかったことか。
 筋を知っていると、ここはダレる危険性があるのだが、今松の高座では笑い続けながら楽しむことができた。
 また、随所に入るクスグリや川柳なども実に効果的。
 たとえば、箱入り娘のお若に美男の伊之助を引き合わせる場面、「猫に鰹節、噺家に現金」で会場から大きな笑い。
 狸が化けた伊之助とお若が出会う場面の、去年(こぞ)別れ今年逢う身の嬉しさに先立つものは涙なりけり、なんてぇのも実に味がある。
 初五郎が根岸に呼ばれた時に門弟が、“に組”を“煮込み”などに聞き間違うところも、なんとも可笑しい。
 これだけこの噺を楽しく聴けたことはない。
 それは、きっと、狸が伊之助に化けてお若に会いに来る場面を、それほど怪談めいた、おどろおどろしい場面にしなかったからかもしれない。
 あの場面を湿らせすぎると、どうも後味が良くないのだ。今松のようにあっさり演じれば、この噺の味わいが大きく変わる。
 この人らしいマクラも含む長講を、まったく飽きさせなかった高座、今年のマイベスト十席候補とする。

柳亭市童『ろくろ首』 (26分)
 前半、伯父さんと松公との会話の場面は、良かった。
 松が兄と同じように「おかみさんが欲しい」と言う場面、なかなか「おかみさん」と言えなくて顔を歪めて苦悶する表情の楽しかったこと。
 この高座は、十分に真打のものだ。

むかし家今松『笠碁』 (38分 *~16:47)
 マクラでは巨人の連敗のことにふれる。私は同じアンチ巨人なので、心地よく聞いていた^^
 そこから、中国、トランプなど時事ネタになり、詳しくは書かないが、十分を超えるマクラがあったので、一席目の長講を考えると何か短めの軽い噺かと思っていたので、この噺と分かって驚いた。
 ネタにまつわる川柳、「ほんの一番と 打ち始めたのは 昨日なり」などをふって本編へ。
 師匠馬生とは若干設定が違う部分もあった。
 たとえば、待ったをする方の旦那、私が持っている馬生の音源では、前日に根岸の碁の先生のところに行き、待ったをしないよう忠告された、という設定。
 今松は、その日、相手を少し待たせたのは、根岸のご隠居のところに寄っていたからで、ご隠居に忠告されたのですが・・・となっていた。
 今松、この根岸のご隠居のことを語る場面、「剣術は、やりませんがね」と、一席目に関わるクスグリを挟み、客席から笑いが起こる。
 待った禁止でやりましょうと決める際の会話、「そうしましょう、そうしましょう、碁を打っているのか、待ったを打っているのかわかりませんからね」は、師匠譲りの楽しい科白。
 言い出しっぺの方が待ったを頼んだ後の会話が、次第に喧嘩腰になる様子の、なんと楽しいこと。
 待ったの旦那の科白は、「あなたが、そんな薄情な人だとは思わなかった」や、「人間の付き合いというものは、そんなもんじゃないでしょう」なども、客席からは少なからず笑いが起こる。二人の表情などが、十分に想像できるからだろう。
 「碁敵は 憎さも憎し 懐かしし」とふった後の再会までの後半の場面もダレることはなく、待ったの旦那が相手が現れたのを見た時の、「来たよ、来たよ」の今松の破れるような笑顔には、その旦那の喜びが溢れていた。
 この高座も、今年のマイベスト十席候補としない理由は、まったくない。

 
 なんとも驚きの二席。
 その余韻に浸りながら、駅までの道をゆっくり歩いていた。

 この日は、高座と客席が一体化した感じがしたなぁ。

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# by kogotokoubei | 2017-06-11 20:19 | 落語会 | Comments(0)
 夜の部、はじまりはじまり。

開口一番 桃月庵ひしもち『平林』 (8分 *16:45~)
 初である。前座としては、まあまあ、という印象。
 なんともひよわな印象を与えるが、高座は語り口もしっかりしている。見た目と高座のギャップは、一つの売りになるかもしれない。

林家たこ平『出来心』 (12分)
 本来は、朝之助・一蔵・一左の一之輔の弟弟子による交替出演枠なのだが、その誰でもなく、この人。三人とも都合が悪くなるなんてぇことがあるんだ・・・・・・。
 代演のたこ平は、マクラからリズムが合わない。言いよどみも多い。
 実に残念な高座。2015年の連雀亭初席で聴いた『松山鏡』などは、結構味があったのだがなぁ・・・・・・。
2015年1月4日のブログ

東京ガールズ 邦楽バラエティ (14分)
 一人は「非売品」、相方は「返品」という自虐ネタが、失礼ながら可笑しい。
 ♪ぎっちょんちょんも悪くないし、♪裏路地の~は、何度聴いても、歌った後のあの表情が可笑しい。
 三味線の腕も結構凄いのではなかろうか。
 この人たち、だんだん好きになってきた。

台所おさん『弥次郎』 (11分)
 名前にまつわる逸話などのマクラから本編に入ったが、この短い時間で客席を沸かせた、なかなかの高座だった。
 「柔道二十三段」「そんなのがあるかい」「先生がまけてくれた」なんて科白でも笑った。
 最初に聴いたのは九年前になるが、2008年の厚木で鬼〆時代。あまり良い印象はない。
 その後、連雀亭で聴いて印象は好転し、この高座では、結構唸った。
 そのなんとも言えない風貌も含め、実に個性的かつ古風な、噺家さんらしい人。

春風亭百栄『鼻ほしい』 (14分)
 おさんの次がこの人、という流れは、なかなかに楽しい。
 こういう地噺は、お手のものだなぁ。新作か地噺の百栄、ということか。

 この人のこの噺をいつ聴いたか調べたら、2011年1月25日の新文芸坐だった
2011年1月26日のブログ
 あの落語会には、何度か足を運んだが、2014年4月21日で終了した。
 百栄が『鼻ほしい』を演じた日は、他に三三と一之輔、そして三木男が出演。
 その時の記事で、プログラムに、本来担当されている新文芸坐の永田稔さんが静養中で、「落語ファン倶楽部」編集部の松田健次さんが代筆して出演者を短い言葉で評していたことも引用していたので、再掲しよう。
 □三三
  人心の深い闇をえぐりながらも、その一方で理屈に拠らない人間存在のユーモアを忘れません。
 □百栄
  一瞬「え!」という意外な映像演出を挟むなど新世代らしい遊び心を見せます。
 □一之輔
  あらゆるシーンに縦貫するやるせなさと可笑しみに目を離すことが出来なくなります。
 □三木男
  只今短編で腕を磨きつつ初長編の構想に明け暮れる若き監督の卵でしょうか。

 なかなかに適確な評ではなかろうか。

伊藤夢葉 奇術 (12分)
 いつもながらの技と話芸。いいねぇ。

古今亭菊寿『初天神』 (12分)
 初である。年齢は私とほぼ同じなのだが、もっとふけて見える(はず^^)。
 金坊の演出が際立った。たくさん店が出ているのを眺めながら「りんご・・・はいらないんだよね」「みかん・・・もいらないんだよねぇ」「バナナ!・・・もいらないんだよね」
 「りんごもみかんも、バナナもいらないんだよねぇ・・・・・・」の後に、じわじわと切なさがこみ上げ、次第に顔がくちゃくちゃになって泣き出す様子は、生の落語でなければ楽しめない。
 円菊一門、奥が深い。

橘家円太郎『浮世床ー本ー』 (16分)
 仲入りの一朝が休演で、正朝が仲入りになり、そこに代演のこの人。
 近くの若いカップルが懸命にプログラムを見て不審がっていたので、よほど教えてあげようかと思ったが、高座が始まっていたので、やめた。
 マクラが楽しかった。浅田麻央の父親になりたい、というネタで、ところどころに師匠小朝の前妻のことなども挟んだが、詳細は秘密。
 本編は、私が知る筋書きとは異なり、「まっこう、まっこう」「おい、松公呼んでるぜ」なども、ない。
 とにかく、本を読んでいる留さん(源さん?)が、読もうとして顔と口をゆがめる表情が可笑しい高座。マクラが長くなって短縮したのか、この人はこういう型なのか知らないが、寄席らしい佳品だった。

林家ペー 漫談 (14分)
 ギターではなく、師匠の奥さん(海老名香葉子)からもらった赤いバッグを持って登場。赤いTシャツには「余談」の二字。
 最後に自分の歌「余談ですけど愛してる」を披露し、カラオケで歌ってくれ、と言って退場。
 昭和16年生まれ、今年76歳での、あのパワー、凄いね。
 
桂文生 漫談 (15分)
 二日酔いの様子とは、この日は思えなかった^^
 円生や正蔵の声色を挟んでの漫談は、なかなかに楽しかった。
 寄席のこの人でネタを聴くのは、十回に一度位の確率ではなかろうか。

春風亭正朝『町内の若い衆』 (16分)
 一朝に代わる仲入り。
 こういう噺は、本当に上手い。太った女房を形容する「氷上のトドだね」とか、鼻の穴からタバコの煙を上に吐く女房の様子には「インディアンの狼煙か」で笑わせる。
 仲間が何か褒めるものを探そうと、蜘蛛、あぶら虫、ナメクジなどに溢れた(?)家を「まるで、ファーブル昆虫記だね」なども、センスの良さを感じる。
 弟子の正太郎も順調に成長しているように思う。親子会でもあるなら、行ってみたいものだ。


 -仲入り-

 昼の部の後、椅子席は四割ほどの入りに減ったのが、次第に埋まってきた。仲入り後には七割程度まで入ったのではなかろうか。桟敷は六割ほど。
 二階にはカメラが据えてあったが、撮っているのか、あるいはこの後で何かイベントでもあるのかな。

 さて、休憩も終り。

春風亭柳朝『持参金』 (15分)
 クイツキを主任の兄弟子が務めた。今や弟子10名を数える一朝一門の総領弟子。
 最前列の席の方は、奇術の美智さんにどこから来たか聞かれ北海道と答えていたから、もしかすると、柳朝のつながりの方だろうか。
 この噺も、一門や人によって微妙な違いがある。柳朝は、吉兵衛さんが翌朝、あの女性を連れてくるという設定。
 筋書きをご存じないお客さんから、サゲ前に、番頭ー男ー吉兵衛さんの関係が明らかになり、どっと笑いがくる。
 こんなに顔の表情のある人だったろうか、と思わせる熱演。
 柳朝のブログ「総領の甚六」によると、あの古今亭右朝から稽古をつけてもらったネタとのこと。そして、その歴史をたどると次のようになるらしい。
 春風亭柳朝-古今亭右朝-立川談之助-立川談志-桂米朝。
ブログ「総領の甚六」の該当記事
 なんとも、由緒ある噺ではないか。

ホームラン 漫才 (10分)
 落語協会漫才の重要メンバーという地位を確立しつつある、という印象。
 勘太郎と私は同じ昭和30年生まれだが、彼の方がふけて見えるよなぁ、間違いなく^^
 たにしの腹話術のような相槌が可笑しい。
 しっかり客席を暖め、トリの時間も確保する、名人芸だった。

春風亭勢朝 漫談 (11分)
 十八番の彦六ネタなどを含め、この人ならではの高座。
 
初音家左橋『替り目』 (11分)
 もっとも難しいとも言われる出番のヒザ前は、十代目馬生門下のこの人。
 ちなみに、昼の部では、はん治が務めた。
 なぜ、難しいかは落語愛好家の方なら先刻承知だろうが、盛り上げなくてはならないが、主任を喰っちゃいけない。また、それまで出ているネタと主任のネタにもをつかないようにしなければならない。
 なるほど、そういう位置づけには相応しい芸達者である。
 昼の部から通しで、なぜかこのネタが出ていなかったねぇ。加えて、『親子酒』や『試し酒』、『居酒屋』など酒の噺もなかった。
 何かつまむものはねえか、の後に納豆や、糠漬けの部分を省いておでん屋につなげ、いわゆる『元帳』でサゲたが、実に結構でした。

鏡味仙三郎社中 太神楽 (10分) 
 仙三郎、仙志郎、仙成の三人が揃って登場。
 今や落語協会の色物で香盤の一番上にある。
 土瓶の芸、和楽とは年季の違いを感じさせるなぁ、やはり。
 しっかり、トリにつなげました。
 それにしても、昼も夜もヒザが太神楽というのは、私のような(数少ない^^)居続けには、ちょっと残念。

春風亭一之輔『蛙茶番』 (33分 *~21:03)
 登場し、会場から「待ってました!」の声。
 少しの間を空けてからマクラに入ったが、前日に国立劇場の歌舞伎教室へ行ったとのこと。券をもらったらしい。高校生(一之輔いわく、北関東のどこかでしょう^^)が団体で来ており、説明役に若いイケメンの歌舞伎役者が出てきたら、女子高生がキャーッやら何やら嬌声を上げた・・・その後、そのイケメンが「ここが、花道」とか説明を始めたが、「あれ位なら私だってできる」と一之輔。
 歌舞伎の食事と寄席のそれ(おいなり)、客の服装、木戸銭などなどで歌舞伎より寄席がいいと言いながら、「早い話が、悔しいんです」と言う。本音なのだろう。
 そんなマクラから、昔は素人芝居が流行っていまして、と本編へ。
 なんとも結構なマクラなのだろう、と思いながら聴いていた。
 このネタのために、わざわざ歌舞伎教室へ行ったわけでもあるまい。こういう、生きのいい(?)ネタに関わりのあるマクラは、好きだ。
 「天竺徳兵衛」のガマ蛙の役を伊勢屋の若旦那が断って定吉にお鉢が回った。しかし、芝居番の半公が来ないので幕が開けられない。番頭に言われて定吉が半公を迎えに行き・・・という筋書きの中で、それぞれの人物が見事に描かれている。
 お店の主人の貫禄。知恵者の番頭のなんとも言えない、したたかさ。定吉の無邪気さ。建具屋の半次の一本気な江戸っ子ぶりと粗忽ぶり。風呂屋から芝居に向かう途中で出会う、鳶の頭(かしら)の鯔背ぶり。芝居の観客・・・・・・。
 聴いていて、素人芝居の舞台、客席が目に浮かんでくる。
 このバレ噺(艶笑噺)を、まったく下品さを感じない、質の高い爆笑噺に仕立て上げた。
 何と言っても、惚れている小間物屋のミー坊が帰っちゃ大変と、自慢の縮緬の褌を締めるのを忘れて湯を出た後、途中で頭(かしら)親娘に、その物を見せて「町内一」とか「これだけあると重い」と言うあたりで、会場がひっくり返るような大爆笑。近くに若いカップルがいたが、女性が大声あげて、泣きながら笑っていた。
 その御開陳のすぐ後に、頭が大慌てで「やめろ、やめろ!」と言って、娘に「見るなぁ!」と叫んで半公を隠そうとするあたりでも笑いが巻き起こる。
 もちろん、この人なりの楽しい演出も加わる。
 たとえば、最初に定吉が迎えに行った時、半公が怒って人差し指と中指で「目ん玉くり抜くぞ」と脅かされたことを番頭に言うと、「こうして防げ」と手の平を縦に目の前に構えてみせる。「足んなきゃ、両手で」と言う。これを、番頭のミー坊作戦の知恵を授かって再訪した場面で定吉が実践するところなども、実に可笑しい。
 科白で印象に残るものもある。定吉が、番頭の作戦を聞いた後の、「番頭さん、凄いですねぇ。味方にしておいて良かった」なども効果的な一言。
 あの禁演落語五十三席の一つであるネタを、女性が大声で笑える見事な噺に仕立てた高座、今年のマイベスト十席候補に選ぶ。いやぁ、笑ったなぁ。


 実は昼の部がはねた後で、末広亭の従業員の女性の方から、一之輔の初日から六日目までのネタをお聞きしていた。
 鰻の幇間・青菜・代書屋・化け物使い・千早ふる・百川、だったとのこと。
 そして、この日の蛙茶番。

 一之輔の2012年3月21日から5月20日までの真打昇進披露興行50日51席のネタは、以前書いた。回数ごとに、次のネタが並ぶ。
2012年5月21日のブログ

 5回(1):茶の湯
 4回(3):百川、子は鎹、粗忽の釘
 3回(4):欠伸指南、初天神、明烏、らくだ
 2回(6):短命(長命)、不動坊、長屋の花見、花見の仇討、青菜、藪入り
 1回(10):竹の水仙、雛鍔、くしゃみ講釈、鈴ケ森、蛙茶番、代脈、大山詣り、鰻の幇間、へっつい幽霊、五人廻し

 あの二十四席と、末広亭の主任興行のネタ、春から初夏までの同じような季節なので、同じネタが並ぶのは当然のことだろう。
 しかし、あの披露目では、代書屋、千早ふる、化け物使い、は演っていない。
 
 ネタも着実に増やしていることが分かる。
 
 そして、その高座に久しぶりに触れて、若さ、勢いを保ったまま、どんどん上手くなっていることを実感した。
 貫禄さえ感じさせる。
 横浜にぎわい座の地下秘密倶楽部“のげシャーレ”で二ツ目時代に聴いた時に、この人のチケットは取りにくくなるとは予想したが、まさか、NHKが「プロフェッショナル 仕事の流儀」で取り上げるまでになるとは、思わなかった。
 三三、白酒、などには良い刺激になっているだろう。
 
 落語協会は、今春五人、秋にも三人の真打昇進。
 あくまで、増え続ける二ツ目への落語家稼業スタートの儀式、ということか。
 抜擢昇進は、たった五年前のことだが、そんな大きな状況の変化が、ずいぶん前のことにも感じさせるのである。


 九時間近い居続けではあったが、昼の部では、いぶし銀とでも言える芸達者達による高座を楽しみ、最後には一之輔の見事な“芝居”を堪能した。

 やはり、寄席はいいねぇ。
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# by kogotokoubei | 2017-06-09 12:36 | 落語会 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛